2-(01)「霊信」をどう捉えるか

スピリチュアリズムは、単に「死後存続」「霊の実在」を受け入れるだけではありません。「高級霊からのメッセージ」を受け入れ、それを生き方・考え方の指針とするのです。
サイキカル・リサーチの研究者(もちろん超心理学者も)の人々は、どんなに死後存続や再生を肯定している人でも、「霊からのメッセージ」とされているものには、ほとんど目を向けようとしないようです。それを受け入れるのは「信仰」であり、「科学」ではないと主張し、しばしばスピリチュアリストに対して「軽信の徒」という軽蔑的形容をしたりもします。
しかし、スピリチュアリストは、死後存続を認め、ある種のメッセージを霊的存在から来ている情報だと認めますが、すべてのメッセージを「無批判・無検証」に受け入れているわけではありません。それなりの批判・検証をしているのです。まず第一には霊媒の能力の検証であり、第二には、メッセージの送り手の身分証明であり、さらには、内容の吟味――他のメッセージとの比較検討など――です。

これはある意味で当然のことです。たとえば、文化人類学者は、対象とする地域文化のことを調査する時に、まずはいい通訳を探し、さらにその文化のことを知っている現地人の情報提供者(インフォーマント)を探します。そこでは、インフォーマントが本当にその文化に属し、豊かな知識を持っているかどうかを確認しなければなりませんし、通訳がきちんとインフォーマントの言葉を翻訳できているかを検証しなければなりません(実際、文化人類学の研究ではこれらが研究の質を左右します)。さらに間違いを防ぐためには、複数のインフォーマントからの情報を取り、それらを比較検討するでしょう。
スピリチュアリズムでも事情は同じです。まず、通訳が確かかどうか――つまり霊媒の能力を検証します。ESP・PKの能力など「向こう」と接触できる能力があるか、メッセージを受け取る際、自分の言いたいことをまぜていたり欲得で歪めていないか、さらには、理解力、言語表現力が十分かどうか……。次にはインフォーマント、つまりそこで語っている霊の身分。確かに「向こう」の住人か(こちらの人間では知り得ない正確な情報があるか)、「向こう」のことを広く知っていると思われるか、さらには情報を提供しようとする意図に、欲得や、悪戯や、邪悪な意志が入っていないか……。そして最後には、そうやってもたらされたメッセージをいくつか比較することで、偏らない知見が浮かび上がってくる……
これらはそうたやすい作業ではありません。文化人類学と違って、研究者が現地を訪れることができず、すべてが雑音の多い電話によってなされているようなものだから、なおさらです。しかし、先人の努力によって、かなり厳密に通訳(霊媒)とインフォーマント(霊)の正確さを追求した記録が、多く残されています。インフォーマントと通訳兼研究者が、真実性をめぐって熾烈な論議をした記録もあります(モーゼス『霊訓』)。それらの情報が「真実」であると「証明」されたとは言えませんが、多くの人々が、「信頼できる」という評価を与えてきたものも少なからずあります。さらに現代の私たちは、幸いなことに、それらを比較考察できる立場にあります。
先人たちが「真正の霊からのメッセージである」「内容的に豊かで高度である」と評価したメッセージは、時に解釈の違い、インフォーマントそれぞれの個性による強調点の違いなどはありますが、どれもほとんど共通の「死後世界の情報」を伝えています。

ここでは、それらの伝える「死後世界の情報」を、概説していきたいと思います。
なお、ここで主に依拠したのは以下の情報源です。(書誌情報は「文献・資料」を参照してください)
モーゼス著『霊訓』――霊媒=ステイントン・モーゼス 霊=インペレーター(霊団)
カミンズ著『不滅への道』『人間個性を超えて』―― 霊媒=ジェラルディーン・カミンズ 霊=フレデリック・マイヤーズ
“シルバー・バーチ”の一連の書物――霊媒=モーリス・バーバネル 霊=シルバー・バーチ
なお、このほかにオーエン著『ベールの彼方の生活』(4巻)、クック著『ホワイト・イーグル霊言集』なども、スピリチュアリズムの重要な「情報源」です。

なお、この「基本編」では、霊が伝える「死後世界の情報」を紹介していくわけですが、記述に際して、「霊によれば」「と言われている」といった表現は煩瑣になりますので、「……は……である」といった簡潔な文章を用いることにします。中には、人間が(超越的存在でもないのに)このようなことを書くことは越権的・説教的だと思われる場合もあるでしょうが、それはご容赦いだだきたいと思います。