6.霊的探究におけるスピリチュアリズムの位置

霊的探究におけるスピリチュアリズムの位置

掲載日:2008年1月31日

スピリチュアリズムの最小定義は
①人間の個性は死後も存続する。
②現界と霊界は交渉可能である。
という2項目とされていますが、スピリチュアリストの多くが信を寄せ敬を抱く霊信は、それ以上の「心の持ち方、生き方」を説いています。そこに示された「道」の姿は、他の宗教や神秘主義的探究が示す「道」と比べると、ある特定の色合いを持っているように思われます。その色合いとはどういうものか、とりわけ近い関係にあるニューエイジや神智学などとはどう異なるかを考えてみようというのがこのエッセイの主旨です。
ただし、「一つの道だけが正しい」と主張する意図はありません。道はいくつもあり、その人なりの好みや位置によって(あるいは前世からの課題によって)、歩むべき道は異なるでしょう。目指す山頂は一つなのかもしれません。ただ、いくつもの道を同時に歩くことはできないし、こちらの道をちょっと行っては引き返しまた別の道を行く、ということは効率的ではない、ということはあるでしょう。どの道を行くべきかを大まかな見取り図の中で確認することは有益でしょうし、また、自分の好みがどういう傾向のものかを自覚していくことも必要だと思います。
ここで述べることはあくまで一つの試みに過ぎません。間違いや偏りもあるでしょう。けれども、上記のことに関して、一つのヒントとなればと願うものです。

◆スピリチュアリズムの通時的位置

下図は、スピリチュアリズムやニューエイジに、どのような宗教的伝統が関与しているかを、試みに図示してみたものです。ただしかなり大雑把な括りとなっており、関係があまりないと思われるものは省略してあります。
スピリチュアリズムに流れ込む伝統としては、シャーマニズム、非正統的キリスト教、スウェーデンボリ、メスマーなどが挙げられます。これに対して、神智学やニューエイジには、東洋宗教やオカルト学などの影響が強くあります。これは、一見似たようなものと捉えられるスピリチュアリズムと神智学・ニューエイジとの違いを考える上で、重要な示唆を与えてくれるものと思われます。
スピリチュアリズムは、インド宗教に顕著に見られる「自己研鑽」「苦行」といった要素は持っていません。また、オカルト科学に由来する「物質の統御」「物質の神秘化」といった要素もありません。

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◆スピリチュアリズムの共時的位置

下図は、二つの指標によって、様々な宗教思想(およびそれに準ずるもの)を位置づけした、あくまで仮説・試みのものです。
縦軸は、霊的存在を重視するか、それとも、人間の心の力を重視するかという、心霊研究でたびたび問題となる二つの傾向(マイヤーズ問題)を対立的に示したもので、霊的存在の関与が大きければ大きいほど上になります(一神教の場合、霊的存在を神のみに限定する傾向があるため、多神教の方がこの傾向は強くなると捉えています)。
横軸は、人間の自己を拡大強化する傾向を持つか否かというものです。霊能力、潜在能力などを開発して現実を改善していこうとする傾向(これを「オカルティズム」と呼ぶ)が左側に、そういった方向をめざさず、内省的瞑想や自己滅却に向かうのが右側になります。

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スピリチュアリズムの位置は、霊的存在を重視し、かつ自己の拡大強化を求めない、という傾向があると思われます。同じく霊的存在を重視しながらも、霊術など特殊能力の獲得を目指す密教や修験道とは、大きな隔たりがあります。また、内省的・自己滅却的でありながらも、霊的存在を考慮しない仏教とも異なります。さらに、個人の心の力を重視し、実利的・自己拡大的志向を持つニューエイジとは、まったく対極にあることがわかります。「スピリチュアリズムはオカルティズムではない」ということは、はっきりとさせるべき問題点だと思われます。
なお、キリスト教は唯一神に向かうあまり霊的存在一般に抑圧的にもなると思われます。また個の自己拡大に対しては抑制的ですが、「教会の拡大」という“集団的自己拡大”に向かうように思われます。(イスラームにもこのことは当てはまるかもしれません。)

以上、あくまで試みに過ぎませんが、スピリチュアリズムと他の宗教や霊的探究との位相の違いを考えてみました。いろいろと異論・反論はあると思います。どうぞご意見をお聞かせください。
(本稿は、2007年12月21日のTSL勉強会「スピリチュアリズムと諸宗教およびニューエイジとの関係」における発表を基にしたものです。)

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