【エッセイ】霊の復権と新しい意識の探究(1)

霊の復権と新しい意識の探究 (1) (全5節)

掲載日:2006年5月20日
(本稿は、1989年に雑誌掲載されたものである。)
◆はじめに

いつの時代にもその時代を特徴づける気分とか雰囲気とかいうものがあり、文学とか哲学などには、特に濃厚に、そうした時代のニューマ(空気)が反映するといわれている。とすれば、世の終わりを告げる様々な予言の喧しい二〇世紀末の現在、およそ世紀末というに相応しくないこの妙な明るさの原因はいった何なのだろうか。一昔前の詩人や哲学者たちの、あの世界苦を背負いこんだ苦しげな表情はどこに消えたのか。考えてみれば、「神の死」が宣告されて以来、人類の苦悩はますます深まり、状況はますます悪く、時々現れる立役者の哲学も決定的な解決策は見出しえないまま、一時代が終わるとすごすごと退場していってしまった。人々は飽かぬ想いで何かを待っていた。しかし、どんな難問でも一挙に解決できる哲学者が、人類の苦悩の原因を一掃したという評判も聞かないのに、いつの間にか、人々の気分からも詩人の表情からもあの何ともいえない苦悩の影が消えてしまった。もはや永遠に人類を解き放つことはないと思われたニヒリズムの冷たい抱擁は幻と消え、思春期の一時の気迷いででもあったかのように顧みられなくなってしまった。単にはやらないというだけではすまされない、時代の空気の移り変わりようである。
文学者たち(かれらは今や時代の空気を一番よく代弁しているとさえ思われていないが)は、スポーツマンか冒険家かギャンブラーのような顔でテレビのCMに出演し、一見満ち足りたような表情でグラスを傾ける。しかし、よく見ると、板についたと見られたい気持ちの方が先行しているのがよく見てとれる。かれらは過渡期の存在であり、時代を理解も解決もせぬまま、何となくおかしなこととは思いながら、自分たちの役どころが分からぬまま中途半端に時代に合わせている。おそらく、時代の気分の方がかれらのずっと先にいってしまったのだ。
たとえば、「超能力は誰にでもある」というキャッチフレーズが若者のあいだに最もウケるという空気がある。最近は、アメリカ発の「誰でもチャネラーになれる」というのが同工異曲である。しかし、これなどは、一九世紀半ば以来のスピリチュアリズムが、その多寡さえ論じなければ、本来人間は霊的であり、霊能のようなものは誰にでも備わっていると繰り返しいってきたことと変わらない。ただそうしたことが、時代の空気のなかで自然のこととして受け入れられるようになっただけである。
こうした空気のなかでは、科学も唯物論も幅をきかせられないと同時に、ニヒリズムも無神論も何となく推進力を失った感じである。無論、これは何とない感じであって、哲学やアカデミズムの土俵できっちりと決まりのついたことではない。しかし感性を重んずる今の若者のあいだでは証拠や理論に則った議論はあまり重要ではないようである。かれらは両者の主張を大雑把に見比べてみて、装身具の善し悪しを決めるように感覚的に判断する。それで特に悪いことにもなるまいというだけの見通しは立てている。
今日、自由主義国のあいだでは、唯物論的弁証法や社会主義の脅威は薄れてしまっている。それはあまり賢くない宗教的信念と同じぐらいに見なされているように思われる。それと同時に、科学や合理主義も、何となく信用しきれないという感じ一般にもたれているようだ。こうした時代の空気がどのようにして醸成されてきたかをよく考えてみる必要がある。
結局こうした時代のニューマをつくったのは、アカデミズムや理論の方面では心霊研究およびその現代的呼称である超心理学である。最近ではこれにユングの無意識説、トランスパーソナル心理学、科学思想のなかに現れた還元主義批判やホーリズムへの傾斜などが加わってこの傾向に拍車をかけている。民衆の次元では、霊界への信仰を合理的とまで感じさせるに至った前世紀以来のスピリチュアリズム運動の浸透が何といっても、その基盤にある。もっとも、心霊研究やスピリチュアリズムの影響は一般大衆にとっては自覚的なものではない。おそらく「スピリチュアリズム」という呼称があることも、それには一世紀半にわたる世界的な規模の運動展開があったことも知られてはいない。それでいながら様々な霊媒の話、霊界探究や奇怪な事実譚、それらについての科学的研究があったこと(それは事実だ)を知っている。一般大衆は、「守護霊」「背後霊」「オーラ」「心霊写真」などという言葉の出所も知りはしないが、分からぬままに日常用語のなか取り入れ、何がしかの真実性があるらしいことを察しており、結局、家庭内に何かあると感じて霊能者の許へ相談にいく人は相当の数にのぼるのである。スピリチュアリズムの醸成した基盤の上に立って、超能力や心霊手術への驚きと疑惑、瞑想や超自我への関心と憧憬、霊治療や気功法への期待がある。そして、通俗的なスピリチュアリズムの理解を絵にかいて見せたような映画『大霊界』のヒット! 総じて、様々な終末論的預言が横行するなかにありながら、時代の底流にある気分には何か他界へ抜けたような明るさがある。民衆は既に意識のなかに「霊」を取り込んでしまっているにちがいない。
時代的にいえば、スピリチュアリズムの登場は、科学的合理主義、決定論的唯物論が結びついた、絶望への予めの回答であった。スピリチュアリズムの哲学が大々的に採用されたとは思えないが、ここ数十年、ニヒリズムは急速に退潮しつつある。知的な人々のあいだにも神秘主義が浸透し始めている。人々は不合理や説明できないものにも意義はある、科学や、合理主義ばかりが正しいのではないといった主張に耳を貸し始めている。いや、現代思想の最先端にある担い手たちは、そのことを手を変え、品を変え何とか言語化しようと四苦八苦しているかのようだ。こうした思想状況と例の超能力ブームは奇妙にもオーヴァーラップしていたのである。
こうした状況は前世紀の末から今世紀の初頭にかけても起きたことだった。活躍したのは霊媒といわれる存在であった。哲学者たちは絶望の表現に躍起となるか、絶望からの脱出に躍起となっていたのである。スピリチュアリズムとの関連でいえば、ベルグソンやウィリアム・ジェイムズなどは、明らかにスピリチュアリズムと境を接する線上にその脱出の方向を見定めていたであろう。実際のところスピリチュアリズムの方向にしかその回答はない。思想史的にえいば、これは予め勝敗の分かったゲームのようなものである。いずれ人類はそちらの方向に回答を求めるだろう。なぜなら現代思想が不合理の意義を認めたからといって、それは根本的解決にはなっていないからだ。現在の情況は、非決定論が決定論と五分に、非合理主義が合理主義と五分に渡り合える程度になったというだけで、勝負はどちらともついたわけではない。霊魂の世界を実認し、人間は本来霊的な存在であると確言するスピリチュアリズムは究極的な答えである。いろいろな兆候から、曲折はありながら、いずれ人類はスピリチュアリズムが予め回答を用意した方向へと問題を収束させざるをえないだろうと筆者は推測している。

◆スピリチュアリズムの意味するものは何か

一九世紀中葉に興ったスピリチュアリズムの真の意義が何であるか、理解した人の数は寥々たるものである。ことこれに関しては、世の神秘家といわれる人々がほとんど駄目である。このことは、かれらが系譜的に、本質的に、旧世界的に属する魂群であるためかもしれない。神秘的でありながら、特殊な遺伝的幻想や、ある種の宗教的癖から抜け出られない人が多くいる。かれらは、どちらかといえば晦暗(かいあん)な精神に浸って古来の神秘の儀式を踏襲したいのである。そして自己を神秘家と見せるための演出をする。かれらの日常にはほとんで霊的な部分がないため、古来からの伝承や秘伝書の類による知識の量に頼らざるをえないのである。かれらは霊的な事柄を事実として受け入れている。しかしその特殊な一部を受け入れているのである。人間が霊的な存在であるということは、かれらにとっても議論以前の承認事項であろうが、そのことを特に強調しなければならない現代の特性というものを理解してはいない。なぜならかれらにとって神秘とはいわば永劫回帰のごときものであるから。人間が霊的存在であるという、まさにその点を強調して今この時点で渾身の力を込め、人類を覚醒させ転換させなければならないという点は理解していない。そしてむろん単なる幻想と遊びに浸っていたいだけの神秘主義者はここでは論外とする。
ところで、欧米のスピリチュアリズムのなかにさえ、一九世紀中葉を境として、決定的なことが起こり、そこを転回点として人類が新たな認識の局面に立ち、二千年以来の宗教意識に根本的な変革の時が訪れたのだと気づいた人は少なかった。そうした観点をとるためには、思想史的な背景を踏まえた歴史眼がなくてはならないだろうし、また自己の精神の密室で、一度は唯物論と血みどろの戦いをしたという経験がなければならないだろうからである。多くの場合は、死者への愛惜と慰安、個人的な死の不安の克服、霊的現象の好奇的探究に終わったのである。

◆スピリチュアリズム勃興の背景

アメリカにスピリチュアリズムの興った細かな経緯については、これまで何度も紹介されているので、ここでは省略する。問題はその発端が一八四八年とされているという点である。スピリチュアリズムの現象と運動は、確かにこの年を契機として広がりを見たが、それでこの一事件をスピリチュアリズム全体の発端とすることは、それまでの怪奇現象と切り離して特別な意義を与えることが妥当かということである。爾来、スピリチュアリズムについて書き記した百千の書物が、ほとんどハイズヴィルに起こったフォックス家の怪奇事件から説き起こすのを当然としている。
私は初めこのことに疑問をもった。しかし、種々の点を考察してみて、やはり一八四八年という年には、一つの重大な転換点があったとして認めざるをえなかった。そして、さらに大雑把に、この前後の期間(一九世紀中葉)をとって考えればそこに、さらに人類全般にとっての大きな転換点があったと納得するものがあった。いずれにしても、この辺りをスピリチュアリズムの出発点として考えて支障はない。それは次のようなことどもを総合していうのである。
まず第一に、歴史上のこの時点は、欧米において産業革命以後、機械文明が大いに発展し、科学が現実面で非常な成功を収め、人類の希望と憧憬を担うものと目された時期であった。この頃、科学は機械をモデルとした世界観を形成し、哲学や宗教の世界にも影響力を振った。また、あらゆる学問思想も、この科学モデルを手本として考えるようになった。他方、物質面でのこの成功は、精神面での想像を絶する暗黒を導きだす結果となった。もともと、神や霊の世界を否定するニヒリズムの世界観は、一八世紀末からすでに人間心理に暗い影を落としつつあったが、この時期に至り、合理主義、唯物論、機械論的世界観と結びついた科学の成功によって、それはもはや前世紀のシャトーブリアンの「世紀末の児」風なロマンチックでメランコリーを誘うだけのものから、あらゆる精神的、生命的価値を物質の従属物とみなすことから帰結する一種凄惨な決定論的世界観を、現実のもとのとして人類の最も有能な人々の脳髄に刻みつけるようになった。われわれはその典型的な例を、ポール・ブールジェの小説「弟子」やドストエフスキーの描くラスコリーニコフに見ることができる。こうしたいわゆる世紀末の世界観の胎動に対し、早くもその出だしから手を打って、反対の狼煙を上げたのがスピリチュアリズムだったのだが、人々は永く、天から降下したこの恩寵に気づかなかったのである。
一八四八年は、マルクス、エンゲルスの「共産党宣言」が出された年にあたる。当時としては、知的に考えつめていけば、このような宣言が出たとしてもおかしくはない。しかし、スピリチュアリズムの宣言と唯物論の宣言は、奇しくも同じ年に出されているのである。そこで、よく見てみると、ある時期多くの人がそう信じたように、後者がよしんば人間知の極限から出たものであるとしても、それは前者の、霊界そのものが関与してその宣言をしているのに比すれば、何ほどのこともない。というのも、人間は神の存在を否定して勝手な価値観をつくりあげてしまったが、当時あれほど全米に宣伝されたフォックス家の事件の意味するところは、結局、「どっこい、霊界はあるぞ」という霊界側からの宣言にほかならなかったからである。そして、それ以降、そのための例証が一世紀半にもわたって延々と続くのだ。どれほど人知の限りを尽くそうとも、人間知にはやはり限界のあることを、歴史そのものがよく示しているように思われる。
第二に、一八四八年はヨーロッパにおける革命と変革の年であった。ざっと見ても、フランスの二月革命、ドイツ、ハンガリーの三月革命、ポーランド、ハンガリー、アイルランドの独立運動、イタリアの統一運動などがこの年に起こっている。また高まる民衆意識の高揚のなかで、労働階級といわれる新たな一群が存在主張を始め、イギリスでは普通選挙を目指すチャーチスト運動が盛り上がったりしたのである。こうした現実世界の変動との関連なしに考えることはできないのである。新しい大陸の発見と新しい意識の勃興は人類史の中で相関し、共鳴している。月ロケットから見た一つの地球の発見、情報交通の発達による一つの地球の把握が人類を新しい意識の次元に否応なく誘うであろうように。
第三に、アメリカ合衆国の領土が太平洋岸まで達したのがようやくこの年であった。新大陸の発見とそこへの移住は、どれほど人間意識の拡大に役立ったかはかり知れないものがある。あらゆるものがこの新しい大陸から生じたのである。アメリカは希望の新大陸であると同時に、文字どおり新しい「もう一つの世界」であり、新しい地球であり、新しい意識の飛躍が可能になる新天地であった。その新大陸がおよそ三世紀半を閲(けみ)してようやく大西洋から太平洋までを一つの国となした年、この年新大陸の東の端、ニューヨークのハイズヴィルにスピリチュアリズムは興り、やがて人間意識の根本的変革を促すことになるに違いない宣言を、霊と人の共同で行なったのである。
第四に、通信という概念の根本にかかわる事件が起きた。モールス信号の発明は一八三二年である。モールス信号は単調な長短音の電子音の打点の回数と組み合わせによってアルファベットを綴り、遠隔地に情報を送るという通信手段であるが、こうした方式がすぐさま霊界との通信に応用され、スピリチュアリズムの発展とも結びついたことは、現界と霊界の対応を考える上で興味深く、そのこと自体、人間意識の新しい発展段階を象徴する出来事のように思われる。フォックス家に起きた叩音現象を、それに興味をもった当時の知識人が通信媒体として考えた着想は並々ではない。その後、この方式は霊界と現界の了解事項となってしまった。つまりここで、それまでの魔術的交霊以上の何かが起こったのである。神秘的事実と近代的合理主義的産物とのこの混交は、スピリチュアリズムのなかにある合理主義的態度や心霊研究を貫く重要な鍵である。現界と霊界の相互交渉を、信仰や祈りという宗教次元以外の「通信」という範疇で考え始めたこと事態が画期的なことであった。
第五に、ヨーロッパにおいてそれ以前にも見られたマリアの出現現象が、この時期一八四六年のフランスのラ・サレットへの出現以来頻繁になり、その性格も変わってきている。それ以降、マリアの出現によってキリスト教ないしキリスト教圏の世界の終末が警告ないし予告されるのが通例となったが、やはり、一九世紀中葉からヨーロッパの霊的世界に重大な変化のあったことを思わせる。キリスト教信仰圏内における心霊現象と見られるマリアの出現は、たとえば、フランスのルルドやポルトガルのファチマに見られるように、大衆次元の強い信仰を呼びさまし、ヨーロッパないし世界全土から信者を集め、ローマカトリックの公認を受けて、結局カトリックの信仰に大衆を呼び戻すのに役立っている。これはキリスト教がマリア信仰によって大衆的霊的次元に回生のエネルギーを求めている証左であり、キリスト教自体の霊化現象の一つであるが、それにしても出現するマリアの予告は悲観的で、世の終わりと共にローマ教会の終わりを告げ、結局一つの世界が終わらざるをえないことを繰り返し述べている。このことはまた、わが国において、やはりこの時期(幕末)に、大衆次元の霊的信仰が次々と興り、これまでの神や信仰では駄目で、もっと古い本当の神(元の神、根源の神)が現われ、世の建て替え建て直しをするということを盛んにいうようになったことと符合【注1】する。そのいずれも強い霊現象の伴うのが特徴である。これは欧米における新しい啓示運動であるスピリチュアリズムの勃興や、キリスト教自身の反省による霊化の傾向と軌を一にしており、両者はいずれも新しい人間意識の発達に応じた宗教の説かれる兆候である。

【注1 幕末にかけて民衆を基盤とする一種の新宗教ブームが日本各地で展開された。大部分は、後に教派神道または十三派神道として分類されるものに属するが、その本質を考えると、神道というよりもむしろ、シャーマニズムを根にした民族信仰の復興といった方がよいであろう。なかでも、後に大本教によって「黒住、妙霊、天理、金光先走り」とひと括りに言われる流れのなかにはシャーマン出口ナオによって読み取られた何かが潜んでいる。共通するのはシャーマニスティックな基盤と、根源の神への言及または天地の激動と新しい時代の到来の予告などで、この流れは大本教以降は岡田天明の「日月神示」へと繋がっていく流れだと考えられる。結局は、何の先走りであるのかの謎は未来に残されるが、筆者はこれを、世界的なスピリチュアリズム運動との平行現象がみられるところから、広く人類的な規模でのスピリチュアライゼイション(霊化)ないし意識変革が遂行されることの予告と見ている。】

◆スピリチュアリズムの一般的定義

以上述べたように、スピリチュアリズムは時代の重要な時期に出現してきて、人間の宗教意識を一変させるあるものを内蔵している(では、いった何がどう変わるのであろうか)。しかし、普通に説かれるところのスピリチュアリズムの定義や内容は次のようなものである。
スピリチュアリズムの定義としては、全米スピリチュアリズム協会の採択した定義がある。「スピリチュアリズムは霊能者が霊界に住む者たちとの交信によって一般に提供した事実に基づく科学であり、哲学であり、宗教である。スピリチュアリズムは霊界側が明示した言明や事実を調査し、分析し、分類するゆえに科学である。スピリチュアリズムは可視と不可視の生命の両者についてその自然法則を研究し、現在観察される事実に基づいて結論するゆえに哲学である。それはまた過去に観察された事実や、そこから引き出される言明や結論であっても、現在観察される事実からの推論や結果に支持されるものであれば承認する。スピリチュアリズムは神の法則であるところの物理的、精神的、霊的法則を理解しそれに従おうとする宗教である」というものである。
スピリチュアリストには、スピリチュアリズムが心霊現象を客観的に研究したことで心霊研究に基づく科学的主張であるという思い入れがある。しかし、その場合の心霊研究とは、極めて有能な霊媒たちとの幸福な出会いによって研究を進めえた初期の大物研究者たち、たとえばクルックス、マイヤース、ロッジ、ロンブローゾ、フラマリオン、ノッチング、リシェなどの研究のことをいうのである。これらの人々は大概初めは懐疑から研究に入り、次に心霊現象の事実であることを認め、最後にその背後の霊的存在を肯定し、ついにはいわばスピリチュアリストの陣営に与(くみ)した人々である。しかし、霊的研究とスピリチュアリズムの蜜月時代はそう永くは続かなかった。物質を扱う厳密科学の方法をそのまま心霊研究の方法に適用しようとするSPR(英国心霊研究学会)およびASPR(米国心霊研究学会)のその後の研究者たちは、自分たちの研究を科学的研究の範囲に止めるために、霊魂存在の肯定にまで踏み込んだ、いわゆるスピリチュアリスチックな発言をしないようになった。この傾向は今に連なっており、現在の心霊研究は、スピリチュアリズムに一線を画する超心理学と事実上同じものとなっている。しかし、スピリチュアリストの側からいえば必要充分な科学的実証は既になされたと考えられている。
わが国には、この蜜月時代の心霊研究が浅野和三郎【注2】らによって輸入され、スピリチュアリズムは心霊研究と同一視された。また欧米でも、中間形態として一時「心霊科学」ということばが用いられ、浅野もこれを用いた。浅野は西洋式の交霊会に対し、わが国の伝統に則ったサニハ方式の交霊を心霊実験と称して数々の霊界調査を行った。しかし浅野は、日本神道と西欧スピリチュアリズムの融合を考え、後年には「神霊主義」と唱えるようになった。「心霊主義」という訳語も用いられ、一部ではこの語と西洋スピリチュアリズムは対応すると考えられているが、「心霊」をサイキックの訳語だとすると、適当ではない。このような経緯から、わが国における「スピリチュアリズム」の対応語は不安定なものとなっている。

【注2 浅野和三郎(一八七四-一九三七)は、東京帝国大学英文科に在籍の頃から文才を現し、一時山田美妙斎らと共に美文家として文名を馳せる。卒業後、海軍機関学校の教授となり、翻訳家、英文学者としても業績をあげつつあったが、ふとした機縁で大本教の幹部となり、それまでの文学者、学者としての何不自由ない生活すべてを放擲して大本教のある綾部に移住した。その後、大本とは訣別し、心霊研究、スピリチュアリズムの調査研究に没頭。わが国のスピリチュアリズム運動の草分けとなった。】

また英国のスピリチュアリズム運動に則っていえば、一九八〇年に創立された英国のスピリチュアリスト・ナショナル・ユニオン(SNU)の採択した七か条の綱領がスピリチュアリズムの定義に等しいものとなっている。それによれば、

(一)われわれの父としての神が存在する。
(二)人間はすべて兄弟である。
(三)霊は人と交渉を持ち、天使は人を嚮導する。
(四)人間の魂は永遠に生き続ける。
(五)人は各々責任を負う。
(六)人が地上で行なった善悪の行為はすべて死後にその応報をうる。
(七)いかなる人の魂にも永遠に進歩の道が開かれている。
(SNUの「スピリチュアリスト・ハンドブック」による)

一見してキリスト教色の濃い綱領である。この綱領を採択したSNUは、今でも英国最大のスピリチュアリストの団体として存続し、活発な活動を展開している。現在では便宜上宗教団体としての国の認可を受け、税法上のチャリティの扱いを受けている。宗教法人としての要件を満たすために各種祭典や儀式を遂行するための祈りごとなども整えている。しかし、実際の活動は、スピリチュアリズムの啓蒙と教育、その一環としての霊能者によるデモンストレーション(霊界や死後存続を証拠立てるための霊能者による霊査実験のこと)などが主である。同じスピリチュアリストの団体でも後に述べるSAGBなどは宗教性が少ない。綱領の(三)以下に、スピリチュアリスト団体としての特色が見える。
次にスピリチュアリストの国際的組織である国際スピリチュアリスト会議(ISF)の綱領を見てみることにする。この国際会議は、第一回がベルギーのリエージュ(一九二三年)、第二回はパリで開かれ(一九二五年)、その後中断の時期はあったが、今でも三年に一遍、各国の持ち回りで開かれている。ISFの採択した基本原理はSNUの綱領より単純化され、次の四つの項目からなっている。

(一)万有の知的原因としての神の存在
(二)人間は霊魂であり、地上生活時には、やがて滅ぶべき肉体に
中間体(エーテル体もしくは幽体)によって結合されており、
不滅であることの確認。
(三)霊魂は不滅にして、生命の前進段階を経て、完成に向かい不断に進化す。
(四)人間は全存在間にあって、個人および集団ともに、公私の責任を有す。

これらの四か条は、第二次世界大戦以後さらに簡略化され三か条となった。それによると、「スピリチュアリズム」は(a)肉体死後の個性存続、(b)現世・霊界間の通信可能、の事実に基礎を置く」となっており、また「ISFは、神概念、人類同胞思想、霊魂の永遠の(再生の場合を含む)向上、について加盟団体が抱く原理に意見を表明せず」としている(ISFの基本原理については田中千代松『新霊交思想の研究』共栄書房参照)。これは各国の団体間で論争になりやすい部分を予め削除して、最も基本的な部分の合意によっての結束を狙ったものであろう。
これからすれば、スピリチュアリストの最も合意しやすい基本的部分は、死後個性存続の事実と、現界・霊界間の通信の可能性という二つであるということになる。死後個性の存続とは、霊魂の存在と言い換えてもいいが、スピリチュアリストは伝統的にこの表現を用いている。それは霊媒のところに相談に行く人の関心が多くはそこにあったためである。この点ではわが国では霊媒のところに赴く人々の多くが人生上の困難やトラブルの解決処理、ひいては願望希望の実現、達成を求めるのと大分異なる。ヨーロッパではそのような人たちは、占星術師や魔術師の所へ行くのである。
スピリチュアリズムについての公式な定義や内容は、ざっと以上のようなものでよかろう。
スピリチュアリズムを以上のように、また特にISFの現在のごとき基本原理をもって定義づけるとすれば、その及ぼしうる範疇は極めて広く、実際にスピリチュアリストを自認する以上の膨大な数の人々をスピリチュアリストとして教えうることになる。ことにわが国の伝統的民間信仰によれば、先祖は死後も草葉の陰にいて子孫を見守っている。また死者と生者は仏壇を通して語り合い、法事や年回忌、供養(くよう)を通じて相互交流ができる。また必要があれば、祈祷師や、巫女を通して死者の言葉を聞き、かつこちらの考えや希望を伝えることができる。これは「現界・霊界間の通信可能性」と言い換えることができる。
そう考えると、旧時代の日本人はすべてスピリチュアリストといいうることになり、また、民間信仰はそのままスピリチュアリズムの世界である。また事実そう考えて一向差し支えもないであろうし、従って伝統のままの心性を維持すれば、わが国民ほどスピリチュアリズムに帰依しやすい国民はない。もっとも、なまじ人為的な宗教のない自然のままの信仰を維持した古い民族は皆同様なのであるが。心霊研究の科学的部分を踏まえ、また多くの不世出の霊媒によって探索された結果がこのとおりであるなら、現世的な都合や、社会習慣や知的堆積物の上に無用の楼閣を築いたすべての宗教は、深刻な反省をした方がよいことになろう。
こうした一般的な部分は確かにスピリチュアリズムの最大公約数ではあるが、しかし、スピリチュアリストの活動面や、啓蒙書によって見ると、こうした一般公式部分だけでは決してすまないスピリチュアリズムの特色といったものがもっと浮かび上がってくる。

◆二つの霊流の合流

現在、西洋スピリチュアリズムは米英を起点にして広まったものと、フランスを起点にしてラテン諸国に広まったもの(スピリティズムという)との二種類がある。大雑把にいうと、前者が再生について冷淡であるのに対し、後者は教義としてそれを受け入れていること、また前者に比して、後者はキリスト教との親近性が強いことなどの相違がある。しかし現時点での現象面の特色を見ると、アングロ・アメリカン系の前者にハリー・エドワーズを典型例とする霊的治療が盛んであり、ラテン系の後者にはブラジルのアリゴやフィリッピンのトニーで有名な心霊手術が目立つといったような差異点が見受けられる。
西欧に、近代スピリチュアリズムの運動が始まった頃、わが国にも新しい霊的潮流が生じていた。それは江戸時代末期にかけて起こった例の神道系の宗教復興運動である(私は以前この二つを対比的に考えることを試みた。しかし後にこの考えを私に断らずに援用する人が出て、その方が世に触れる機会が多かったので、そのまま流布する傾向もあるのでここに先後関係をはっきり述べておく。そうしないとあたかも私が無断でその人の説を盗用しているような形になってしまう。無断援用は咎めないが、私から読み聞きした人は心のうちにそれを知っているだろう)。
天理、金光などの立教の頃を見ると、だいたいにおいて西欧の近代スピリチュアリズムの成立と期を同じくしていることに筆者は気がついた。しかし、厳密にいうと、この流れはその前の平田篤胤、黒住宗忠まで遡ることができ、そこまで遡ればわが国の運動の発端の方がヨーロッパよりもやや早い。日本の霊流には神審者(さには)流のと巫女型のとがあり、平田、本田親徳の系譜は前者であり、黒住、天理、金光の系統は後者である。そしてこの二つの系統が大本教へと流れこんでいる。出口ナオは巫女型、王仁三郎は両者の混交型である。大本は一時、わが国の霊統を一か所に集めて坩堝(るつぼ)としたものであったが、やがて何派にか別れて飛び散ったものが現代の多くの新宗教のもとをなしている。
大本教から出た前述の浅野和三郎は純然たる神審者型である。浅野は後に、大本を出て近代スピリチュアリズムを輸入し、日本におけるスピリチュアリズム運動の草分けとなった(紹介者という点では高橋五郎などの先駆者がいるが、運動という面から見ると浅野が草分けといってよい)。ここにおいて西洋のスピリチュアリズムと、わが国固有の霊流は接合を果たしたのである。

◆新宗教への影響

浅野は二つの霊流の合流点であったという点でも、特別重要である。
わが国古来の対座式交霊法と、西洋流の交霊法の二つを浅野は試みている。前者は大本仕込みで本田親徳の流れを汲む神審者―神主(巫女)が対座する型で、これは現在「真光」などの教団が踏襲している。浅野はおおよそ二万件くらいこの方式の交霊を試みたという、およそ数の上においても浅野を上回る経験者はでないであろう。そういっためぐり合わせ、運命のようなものが浅野を導いたとも考えられる。ただ浅野は学者らしい合理主義で、後にはだいぶん本田式を簡略化し、西欧の交霊法に近づきつつあった。それは大本以後欧米の心霊行脚を試みて後のことで、いわゆる暗室を用いるテーブル型ないしキャビネット型のものである。物理的心霊現象は圧倒的に後者の方式で発生しやすい。
浅野の始めた日本型スピリチュアリズムの影響の詮議は紙数がないのでここではできないが、俗の形でいえば「守護霊」「背後霊」「指導霊」などということばがある。「守護霊」は浅野の初めて用いたことばで、それまでは守護神であった。浅野はこの守護霊を西洋のガーディアン・スピリットの訳であるとしている。「背後霊」は、浅野の弟子で文筆家でもあった粕川章子、その後の日本心霊科学協会の吉田彩という霊能者の系列で用いられて世に流布したことばだ。また指導霊は西洋スピリチュアリズムのガイドの翻訳である。ほかにも地縛霊、心霊相談、心霊治療、霊査、ラップ、オーラ、エクトプラズム等々、スピリチュアリズムの影響下で人口に膾炙(かいしゃ)したことばも多い。また、総じて、死後の霊界について詳しく語るというのはスピリチュアリズムの影響である。
それ以後、大本において浅野の下で働いていた谷口雅春の「生長の家」をはじめとして、「天行居」、「世界救世教」、「真光」、「白光真宏会」、「GRA]、「阿含宗」、「真如苑」等々、この浅野の日本型スピリチュアリズムの影響を受けない新宗教を見つけるのは困難なほどである。
だいたいにおいてこれらは、大本プラス「スピリチュアリズム」の型になっているものが多い。ことに、大本以後、孤軍奮闘した浅野の研究会、協会組織や著作物の刊行をあわせた啓蒙運動による影響が強いと見られる。
さて、こう見てくると、従来スピリチュアリズムをマイナーの信仰だと見る人が多いが、実は、その影響は計り知れないほど大きいのであって、今後のことを考え併せればむしろすべての宗教を併呑しかねないほどその影響は大きいのである。ましてやスピリチュアリズムが宗教や信仰ではなく、思想であり、考え方なのだとすれば、何も信仰団体として存立の必要は初めからなく、その核心部分のこれまでの伝播力を見れば今後さらにその影響は強大なものが考えられる。わが国において新宗教、新新宗教への影響合流が見られるごとく、スピリチュアリズムの影響はニューエイジの思潮へと流入しているのである。
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