【付録】

不滅への道 付録
(F・W・H・マイヤーズによる霊界通信)

G・カミンズ筆記/梅原伸太郎訳
(C) 2000 by Shintaro UMEHARA

掲載日:2010年11月18日

【内容】
交差通信の記録(E・B・ギブズ)
要約(E・B・ギブズ)
補遺
1 『クレオパの書』について
2 霊光
3 「他界」からの通信
4 地上生活の記憶を通信する困難
5 動物の死後存続
交差通信の記録〔訳注1〕  E・B・ギブズ

フレデリック・マイヤーズが、私の出席する交霊会で最初の通信を送ってきたのは、一九二四年の十一月のことでした。その時カミンズ嬢と私は、ある年輩の夫妻――R大佐夫妻――の御招待を受けていました。ご夫妻は永年心霊問題に興味を持っていたのでした。彼らはその頃、簡単な「ウィジャ盤」〔訳注2〕によって、死者からの通信をこれまでにかなりの量、受け取っていると言っていました。そこでもし、カミンズ嬢と一緒に組んでそれをすることができたら、どんな結果が得られるであろうかと、期待に胸を膨らませていたのでした。
カミンズ嬢とR大佐は小さなテーブルに向かい合って座りました。テーブルの上にはアルファベットの文字が円状に並べられ、二人の手は一個のグラスの上に置かれました。数分後、グラスが動き出し、一文字、一文字次のように綴りました。「フレデリック・マイヤーズだ。研究者の諸君。諸君は私の友人たちをご存知か?」

【ギブズ(記録係)】 どの友人ですか? 私たちはもちろんあなたのことを知っています。
【マイヤーズ】 バレットのことだ。
【カミンズ】 ウィリアム・バレット卿 のことですか?
【マイヤーズ】 そうだ。バルフォアもだ。いよいよ地上と交信する時がやってきた、と承知してもらいたい。

その時この霊は、何とかして、いわゆる「交差通信」[原注1]を試みて、二、三の霊媒を通し同時に話してみたいという希望を述べました。そう言って霊が離れると、グラスの動きはピタリと止まりました。
「フレデリック・マイヤーズ」という名前が出てきた時は全く驚きました。彼と接触を持つなどということは、思ってもみなかったからです。またほかでも述べましたように、彼に対する個人的な興味もありませんでした。実のところ、私たちは、R夫妻の友人が交信してくるものとばかり思っていたのです。R夫妻の方はといえば、彼らにとっても、マイヤーズは赤の他人でしたので、予期せぬ交信結果に少なからず失望したものでした。
考えてみますと、マイヤーズの指導に従ってみるのも興味があり、また、彼の出現が、「潜在意識」という未知のものによる創作にすぎないかどうか確かめるのも面白いので、私は、カミンズ嬢の支配霊である「アスター」に、マイヤーズを探してくれるように頼み、結果を待つことにしました。
一週間たち、私たちの部屋でいつもの交霊会を行っている時、マイヤーズは再び私たちに話しかけてきました。

【マイヤーズ】 話しかけてもよろしいか?
【ギブズ】 フレデリック・マイヤーズさんですね?
【マイヤーズ】 そういう名で呼ばれていた者だ。
【ギブズ】 あなたに質問してもかまいませんか?
【マイヤーズ】 かまいませんとも。私は新しい霊光[原注2]に牽(ひ)きつけられてここに来た。
【ギブズ】 先日、ある御老人のところで話しかけてきたのはあなたかどうか知りたいのですが。
【マイヤーズ】 その老人を通して話しかけようと思ったのだが、あの時は大変混乱していたようでうまくいかなかった。誰か他の者も話したがっていた……。その他にも邪魔があったのだが、何とか私の通信を送りたいと頑張ってみた。
私は主観的心霊現象に潜在意識の干渉が入る可能性について述べ、心霊現象を研究する上では、現象にそれが混入する事例があっても、ある程度やむをえないと許容されるべきではないかと申しました。
するとマイヤーズを名乗る霊は、霊媒の内在意識が他界からの印象を受け取る時の仕方を説明したのです(序文参照)。
この自動書記が進行する間に、もしこの「自称」マイヤーズ霊がオズボーン・レナード夫人に通信を送ることができれば、証拠という観点からして面白いのではないか、という考えが、ふと、私の心に浮かんだのです。実はその後すぐにもレナード夫人との交霊会の予定があり、私は霊にこの提案をしてみました。しかし、約束の日がいつかということは言わないようにしました。ところで、こうした自動書記によるこの世とあの世の通信においては、出席者が通信の内容について大声で何かを言うと、答えがすぐに自動書記で返ってきます。この提案に対してマイヤーズは即座に、何とか工夫してみようと答え、「私としては通信できることが無上の喜びだ」と付け加えました。そしてさらに次のように述べました。「ご承知のように、私は死ぬ前に、人間の個性が死後も存続することについては確信していた。しかし決してそのことを公にはしなかった。こんなことを言うのは、われわれが今会話を交わし合っているのだということを、もっと積極的にあなたに信じてもらいたいためだ。信念の欠如はお互いの間に壁をつくってしまうから。」
その交霊会の後の方になって、私は彼がレナード夫人の支配霊フェダを通して通信しようとする内容をあらかじめ私たちに言っておくべきだと提案しました。すると彼はこう答えました。「よろしい。やってみよう。あなたとお目にかかれて本当によかった。」
以上の会話は何の変哲もなく聞こえることでしょう。しかし、もし人間の個性というものが死後にも存続し、死は肉体という物的衣装を脱ぎ捨てるだけのことだとすると、こうした会話こそ自然なのです。
レナード夫人とカミンズ嬢による交差通信に筆を進める前に、マイヤーズがR大佐夫妻のアパートメントに現われた理由について、説明しておいた方がよいと思われます。この点については彼は次のように答えました。

われわれは現在、顕幽通信のための時が熟したと考えている。この努力は、地上の様々のところでなされていると思う。そこでわれわれは、新時代を開き、人類に対し、個性も人格も破壊されずに死後も存続することを確信させる機会を掴む決心をした。そこで私は、地上の人々がわれわれと交信したがっている合図を見つけ出そうとした。私とあなたがたが最初に出会った時は、その合図が明瞭に出ていたと言える。それゆえ、実際にやってみて、通信の困難さに遭遇した時は、少しばかり失望した。他にも話したいと熱望する者がいたので、あの晩にふさわしい形での通信を送るのは難しかったのだ……。
われわれは二つの方法でよび出される。一つは受信者側の熱い希望によってである。こちらへ来てみると、熱望は、肉体を持ったあなたがたが想像もできないほどのある力を持っているのである。それは牽引する「何か」であり、迅速な招霊を実現する。通常われわれの方もそれに応じたいと強く思うものである。第二の場合は、霊媒や参会者には強い希望がなくて、われわれのほうにそれがある場合である。私は新しい霊媒を見つけ出したいと思っていた。あの時の二人のような霊媒を私はずっと求めていたのだ。あの晩二人が座って交霊を始めたとき、かなりの強い霊光が輝いていた。それは私にも見ることができ、私たちはそれまで何のかかわりもなかったのだが、私はあなたがたに話しかけることにしたというわけだ。あれは少々無茶なやり方であったかもしれないが、ともかくあんなやり方で自己紹介をすることにしたのだった……。

オズボーン・レナード夫人とカミンズ嬢は当日までお互いに面識がなかったことを強調しておく必要があります。むろん手紙その他でのやり取りもありませんでした。それゆえ、両者に意識的な連絡がなされたとの考えは全く排除されなくてはなりません。私も交霊会以外にはレナード夫人と接触を持ったことはありませんでした。
以下に関しましては、一九二四年十二月十二日金曜日に行なわれた心霊研究協会〔SPR〕の大会に言及しておく必要があろうかと思われます。この会合で、故バルフォア卿は、ギルバート教授と数人の人々の間で実施されたテレパシー実験についての見解を述べました。カミンズ嬢も私もこれに出席しており、新聞にはこの大会のことが詳細に報じられました。
十二月十四日の日曜日、カミンズ嬢は私の部屋で自動書記をとりました。以下は私のコメントを添えたその時の記録です。

【アスター】 アスターです。私をよびましたか?
【ギブズ】 フレデリック・マイヤーズに出てくれるように言っていただけますか?
【アスター】 分かりました。ちょっと待って下さい。
(間)
【マイヤーズ】 私に会いたいということだが?
【ギブズ】 何か通信を送って下さるということでしたが? フェダを通して送って下さるとおっしゃいましたね。
【マイヤーズ】 確かに、やってみたいと思っている。フェダはたぶん通信を受け取れると思う。文章にした方がよいだろうか?
【ギブズ】 おまかせします。
【マイヤーズ】 一つの観念とかイメージを送るよりも、文章を半分送る方が難しい。二つのテーマを出してみよう。一つは交霊に関することがよかろう。この人〔カミンズ〕を通して私が今話しつつあるという意味のことをフェダを通して伝えてみようか……こちら側で考えていることを言ってみてもよいかね? まず、われわれは、先日、バルフォアが最後になっていったことを知っている、と言っておこう。あなたがたはあれはバルフォアの考えだと思っているかもしれないが、実は、仕方なくあの話をしていたのだ。おしまいには反発心さえ持っていたのだが、彼は外部の力でむりやり喋らされていたのだ。というのは、死者つまりガーニーと私の強い想念がさせたわざだ[原注3]。私はこのことをフェダに伝えようとしてみよう。これは難しい。だから失敗してもフェダのせいでも私のせいでもない。ほかにぜひとも話したいと思う者がいる時はうまくいかない。あなたに一つ頼みたいことがある。フェダのところに行く一日か二日前に、私がこの女性を通して書いたことについて強く思念してみてほしい。そう、私、フレデリック・マイヤーズについて考えるのだ。名前を呼び、姿を思い描いてくれたまえ。そして次のように思念すること。「マイヤーズは自動書記の中でこう述べた。バルフォアがこのあいだ演説した時、マイヤーズらに強いられて彼が話したくないことを不承不承話させられた」と。あなたの考えでは、「それではテレパシーになってしまう」と思うかもしれない。しかしそれは、あなたからフェダへのテレパシーという意味なら、全く違う。あなたの行なうこうした精神集中は次のように働く。すなわち、それは、私をあなたがたの交霊会へと引き寄せる念力を生み出し、私がフェダに近づいて通信を伝えるのに必要な力を私に与えることになるのだ。あなたもお分かりのように、私とあなたとの間には元来何の強い結び付きもない。そこで私がそこへ引き寄せられるための強い磁力が必要なのだ。
【ギブズ】 あなたはその交霊会で、そちら側にいる私の友人のNさんとお会いになるかもしれません。
【マイヤーズ】 喜んでその人とお目にかかろう。しかし私がその人と話ができるかどうかは、その人の幽体(soul-body)が粗くできているか精妙にできているかによる。
【ギブズ】 会が終わる頃になってもフェダが何も言い出さなければ、ほかの通信者がいないかどうか尋ねてみるのは構いませんか?
【マイヤーズ】 どうぞ。それは役に立つだろう。新境地を開くことは難しい。一度あなたのいるところで私が話すことができれば、後はずっと容易になる。われわれが想念の糸を霊媒に投げ掛けることができれば、次回はそれをたどって行きやすくなるのだ。(ギブズ注:私はここで、霊媒と私がバルフォア卿がテレパシーの問題について話した時の会に出ていたこと、そしてその記事はいくつかの新聞に載ったことを説明し、そういうわけで、このテーマは、交差通信の対象としては不適当なのではないかと述べました。)了解した。それでは他のイメージについて考えることにした方がよさそうだ。あなたはこの女性を通して私が最初に書き送った内容を覚えているかね。私はフェダに、「私が死ぬ前、死後存続の問題は証明されたという私の確信を表明する本を書こうとしていた」と告げるとしよう。その本は出来上がってはいなかったが、私は膨大な関係資料を集めており、それらは私の見るところでは死後存続を明確に説明するものなのだ。そこであなたは、フェダのところへ行く前に、私のこの文について考えてもらえば大変効果があるだろう。バルフォアについては、どうか記憶から消し去ってもらいたい。その代わりにフレデリック・マイヤーズは、死後の存続が疑いもなく明確に証明されたという確信を表わした本を、死ぬ前に書こうとしていた、という事実を思い浮かべてほしい。私は誰かがこの私の計画を知っていたとは思えない。しかしながら事実はその通りなのだ[原注4]。お望みならフェダに伝える二つの事柄を、短い文章にしておこうか?
【ギブズ】 ええ、どうぞ。
【マイヤーズ】 第一の文、「フレデリック・マイヤーズは、この女性を通して文を書いた」。第二の文、「フレデリック・マイヤーズは、生前、死後存続の問題はその結論において証明された、との確信を表明する本を書こうとしていた」。さあ、これで、私の意見表明と署名があなたの手中にあるわけだ。私が成功するかしないかは条件次第、つまり、あなたの霊力ならびにフェダにコントロールされている霊媒の力量いかんということになろう。どうか、今夜眠る前にこの二つの文を心に描いてくれたまえ。こちら側から現世に向けての実験を行なう機会を与えてくれたことを、あなたに感謝する。

翌日にあったレナード夫人と私の交霊会の前半は、いつもの通信霊たちによって占められていました。会が終わろうとする頃になっても、マイヤーズへの言及が何もなかったので、私はフェダに、誰かほかに、私に話しかけたいと思っている霊がいないかどうか探してくれるように頼みました。フェダは私の当てにする人とは別の何人かの名前を挙げました。そこで私は、少しばかりヒントを出すべきだと思ったのですが、肝心なことは漏らしてしまわないように注意して、フェダにこう言いました。今、私は、ある人物のことを考えているが、”それは男の人で、かなりの重要人物です”と。私が探してもらいたい人物の年齢とか、どんな種類の重要さなのかについては、何も言わなかったことに注意していただきたいのです。
すると、彼女は以下のように話し始めました――

(以下は、一九二四年十二月十五日、月曜日、午前に行なわれた、オズボーン・レナード夫人との交霊記録からの抜粋です[原注5]。文中の斜体部分は正しい言明であることを示します。)
【フェダ】 これはTさんではなくて、誰かほかの人です……。若くはない、かなり年輩の男の人がここに来ています。私にはまだ見えないのですが、ここにいることは分かるのです。前にもここに来たことがあります。そしてここではなくて、ほかの所で通信しようとしました。ほかのどこかでです。この人はこうしたことにかなり興味を持っている人のようです。私はこの人のことをよく知る必要がある、というふうに感じます。旅行してまわったことのある人のようです。地上生活中いろんな所に行って人に会ったり、見物したりしました。この人はかなり突然に亡くなりました。私にはいつも人の死が急だったかどうかが分かるのです。この人を見ることはできません。名前が分かるといいのですが。
【ギブズ】 その人はもっと近くに来られると思いますが。
【フェダ】 近づこうとしています。彼は何か書きものでもしたんですか? 書きものというふうに感じます。そう難しい書きものというわけではないようです。彼が書いたのは二種類の書きもので、テーマはほとんど別なようです。二つの全く違った書き方をしています。Mです。Mという大文字が見えます。彼は詩も好きだったんですか? やはり、大文字のMが見えています。でも彼が私に何を示そうとしているのか分かりません。おや、今度はたくさんの詩が見えます。分かりますか、彼が見せようとしているのは新しい詩ではありませんよ。――この人は古い詩が分かるような、かなり頭のよい人だったんですね――古典、特にヴェルギリウスの詩です。かなりヴェルギリウスを勉強した人です。何かあなたと約束していますね。
【ギブズ】 素晴らしい!
【フェダ】 この人が姿を見せられないなんておかしくありませんか? あなたは最近、この人が興味を持ったある場所へ行きましたね。そこへこの人も同じ時に行っていました。そしてそこにはこの人の友人たちもいました。この人がこれまで援助したり、影響を与えたりしてきた人々です。
【ギブズ】 そうです。その通りです。
【フェダ】 その場所は亡くなった人たちで一杯でした。その人たちはこちらの世界へ来て進歩を遂げ、引き続き善徳を積んでいます。Lもそこにいました。
【ギブズ】 誰ですって?
【フェダ】 ご存知のはずですよ。この人もLには関心があります。
【ギブズ】 分かりました。全くその通りです[原注6]。
【フェダ】 ちょっと待って下さい。よく分かりませんが、そこに何人かの人がいたようです。かなり分かってきました。三日です。三日前に、あなたは、この人と関係のあることで何かをしていましたか?
【ギブズ】 はい、間接的にですが。
【フェダ】 三日前に、というふうに受け取れます。
【ギブズ】 そうです。三日前です。
【フェダ】 あなたは漠然とこの人と接触を持ちました。この人に関心のあるやり方でです。それが何であるか私には分かりません。彼は何者なんですか? 彼は最近起こったあなたも知っているあることに大変関心を持っています。彼があなたに興味を持ったのはごく最近のことです。彼は今日まさにあなたに引きずられてここにやって来たのです。だから、あなたはしくじらなかったと思ってよいのです。
【ギブズ】 彼に感謝します。
【フェダ】 フレッドです〔フレデリックの愛称〕! 私は今、フレッドという名前を受け取っています。フレッドさんと関係ある何かです――オリヴァー・ロッジ卿のことを知っている頭の良い人。あなたが今日の会見を約束した人です。それは最近になってあなたに起こったことに違いありません。私にはそれが起こったばかりのことのように感じられます。
【ギブズ】 そうです。つい最近になってのことです。
【フェダ】 私には、あなたは誰かを通してこの人のことを知った、というように感じられます。彼はそれを喜んでいます。そのことはすでに済んでしまったとか、終わってしまったとかいうのではなく、今もって続いていることです。
【ギブズ】 そうあってほしいですね。
【フェダ】 フェダがこの人の名前を知る前にいくつかの事実を掴んだやり方もそれと全く同じだったのです。これで、フェダがすぐには彼のことを掴み切れなかったわけがもっとはっきりしたでしょう。そのために彼は一所懸命ヴェルギリウスのことを話題にしようとしたのね。この人は、地上界でのと、こちらから地上へのと、両方のテレパシーの科学ができればいいと思って、それに役立つ証拠集めに全力を注いでいると言っています。彼は別のところでもう一度挑戦して成功させたいと考えています[原注7]。
【ギブズ】 彼は、今日の会見の約束をした時、何を話したか覚えていますか?
【フェダ 覚えているけど、今それを言うことができないのではないかって、ちょっと心配しています。彼は、この会が終わってもあの会については何も言わないように注意しなくてはいけないって言ってるわ。――たぶん、別の時にうまくやれるでしょうって……彼はこちらの世界でとても忙しくしているんですが、いつも地上との交信を証明する新しい方法を考えていて、あなたが彼にその機会をつくってくれたのを感謝していますよ。ちょっと待ってね。おや、まあ、昨日ではなくて日曜だったのね。(間)あなたはつい最近も彼と話したでしょう。昨日のことよ。
【ギブズ】 全く素晴らしい。
【フェダ】 金曜日の日にも彼との間接の出会いはあったんですけど、昨日のことと関係があるとは夢にも思わなかったのね。これらの出来事は、ある意味では全部あなたを通して起こっています。
【ギブズ】 まさにその通り。
【フェダ】 金曜日には彼がそこにいたことをあなたは知らなかったと言っています。なるほど、彼はこう言って笑っているわ。「本当はそう思ってみるべきだった。あそこは私の楽しい狩場だからね」って。
【ギブズ】 (笑って)ええ、分かります。
【フェダ】 あなたはなぜ苛立っていたんですか? あの時、あなたは話に興味があったけど、心の中に何かがあると感じたと、彼は言っています。――あなたは不意に誰かに苛立ちを感じたんですが、なぜなんですか?
【ギブズ】 全く思い出せません。
【フェダ】 もっともな理由があったのだ、と言っていますよ。理由なしに苛々したわけではないって。
【ギブズ】 私が苛立っていたというんですか?
【フェダ】 誰かが少しばかりあなたの神経にさわっていたみたいね。
【ギブズ】 金曜日に間違いないですね?
【フェダ】 金曜日だと思うって言っています。そこであなたと一緒だったからって。

この交霊会はこのあと、まもなく終わりました。そしてマイヤーズについてはこれ以上何も出てきませんでした。この抄録には、レナード夫人とカミンズ嬢との間の交差通信がかなり見られます。たとえばフェダは、こうしたことにかなり興味を持った人で、ほかのところで私に通信しようとした年輩の男性について触れました。そして、大文字のM、彼が私との会見の約束をしたことなどを述べ、それから、われわれが交差通信には不適当なので記憶を「消して」しまおうとした例のSPRの会合のことに移っていきました。
フェダはまた以下のようにカミンズ嬢の自動書記と符合する点を指摘いたしました。
「あなたは最近この人が興味を持ったある場所へ行きましたね。そこへこの人も同じ時に行っていました。そしてそこにはこの人の友人たちもいました。この人がこれまで援助したり、影響を与えたりしてきた人々です。」
「三日前に、あなたは、この人と関係のあることで何かをしていましたか?」
「あなたは漠然とこの人と接触を持ちました。この人に関心のあるやりかたでです。それが何であるか私には分かりません。彼は何者なんですか? 彼は最近起こったあなたも知っているあることに大変関心を持っています。彼があなたに興味を持ったのはごく最近のことです。彼は今日まさにあなたに引きずられてここにやってきたのです。だからあなたはしくじらなかったと思ってよいのです。」
「フレッドという名前」
「あなたが今日の会見を約束した人」
「私には、あなたは誰かを通してこの人のことを知った、というように感じられます。」
「あなたはつい最近も彼と話をしたでしょう。昨日のことよ。」
「金曜日の日にも彼と間接の出会いはあったんですけど、昨日のことと関係があるとは夢にも思わなかった。」
またフェダが言った「彼はあなたが彼にその機会をつくってくれたことを感謝している」ということばは、私が前夜カミンズ嬢を通して言われたのと同じでした。
「誰かを通してこの人を知った」というのは、まさに、カミンズ嬢を通してもたらされる自動書記を読む私の態度を言ったものですし、またそれは、マイヤーズが彼女を通して話すという「観念」を伝えています。通信者が、自動書記を取っている人の名前もイニシャルも言おうとしなかったことは注目されます。もし彼がそうしようとさえすれば、フェダは一挙に、カミンズに言及するという結論まで行ったかもしれません。なぜなら、彼女(フェダ)は以前の交霊会で何度かカミンズ嬢のことを私に話していますし、私はこの前の自動書記の時にこのことをマイヤーズに知らせてあるからです。したがって、マイヤーズさせその気になれば、カミンズ嬢の名前を言うことには何の困難もなかったはずです。しかし彼がカミンズ嬢に言及するやり方をみますと、心霊研究に熟達した通信者を思わせるのです。もし彼がすぐにフェダにカミンズ嬢の名前やイニシャルを告げるとか、彼女と自動書記を結びつけることを言ったとしますと、秘密が漏れてしまうばかりでなく、私からレナード夫人へのテレパシーないし想念伝達〔訳注3〕だという説明がされてしまうかもしれません。
さらにマイヤーズは、私が言い出して、私の「記憶から消し去る」ことにしたSPRの会合のことについて注意深く言及しました。と同時に、わたしたちが「昨日のこととつなげられなかった」ということばを加えることによって、彼がSPRに言及する文は破棄されたこと、またそのために、その文が、私が精神集中するように指示された二つの文の一つではなくなったことを彼が充分了解していることを示したように思われます。
にもかかわらず、レナード夫人は単に私の心中を読み取って前述のように翻訳したのであり、彼女はSPRの会合についても知っていたのだと言われるかもしれません。しかしながら、私がフェダに対して、ほかに誰か通信霊がいないか探してほしいと頼むまでは、それまで私の心の中の最大の関心事であったことについて、彼女(ないしレナード夫人)が何の印象も受け取っていなかった、という点が注意されるべきでしょう。
それはそれとして、フェダは、テレパシーその他では説明しがたいあることに言及しているのです。つまりそれは、彼女が突然、SPRの大会のときに私が苛立っていたことについて触れ、「あなたは不意に誰かに苛立ちを感じたようですが、なぜなんですか?……もっとも理由があった……誰かが少しばかりあなたの神経にさわっていたみたい……金曜日だと思う」等々と言ったということです。
レナード夫人が、このような情報を獲得できるなどということは普通では考えられません。しかも言われたことは全く正確なのです。私はその時、私の席が友人――F夫人――と隣合わせたことで閉口していました。といいますのは、F夫人のSPRに対する態度はいつも私を悩ませていたのです。フェダは、苛立ちは「ある人」によって引き起こされたもので、ある出来事のためではないと言い、それはもっともなことであり、SPRの特別会で起こったことだと明確に指摘しました。マイヤーズがこの会に来ていて私の心の中を読み取ったとしたら、彼はそれをきっともっともな理由だと考えたことでしょう。F夫人の心霊現象に対する態度は浅はかで愚かしいところがあり、マイヤーズのような真摯な研究者から見ると陳腐きわまるものであったと思えるのです。
このとるに足らない些細な事実は、眼に見えない霊が無意識の苛立ちを読み取ってレナード夫人に伝えた、という以外には説明のしようがないのです。しかし、私の不快感の記憶が無意識に記録されて、それをレナード夫人が潜在する感情として感知したのだと言えなくもありません。しかし交霊の時の記録された内容から見ますと、私はこの時、この苛立ちの感情について想い出せず、フェダの指摘を聞いても全く何のことか分からないでいたようです。
マイヤーズがフェダに言うべく用意した文のうちの一つは、全く思いがけない仕方で私に届きました。ここに挙げられたことがすべて想念伝達で説明されたならば、(暗示を与えてはならないと決められたことまで含めて)いったいなぜ、レナード夫人は、マイヤーズの本に関する言明を受け取ることができなかったのでしょうか? それは明らかに、私の心の中に強くあった二つの観念のうちの一つなのです。
マイヤーズは、私たちがお互いに避けよう、と打ち合わせたことに慎重に言及しようとしたらしく思われます。これはやはり在世中、心霊現象の研究に慣れていた霊らしいところです。さらに言えばマイヤーズは、カミンズ嬢を通しての実験に即興的な効果を狙ったものと見えます。
私たちはまた、マイヤーズが、レナード夫人の交霊会で、最初に自分について明らかにしようとしたやり方に注意してみる必要があります[原注8]。その中で、彼は自分が、異なった二つの主題、つまり詩や古典文学について書いていたと言っています。
私はマイヤーズが他のSPRの会員たちにも同じ霊媒を通して通信を送っていたことを知っていました。しかしこのことは、彼が私個人および、私とカミンズ嬢のかかわりについて提供した証拠を無効にするものではありません。
自動書記によるカミンズ嬢との交霊会が持たれたのは、十二月十七日、すなわち、レナード夫人との交霊会の二日後のことでした。この時私は、逆に出てみようと考えて、マイヤーズがレナード夫人のところで言ったことは何であるかを、カミンズ嬢を通して言ってほしいと要求してみました。
私がこのことについて、カミンズ嬢とは全く話し合っていなかったことを明確にしておかなくてはなりません。彼女は私がレナード夫人と会ったことも、また実験に成功したことも知りませんでした。彼女がそれについて持っていたかもしれない記憶は、たまたま、彼女の心から完全に消し去れていました。その数日間、彼女は彼女をおそろしく悩ませる、私的な事件に対処するのに全く心を奪われていたのです。マイヤーズに尋ねる時、私は、この実験的な交差通信の成功不成功についてヒントとなるようなことは何も言うまいと努めたのです。
交霊はいつものようにして行われ、アスターはすぐに、フレデリック・マイヤーズがそばに来ていると告げました。

【マイヤーズ】 このあいだの実験は、ある意味からすれば、失敗であったことをお詫びしたい。
【ギブズ】 どういうふうに失敗したのですか?
【マイヤーズ】 あなたがある提案をされ、私がそれを実行しようとした。しかるに状況がおもわしくなく、私はあなたがこの件に関して何も収穫らしいものを持ち帰らなかったのではないかと思う。
【ギブズ】 あなたはお出になられなかったのですか?
【マイヤーズ】 いや、私は何とか私の意を伝えようとしたし、また支配霊の注意を惹きつけようと努力もしたのだった。しかし、彼女はどうも、あまり活発すぎて、私に気がついてからも、私が伝えようとする真意を掴めなかったようだ。彼女がはっきりと何かを言うと、今度は私の方がついていけなかった。地上に合わせようとすると、私の知覚の働きは鈍くなってしまう……。私はまるで、機械がゴウゴウ唸(うな)っている工場にいるような気がしたものだ。必死に精神集中することで、ようやく、私の考えの幾分かを伝えることができる状態だった。私のそばで多くの霊の想念が飛び交っていたが、フェダはその中の二つ三つを選んで伝えるだけだった。
【ギブズ】 でも、私は大成功だったと思いますよ。
【マイヤーズ】 何と、これは驚いた! 私は一所懸命やりはしたが、私の用意した文の一部しか受け取ってもらえなかったと思っている。
【ギブズ】 あなたはご自分の言ったことを全部覚えておられますか?
【マイヤーズ】 私は、この女性を通して言っておいた第一の文については、伝達しえたと思っている。私は本のことについても伝えようと試みた。本については触れえたと思うが、いかんせん精確さが不足していた――つまり、死後の生存は断然証明されたという私の信念を表明した本であるという事実が欠けていたのではないかと思う。
【ギブズ】 その点については、はっきりしていませんでしたね。
【マイヤーズ】 そこが大事な点だったのだ。私がそれまでに書いた本においては、死後の生存に関する点が強調されていず、明確にもなっていかなかったということを知っておいていただきたい。多くの霊が地上と交信する際の奇妙な混乱に心を奪われ、かつ興味もひかれていた次第だったが、おかげでもちろん、もっとも肝心な点、つまり、私が生存中に死後の生存を確信していたという点を伝え損なった……。

以上に関しては次の諸点が注目されるべきでしょう。
マイヤーズの書記には、冒頭に「ある意味からすれば、失敗であった」と出ました。これは二つの文の内容を厳密に考えるならばその通りです。さらに彼は、彼の存在を感じさせることには成功したこと、私の要求を実行しようと努めたこと、そして「状況が悪かった」ことなどに触れています。私は、カミンズ嬢に対しては、マイヤーズがレナード夫人を通して通信してきた件について何も言っていませんでしたが、彼は私の質問に答えて、すぐさまきっぱりとこう言いました。「支配霊の注意を引きつけようと努力をした」と。読者が、レナード夫人の交霊の最初の部分とそれについての私の注釈をご覧になれば、このことばの正確さがお分かりになるでしょう。フェダが最初誰が通信しようとしているのか分からなかったというのは本当です。記録されていることばの端々から、マイヤーズがフェダの注意を引こうとして苦労している様がよく分かるのではないかと思います。カミンズ嬢(彼女はその頃、レナード夫人の交霊会については何も知りませんでした)を通して、彼は、多くの霊の想念がまわりを取り巻いて邪魔になると言いましたが、確かにその時、フェダのそばにはいくつもの霊がうろついていたようでした。フェダはそれらの中から二、三の霊だけを選んだというのも事実です。「私の文の一部を受け取ってもらえなかったと思っている」と言ったのも正確な表現でした。
フェダを通して言ったことは何かという私の質問に答えて、彼は即座にこう答えました。彼は第一の文、すなわち、「この女性を通して話した」の部分は、フェダがはっきり述べたので、伝えることができたと信じていると。次いで本の件について、伝えることは伝えたが、「精確さが不足していたと思う」との意見を言いました。フェダは二種類の本について述べたので、これも正しいようです。しかしこの本についての直接の言表、すなわち、死後存続についての彼の信念に関する部分は指摘できませんでした。ただフェダは、「この問題にかなり興味を持った人」というような間接的な表現をしたにとどまったのです。
右に整理した諸点の結論として、私が答えの中であまり多くを言ってしまうのは、自動書記者に情報を漏らしてしまうことになるのでしたくない旨を申しますと、マイヤーズはそれに答えてすぐにこう言いました。

【マイヤーズ】 そうだ、よく分かる。私は、あなたがこのようなテーマには不向きだと言ったにもかかわらず、バルフォアについて少し何かを言おうと試みた。しかし繰り返すが、あの場の騒がしさのためにそれも難しかった。

さて、振り返ってみますと、この自動書記霊媒の心に残った内容から言えば、「バルフォアやSPRの会合については何も言及がなかった」ということだったろうと思います。けれども、もし、フェダが「マイヤーズがたしかに援助したり、影響を与えていた人々」という表現によって、SPRの会合に関するマイヤーズのメッセージをなんとか通訳しようとしていたのだとすれば、バルフォアについて「何かを言おうと試みた」というマイヤーズの発言は、レナード夫人を通して伝えられた内容を裏付けるものです。
マイヤーズの言う騒がしさが通信をもっと明確にしようとする彼の試みを失敗させたというのはありうることです。しかしながら、このことによって、フェダの行なった観察がすべて正確で適切なものだという注目すべき事実が消えてなくなるわけではありません。
カミンズ嬢を通して得られた前述の自動書記の文に照らしてみて、レナード夫人の記録のタイプ原稿が、その時はまだ私の手許に来ていなかったという点は重要です。私は自分の連れていった速記者とはキングズクロスで別れました。彼女の筆記はすべて速記でなされましたので、レナード夫人の交霊会の後、私がその逐字的なタイプ原稿を受け取るまで、三、四日必要なのです。レナード夫人の交霊会に出席する人は誰も分かることですが、そのとき交わされた会話を、簡単なメモもとらずに心の中にとどめておくことはとても無理なことなのです。それゆえ、速記録の完全原稿を受け取ってみて初めて、私は二人の霊能者の間に多くの重要な一致と交差通信があったことを認めたのです。たまたまこの二人の交霊の形式には対照の妙がありました。というのも、それは、通信者が二人の異なった霊能力者を通して、自己の身元証明をしようとする際における、困難のいくつかを明らかにしているからです。
レナード夫人から得られた最初のマイヤーズの通信内容に関して、私がSPRの機関誌の編集長であるソールター夫人に問い合わせたところ、彼女は以下のような返事を書き送ってくれました。
「(a)マイヤーズは確かによく旅行をしました。私の知る限りでは、彼はヨーロッパ各地に滞在したことがあり、また何度かアメリカにも行きました。そのほかにも出かけたかもしれませんが、私は知りません。
(b)彼は亡くなる前に、しばらくの間、大変重い病気にかかりましたが、最後の時は思ったより早く来ました。死亡の直接の原因は心不全でした。
(c)彼は少なくとも二種類の、すなわち、詩と散文の著書を出しています。散文だけに限って言いますと、心霊研究と、古典および現代文学に関するものです。
(d)彼が亡くなった時、私はまだ子供でしたが、私の印象では、彼はかなり緊張型の、神経質な人でした。神経質というのは、内気だという意味ではなく、鋭敏で、短気で、とても感情の強い人だということです。」

最後の一節は、自動書記に書かれたある事柄について、私が問い合わせたことへの答えです。カミンズ嬢を通して彼は、自分のことを生前、「人への会話の応酬が速い方だった」と述べている。このことは、「記憶」について書いている最中に、不意に書くのをやめ、文章に激しく線を引いて抹消し、次のように書き始めた時に明らかになりました。「あなたがたの用いる語彙では表現できない」。同じような例は書記を続ける間に何度か起こりました。
この本のタイトルもまた、マイヤーズを名乗る霊の発案であることは興味深いことです。
レナード夫人とカミンズ嬢を通して同じ霊と交渉を持つという方式はその後二回の訪問によっても踏襲されました。それらの実験もよい結果を得て成功しました。
それらの資料は幾分こみ入っており、スペースの関係でこの本には収録できませんでした。読者には、一九三一年七月発行の『サイキック・サイエンス』(英国心霊科学学院(British College of Psychic Science)の季刊機関誌)を参照していただきたいと思います。
一九二五年以来、私はレナード夫人との交霊会を持っていないことを附記しておきます。
動物の進化と死後の存続を扱った短文がこの本の補遺の五として加えられました。これはマイヤーズによって初期の頃に通信されたもので、この本の内容とはそぐわないものかもしれません。しかしながら、この問題はかなり多くの人々の興味を惹くことと思います。

[原注1] cross-correspondence ひとりの霊媒を通して証拠を示し、さらに他の霊媒を通して証拠の裏づけをとること。
[原注2] 自動書記をとるカミンズ嬢の心霊的《サイキック》な「光」(あの世の通信者たちの言うところでは、霊能のある人の周囲に見えるとされる)のことを言っている。この光については補遺の二でマイヤーズによって説明されている。
[原注3] このことは、バルフォア卿がそれまで心霊研究に関する意見を述べることを遠慮していたいという意味にとられてはならない。バルフォア卿はSPRの会長を務めた人であり、他の仕事に忙殺されてはいたが、決してこの問題に対する関心を隠すようなことはなかった。
ここで言っているのは、彼が他の問題に気を取られていて、会のテーマについて発言しなかったことを指す。SPRの評議員のひとりが右のことに関して、バルフォア卿はもっぱらこの評議員の発議を受けて話していたと言っているのは注目すべきだが、バルフォア卿が「いやいや話し」、「反発心さえ持っていた」が、目に見えない世界の影響の命じるままに上記のSPR会員から出される提案に同調していたということは大いにありうる。
興味ある点は、主として、レナード夫人によって通信する霊の言うことが、カミンズ嬢を通して書かれたこの点に関することばと一致し、SPRの大会に直接触れていること、またマイヤーズはそこへ行っており、そこには彼の友人もいて、それらの人々は彼がそれまで援助したり影響を与えていた人たちである等々と述べているという事実にある。もしマイヤーズが私の細かな感情を感知したとすれば、彼がバルフォア卿の心の状態を読み取ったことも充分ありうる。
[原注4] 心霊研究会のソールター夫人は右に関して手紙でこう書き送ってきた。
「彼の著書『人間個性とその死後存続』には人間の死後の存続と死者との通信についての彼の個人的確信を述べた部分があり、彼は生前この本のためのあらゆる資料を自分で集めておりましたが、出版されたのは死後になってからのことです。」
カミンズ嬢も私もこのことを知らなかった。
[原注5] レナード夫人の交霊の形式は、カミンズ嬢のそれとまったく違う事に注意していただきたい。レナード夫人はトランスに入ると「フェダ」と呼ばれる霊によって支配される。夫人がトランスに入っている間「フェダ」は霊媒の身体を用いて通信を受け取ったり、通信者(この場合はマイヤーズ)が話した内容を翻訳するものである。
[原注6] おそらくオリヴァー・ロッジ卿のこと。
[原注7] これも証されたことになる。
[原注8] 補遺三をみよ。
〔訳注1〕本記録は原書では第三部とされているが、内容の性質上、翻訳では付録とした。
〔訳注2〕ローラーの付いたハート型の指示器の上に霊媒が手を乗せると、アルファベットや数字を記した盤上を指示器が動き文字をつづる装置。種類は色々あり、ここでのように指示器としてグラスを用いることもあるらしい。ピタゴラスの時代にはすでに霊界通信の用具として用いられていたという。日本のコックリさんはこれの日本版。ウィジャはフランス語ドイツ語のハイに当たることばouiとjaを組み合わせたもの。
〔訳注3〕想念伝達thought-transferenceはテレパシーとほぼ同義。後期の心霊研究や超心理学ではもっぱらこの用語を使う。
要約 E・B・ギブス

以下に多少の説明を加えて読者の便に供したいと思います。
まず初めに申し上げておきたいことは、カミンズ嬢はいかなる運命の浮沈に対しても平静に対処できる全く正常な人格の持ち主だということです。超常能力を持った人にはえてしてありがちであるとされるヒステリーや神経症の徴候は全くありません。実際、危急の場合においてさえも世間でよく性格が安定しているといわれる人以上に落ち着いて自己を失うことがありません。彼女は神智学や心霊研究の本を読んだことはありませんでした。死後存続の問題については元来不可知論的立場をとっていましたが、証拠が山積みになった結果、考えの変更を迫られたのでした。そうなってからでさえもあの世の状態がどのようなものであるかについては、決まった考えを持っていたわけではありません。
この書の一部と二部を書いたと称する通信霊は、カミンズ嬢のそれまで経験したことのないやり方でわれわれが死後に通過する状態を描いて見せました。ここに描かれた事柄は、単に彼女の無意識の産物であると考える人がたとえいたとしても、それが興味津々たるものであることには変わりないでしょう。ここに書かれた死後の世界の諸相のある部分はこの世の生活状態の発展と考えて矛盾がないように思えます。
この書は、カミンズ嬢を通して自分たちの死後の存続を示そうと(計画的にか無計画的にか)努めてきたほかの無数の霊魂たちのやり方とは全く異なった形式で構成されています。さらにその筆跡も、カミンズ嬢のものとは全然違ったものです。F.W.H.マイヤーズは地上時代に書いたいくつかの物について語っていますが、自動書記が出た時点では、われわれはそのことを知りませんでした。彼はいくつかの新語を用いていますが、後でそれらの語が彼の著『人間個性とその死後存続』の中に用いられているのを発見しました。たとえば、動物群(polyzoic)、霊魂群(polypsychic)、超エーテル的(metetheric)、遠隔透視(telaethesia)[原注1]などの例がそうです。私もカミンズ嬢もこれらの語に関しては意味も分からず、またどこかで見たという覚えもなかったのです。
通信霊は現世の心霊研究〔訳注1〕についての知識を持っているらしいところがあるのに加えて、ある時はまるで講義でもしているかのように書くこともありました。彼の職業がケンブリッジ大学講師であった点から見ても、こうしたことは彼の特徴を示している可能性が大いにあると言えそうです。
自動書記ないし超常的書記においては、生きている人物が物を書くような、訂正したり書き直したりするということがないということを知っておいていていただきたいのです。マイヤーズを称する霊は次のように述べています。「この論文は急いで書かれたものであるし、また通信をすることに伴う困難やテーマやそれ自体の難しさもあり、だいぶ粗っぽいものになっているに相違ない。むろん、私は調べてから書くなどということもできなかった。私は数分間で自分の言いたいことをまとめなければならない話者のようなものであった。いったん出してしまったものは取消しができないのである。一度口に出されたことばは自分のものではなくなってしまうのだ。分かっていただけると思うが、永遠などという問題を論ずる時、霊媒を用いる講演者ははなはだ不利な立場にいると言わざるをえないのであり、当然誤りも犯すものである。霊媒ないし通訳者の意識に頼らざるをえないという事情があるからである」。このことは、この短い書物の文体と生前に書かれたマイヤーズの著書のそれとを比較する際に考慮されなくてはならない事柄である。
生前の著書にはセンテンスの長いものが多いのに比べ、カミンズ嬢による自動書記文は一センテンスの長さがいくぶん短いのではないかという人もあるでしょう。そうであったとしても、自動書記のほうは元来、文が切れ目なく続いており、また句読点がないのです。さらに言えば、この書記のある部分は、形式ばらぬ形で死後の生存について教示する談話的性格のものであり、生前の彼であったならそうしたであろうような、諸状況を詳しく分析的に論じたものではないのです。
『人間個性とその死後存続』における用字とこの自動書記のそれの間にはある類似性が存在します。カミンズ嬢は自分の原稿を書く際には挿入句を入れることが特に嫌いで、通常はその使用を避けています。しかし『不滅への道』ではそれがしばしば用いられていることに注目したいと思います。
カミンズ嬢はこの本で扱っている主題について調べたりしたことなど決してなかったことを私は強調しておきたいと思います。彼女は数年前幾編かの記事を書いて出版したことがあります。しかしそれは演劇や現代文学に関するものでした。彼女はまた短編小説を何冊か書いており、その作品については序文の中で触れておきました。もっと言えば、私がカミンズ譲と親しくご交際を願ってきた九年間というもの、彼女はもっぱら戯曲や近代小説に没頭(読書に関する限り)していたのです。
それではいったいなぜ、彼女は自動書記になると形而上学的題材について書くのでしょうか。さらにそれがいつもかつて地上に生きていたある人物の名前を冠して書かれ、かつその人物が他界に住んでいることを何とかして知らせようとするのはなぜなのでしょうか。
カミンズ嬢は自己催眠状態で私の心から知識を引き出してこれらの文章を書いたのだという人がいるかもしれません。ところが、私とて形而上学には何の素養もない者なのです。
このことはカミンズ嬢の他の心霊書についても言えます。主として歴史のものを扱った『クレオパの書』『アテネにおけるパウロ』『エフェソスの偉大な日々』などの作品がそうです。それは真に驚くべき霊と記憶の不滅を示すものです。これらの作品集は未発表のものも含めて、初期キリスト教の壮大な歴史を物語っています。これらの物語に含まれる諸知識は、神学的要素の全くないカミンズ嬢の意識からは出て来るはずのないものでした。これらの作品の文体を『不滅への道』の通信者のそれと比較してみると、両者が全く違っているのは興味深い点でしょう。その際書かれた手続きの方は全く同じなのだということに注意して下さい。
カミンズ嬢の大変広範にわたる心霊者について今ここでこれ以上立ち入って述べることは適当ではありません。しかしいつかこれらの作品がすべて出版された暁には、彼女は心霊研究史上最も優れた入神作家として後世に名を残すことでしょう。
死後の世界の記述を考える上で、読者は当然、その通信者とされる者がはたして信頼できるかどうかを問題にされることでしょう。いかなる権威の下にわれわれはその情報を受け入れようとするのか、それは信頼するに足る筋のものなのなのかという問題です。もし読者がマイヤーズは死後の存続を証明し、また通訳として彼の思想を表現するための最上の霊媒を獲得したのだというふうに考えれば、ここに書かれたことに信頼性を置くことができるのではないでしょうか。その生涯において、マイヤーズが比類なく誠実な人であったことは間違いのないことです。
ひとりの人が今まであったこともない多くの人々の談話の癖、用字の特色、その人の具体的な個性などを似せて書くことができるなどとは考えがたいのです。しかしカミンズ嬢の場合にはそれが当てはまります。なぜならこうした人格の劇化現象は彼の友人や親戚であるとされる人々によって調べられた結果、その人々によって是認されたからです。この現象は、心霊研究の既知の理論では説明できないものです。霊媒(ないし通訳)が未知の知識を獲得することの説明としては、テレパシー説ないし潜在テレパシー説さえもが持ち出されるかもしれませんが、人格の再生ということになると不可能なのです。
このことを明らかにする例証として私は次の五つのケースを簡単に紹介しておきましょう。
われわれの実験が始まって間もないころ、私の友人の母親がカミンズ嬢の自動書記を通して通信してきました。私はそれを書き留めた一枚の大判の紙を娘のL夫人に送りました。数日後その内容について二人で検討している時、彼女はうろたえた声でこう叫びました。「全くお母様みたいですわ! でもどうしてカミンズさんにお母様のことが分かったのでしょう?」。この場合、L夫人は一度カミンズ嬢に会ったことがありましたが、カミンズ嬢の方はL夫人の母親には会ったことがなく、彼女については何も知らなかったのです。彼女はこのことに先立つ数ヵ月前に亡くなっていたのでした。私はといえば、このL夫人の母親には二十年前に一度だけ会ったことがありますが、何の印象も記憶に留めていず、特徴さえも覚えていなかったのでした。
もう一つのケースでは、ある時、その場の誰も知らない人の名前と住所が書かれたことがありました。その霊は死んだばかりの霊で、彼の妻は嘆き悲しんでいるというのでした。そしてその妻の家を訪ねて自分がなお生き続けていることを教えてやってほしいとしきりに頼むのでした。私は一部始終をよく検討した後、自動書記に示された寡婦の住所宛てに手紙を書き送ることにしました。彼女からの返事で、夫の外貌や死の少し前までの健康状態などを含む八つの点が、書記に出た内容と一致することが確かめられました。
英国北部に住んでいたこの男性の存在については二人とも書記が出るまでは知らなかったのです。この町のことについては聞いたことがあったとしても忘れていたということはありえます。しかし、そのことは、カミンズ嬢が最近死んだばかりの見知らぬ男の名前と正確な住所を書いたことの説明にはなりません。以下はその男の未亡人によって確認されたことどもです。(1)彼女の夫は最近亡くなった(自動書記の五日前である)。(2)彼は五十代の男であった(五十五歳であった)。(3)彼は中背である(正しい)。(4)色は浅黒い(正しい)。(5)彼は事業を何年か続けた後引退していた。つまり仕事の継続に耐えられなくなっていた(二年ほど身体の調子を崩していたが仕事は続けていた。仕事には耐えられなかったが、それを止めようとはしなかった)。(6)それほど患わずに亡くなった(医師の往診を受けてから三日目に死んだ)。(7)夫婦は相思相愛であった(正しい)。(8)未亡人は彼からの通信を知らせても死後の存続を信じようとはしないだろう(正しい)。(9)最後になったが、彼には妻がいる、ということももちろん正しいと証明されたことになります。
もう一件の例は十五歳で亡くなった少女に関するものです。彼女の母親というのは私の友人でしたが、私はこの少女には彼女が五歳になって以来会ったことがなかったのでした。カミンズ嬢を通して私はこの少女らしい霊と会話を交わしたのですが、ついには彼女が死後に存続しているという確証を掴むことができたのでした。母親のB夫人はこの亡くなった娘の署名と筆跡を正しいと確認したのみならず、この娘は絶えず母親の意識と接触を保っているらしいことも分かったのです。何度か娘はカミンズ嬢の自動書記に現われ、B夫人がしていること考えていることをいろいろと述べたのですが、B夫人はそれらを正しいと認めたのです。それらのことは皆カミンズ嬢も私も知らぬことばかりでした。カミンズ嬢がそれまでB夫人と接触を持ったことはなかったのです。このことがあってからB夫人は娘の死後の存続を全面的に確信し、またいずれ再会することも信じるようになりました。このケースでは、われわれ二人に知られていない六つの事実が書き出され、その他にも私には知られていましたが霊媒には知られていなかった多くのことが述べられたのでした。
証拠となる事柄と同じく、さらにもっと個人の人格的側面が目覚ましく現われた例として次のようなものがあります。
Xという人の奥さんが亡くなりました。その霊の言うところでは、カミンズ嬢の自動書記を通して彼女の妹のP嬢や彼女たちの共通の友人であったT.M氏らとともに通信しているというのでした。書記に出た事柄は(通信は十回に及びました)これらの人の人格がそれぞれ存在することの明らかな証拠と、X夫妻の家庭に関する細々したことを示していました。これらの内容をX氏に送りますと、X氏はこのような私事に言及したことが自分の死後に発見されるのは好ましくないと考え、これを破棄することに決めました。通信内容に関してはX氏はこう書き送ってきました。「素晴らしい。今までこのような素晴らしい経験をしたことはありませんでした。三人の個性が間違いなく出ています。私はこれを何度も読み返しました」。カミンズ嬢はこれらの三人に会ったこともないのにそれぞれの性格の違ったところ、、話し方、用字の癖、妻の生まれる前からあった一族間の争いや不和に関することなどが全くそのまま記されているということなのです。さらに共通の友人であるT.M氏からのものを読んだ同氏の未亡人は、その文体が「彼そのまま」であると叫びました。そして彼女の夫がカミンズ嬢を通して通信してきたことは間違いないと力説しました。
この例では、T.Mの未亡人とX氏はカミンズ嬢や私がその時まで感知しなかった九つの点が全く正しいと保証してくれました。われわれはT.M夫人はもちろんのこと、その家族の誰とも面識がなかったのです。X夫人とその妹のP嬢によって書かれたと称される書記の部分に関しては、私は次々とそれらが正しい事実を伝えていることを確かめることができました。それに加えて通信者と称する霊たちが特徴的な言い回しや興味深い個性を示し、それらがX氏によって確認されたことは数え切れないほどにのぼります。霊媒が顕在意識の内にこれらの特色を知っていたとは考えられませんし、またテレパシーもこれらのことを説明できません。ある交霊の席では地上生活中における姉妹間のちょっとした諍(いさかい)のことに話が及びました。この時のことばの応酬の際にも二人は依然としてそれぞれの性格を思わせる意見を戦わせあっていました。
もう一つのカミンズ嬢の自動書記に関する素晴らしい実例は、一九二九年五月の『心霊研究協会雑誌』に掲載されたものです[原注2]。この例は南アフリカ戦争で戦死したJ.M大佐からの通信を扱っています。彼は同じ時期に戦死した数名の戦友の将校の名前を正確に言ったのです。受信者(シッター)[心霊研究の用語で、霊信を受け取る人〔参加者〕を指す]や霊媒の誰もこれらの名前や通信された詳しい事実については何も知らなかったのです。J.M大佐は、将校たちの一人の話してくれたこととして、二つの大隊がインドの駐屯地で出会った時の「ばか騒ぎ」(残念ながら大佐は見ることを逸した)のことや、同じ場所で起こったある士官のスキャンダルのことを通信してきたのです。
これらの細かな事実は次々と確かめられました。すなわち、通信者の連隊はインドに行っていませんでした。二つの大隊が出会ったというのは確かにその通りで――全く珍しいことですが――その時の「ばか騒ぎ」のことはちょうどその当時現場に居合わせたある下士官によって確認されました。この事実は参会者の誰にも知られていなかったことでした。一八九八年に起きたこの事件のことはどこにも書かれていた形跡がありません。受信者の女性は一八九七年六月以降、アメリカでの大佐の戦死を新聞で読んで知るまでは通信者に会ったことも噂を聞いたこともなかったのです。
一八九八年といいますと、カミンズ嬢はまだ子供でアイルランドに住んでいました。彼女は問題の連隊とは何のかかわりもなかったのです。さらに通信者は彼の知っているあることについて軽く触れたのですが、詳しく聞かれると、当人がまだ生きているからといってそれ以上話すのを断りました。その事件というのも同じ時に起きたことの一つで、関係した当人の生きていることが確かめられました。
さらに証拠となる資料を出すこともできます。しかし、既存の理論――つまり、テレパシー説、想念伝達説、透視説、潜在意識説など――のいずれによってもこれまで示した人格の再生現象を説明できないようです。最後に挙げたことなども私には通信者の人格を表わしているように思えます。すなわちJ.M大佐が彼の知人の名誉を損なうようなことに言及するのを拒否したという点です。
これらのわずかな例証でも四十を越える事実が述べられており、そのいずれもカミンズ嬢がその通信を自動書記しているところに居合わせた人からのテレパシーによって得たものではありえなかったのです。これに加えてカミンズ嬢が、会ったこともない人々の人格を再生するという現象をどう説明するかという問題があります。私の目の前でカミンズ嬢を通して書記してきたうちの一人だけが彼女の知人でした。私が知りかつ確認できた六人については、彼女がこれまで会ったことのない人々でした。残りの人々はわれわれ二人とも知らない人たちです。これらの人々はすべて各々の特性を示し、しばしばある主題について他の人々とは違った見解を述べたのです。
ではこれらのことの説明はどうなるのでしょうか? テレパシーや透視仮説で果たして説明がつくのでしょうか? ここでは多重人格の問題には触れませんでしたが、それが問題の解決にならないことは明らかです。私は現在の心霊研究の枠内の理論ではこれらの事例の説明がつかないことに満足しています。そしてわれわれが死後も存続するという霊魂仮説のみが可能な答えを提供できると認めざるをえないのです。
心霊科学の扱う二つの側面――物理的現象と心理的現象〔訳注2〕――は、はっきりと区別されなくてはならないと思います。心理的側面の現象(すなわち、入神演説(トランス・スピーチ)、霊視、そして自動書記などであり、それらによって時としては人間死後の個性の存続が証明されうる)に関する限り、「霊媒」ということばは有効性を持たなくなると思われます。より適切なことばがそれに換えられるでしょう。それについては、マイヤーズが「霊媒は実は霊媒ではない。通訳ということばを用いるべきだ。それを忘れないように」と言っている通りです。
「交差通信」において、心霊研究協会の大会への言及がなされたことは興味深いことです。もしマイヤーズの意識が死後にも生き続けてレナード夫人やカミンズ嬢を通して話したのだとすれば、彼がなんらかの仕方でこの件に言及することは当然すぎるほど当然のことではないでしょうか? フェダが言ったように、そこ(SPR)は「彼の楽しい狩場」だったのですから。
最近五十年間に「協会」によって提供された超常現象についての記録は最も懐疑的な人をも満足させるに足るものであり、死後存続への強力な例証になっています〔訳注3〕。協会の仕事の一つは、協会の注意を引くに至った超常現象としか言いようのない事例を集め、批判し、分析することです。そしてその結果への結論を下すことは読者に任されます。協会の会長であった人には、バルフォア卿、ウィリアム・ジェイムズ、ウィリアム・クルックス卿、F.W.H.マイヤーズ、オリヴァー・ロッジ卿、ウィリアム・バレット卿、シャルル・リシェ、アンドリュー・ラング、その他多数の人々がいます。彼らは皆、心霊現象がまぎれもない真実であることを証言しました。
そうした中でも、オリヴァー・ロッジ卿、ウィリアム・クルックス卿、ウィリアム・バレット卿、そしてF.W.H.マイヤーズらは、死後の生存は証明された事実であるとの確信を披露しました。また、W.E.グラッドストーン首相、桂冠詩人のアルフレッド・テニソン、ジョン・ラスキン、R.L.スティーヴンソン、G.F.ワット、レイトン卿、レイリー卿、アルチボールド・ギーキー卿、J.J.トムソン卿(もと王立協会会長)、そしてアーサー・コナン・ドイル卿等々の著名な人々が心霊研究の支持者として名を連ねています。またそのほかにも著名人、科学者、法律家らが続々と死後の生活や顕幽両界の通信を信ずると証言したのです。
こうした事実が認められるための時はまさに熟しているのです。
普通の人は誰でも自分で議論や調査をすることもなく、太陽は地球から九三〇〇万マイル離れた所にあるとか、光は一秒間に一八万六〇〇〇万マイルの速さで飛ぶとかいう途方もないことを真実として受け入れています。ジェイムズ・ディーン卿はこう言ったということです。「地球はけし粒ほどの小さな塵にすぎない。その塵は百万倍も大きな太陽の周りを、他の塵と共に回っている。しかしその太陽自身宇宙空間の大きさから見れば一粒の砂のようなものだ」と。
科学研究を何年も慎重に行なった結果、専門家たちが人間は死後にも存続するという真に重要な真実を発表したのです。彼らはこの点への確信を表明することをためらいませんでした。にもかかわらず、確かな霊媒とのただ一度の交霊の経験もない人々が、男女貴賎は問わずぞろぞろと、元来意見を表明する権利のない問題について、疑問を投げかけるというわけです。
心霊研究協会はオズボーン・レナード夫人の霊媒現象についての完全調査を行いました。その『雑誌』と『報告書』は彼女を通して受け取られた事例を載せていますが、それらはそこに論ぜられている理論によっては説明できません。レナード夫人が当代第一流の入神霊媒(trance medium)であることは疑いないところです。
今や信念には裏打ちがあります。カミンズ嬢一人のみならず他の主観的霊媒からも私は死後生存の争う余地のない証拠を受け取りました。そう考える以外に霊媒現象の神秘を解く説明はありそうにありません。種々の誤りは時として通信の伝達経路に起きます。通信者の側が地上の細かな事柄を充分に思い出せないという点は酌量されてしかるべきですし[原注3]、そのことは知的に、また、偏見のない立場で研究する人にはよく分かってなくてはならない事柄なのです。
われわれの現代の知識に照らしてみますと、心霊現象が近代に始まったものだと主張するのは無理でしょう、聖書をひもといてみれば、「自動書記」について述べられたものとみなすことのできる例を少なくとも一つは挙げることができます。
「歴代誌」上の二八章十九節に「ダビデ言う。これは皆神がその御手を私に置いて書かせ、知らしめたものであり、他のこの種の仕事もすべてそうである」とあるのがそれです。
ダビデの推測に誤りはないでしょう。ただし、当時にいう「神の御手」とは「神の御使い」を指したのでしょう。
また「歴代誌」下の二一章十二節にも次のようにあります。(ユダヤの王に下るべき罰の警告として)「預言者エリヤから彼のもとに一つの書き物がやって来た」と。ある聖書の研究家はこれについて次のように記しています。「この書き物というのは、紀元前八八九年以前のものではない。したがって、エリヤの死後七年のもの[書かれたもの]でなければならない」。
新約聖書についてもこれを「心霊現象」の実証として調べてみますと、心霊現象であると指摘できる例の多いのに驚かされます。たとえば、使徒行伝の九章二節には、ある街の名やそこに住む人の名が幻によってアナニアに通信されたことを記しています。
心霊研究の論法で言えば、これらの通信内容は次々と確かめられたのです。この例はある意味で本書の一六三頁に記した例や、また、心霊現象と関連して次々に起こる類似の例と同種のものだと考えられます。
聖書の中の他の数多くの分かりにくい箇所が、近代の心霊調査で証明された事例を参照することによって、懐疑的な人にもよく得心がいって信じられるようになります。
フレデリック・マイヤーズは大著『人間個性とその死後存続』の最終章で次のように述べています。
時代の要請するところは、努力の放棄ではなくその増大である。科学が地上の問題に対しもっぱら適用してきたのと同じ精力と真摯さをもって、目に見えないことどもの領域を研究するための時は熟した……とあえて私は言う。というのも、私は次のように予言しうるからである。すなわち、もし新しい証拠が見出されるなら、理性的な人々は百年後にキリストの復活を信じていようし、もし発見されないなら、理性的な人は誰も百年後にはそれを信じなくなっているだろうと。

現在では心霊研究に多年を費やした学者の立派な証言があります。しかし教会はこれまでのところ「目に見えない世界の研究」の重要性を認めてはいないようです。聖職者のある者が個人的に調査したという事実はあります。おそらく同宗派内部の公式見解への配慮から率直に自分の意見を表明することができないでいるのでしょう。一般民衆の意識は、信仰には知識の裏づけが必要だということや、心霊研究――人間の魂とその行方の研究とでも言えましょうか〔訳注4〕――は物質的時代の信仰を援助し、大衆に死後の生活についての確信を伝えるという点で、教会の盟友であるという事実を受け入れる用意が、まだ充分にできていない状態なのです。

[原注1] この語の出てくる「書記」はこの本には収められていない。
[原注2] 以下の要約はSPR評議委員会の御厚意によって採録できた。
[原注3] 補遺の四を参照せよ。
〔訳注1〕 心霊研究はpsychical researchの訳。スピリチュアリズムSpiritualismも心霊主義と訳されるため両者は混同されがちだが、立場は異なる。訳注3、4を参照。
〔訳注2〕 物理的心霊現象(客観的現象とも言う)とは、叩音、物体移動、物質化、直接談話などの現象をいい、心理的(主観的とも)現象とは、霊視、零聴、霊言、自動書記などを言う。
〔訳注3〕 ここでのギブズ女史のSPRに対する見方はスピリチュアリズムの立場からやや楽観的な見方をし過ぎているようである。確かに、SPRがこのような傾向と役割を果たした一時期もあったが、その後のSPRの態度はより実証科学的な傾向を深め、霊魂の存在や、死後存続の問題にはきびしい態度をとることが多くなった。少なくとも現在では霊魂の問題には直接触れず、超常現象、および超常能力の存在について肯定的立場をとることに留めるという傾向が強いようである。この点では今までのところ、SPRを中心とした心霊研究とスピリチュアリズムの立場には、明瞭な線引きがなされていると言える。
〔訳注4〕 心霊研究についてのギブズ夫人のこの定義もまた、スピリチュアリズムに傾いた定義と言えよう。客観的には心霊研究は、「心霊現象への科学的な研究」と定義すべきであろう。

補 遺
1  『クレオパの書』について

マイヤーズ この書〔カミンズの自動書記作品『クレオパの書』。章末訳注参照〕はいわば空の中から引き出されたものであるが、それは偶然とか突発事故などから起こったことではない。元をただせば多くのことが出発点となっている。例えば〔第一次〕大戦以来現世の男女の中に霊的真理への欲求が熾烈になってきたことがある。巨大な物質エネルギーの爆発が引き金となって、人々の真理を求める憧れが高まった。これはわれわれが「地球の音板」と呼んでいる物の上に響き渡る。大衆の集合的な欲求がそれを打ち鳴らすのである。時としてそれは、霊界からの影響力を引き寄せる。かくして類魂が――もし適当な霊媒が見つかればであるが――地上の子らの緊急な招請に応えて通信を送るのである。
とはいっても類魂がいつも無謬なわけではない。彼らは真理をある角度からあるやり方で見ているにすぎない。彼らは人間の行く手を照らし出したいと心から願ってはいるが、必ずしも必要なものが与えられるとは限らない。地上において掻き立てられた喧騒はこちら側に様々な印象を伝えてくる。われわれの側も様々に反応するが、必ずしも霊能者を通してそれを表わすわけではないのである。例えば大戦中に科学の進歩が加速されたのなどはこちら側が関与した例である。多くの発明は現世の応用的な知性を通してなされたが、その本質部分は現世の人の意識に胚胎したものではないのである。ある類魂の霊が有能な科学者に想念を集中し、その頭脳機構を用いて新しい発明の基となる秘密を現世に教えると、それが結果として機械なり医学なりの進歩を促すということになるのである。
類魂にも粗暴で原始的な舞踏を現世に流行させるような低級なものがあり、そのためにこのところ若者たちが全く狂気の沙汰としか思えないような暴力的破壊行為に掻き立てられているのである。様々な霊の影響力が地球の周りを取り巻いている様を想像してみてもらいたい。それはあたかも善悪多様な名付け親《ゴッド・マザー》たちが、乳呑み子らの揺り籠を見守りつつ自分たちの特徴を刻印した能力を赤子たちに賦与しようとしている様を思わせる。
今ここにある類魂がひとりの女性霊能者を見守り、彼女がその頭脳機構を通してキリスト教誕生の頃の物語を受け取れるようになるのを待っていた。この類魂の成員たちからしてみると霊界から見た人類の霊的孤独の様は目を覆うほどで、その訴えに答えるにはこの一つの方法しかないように思えた。なぜなら、人類は今泥にまみれ、打ち据えられ、血を流しているからである。誇りは傷つき、心は途方に暮れ、その魂は根本から揺さぶられているからである。
そこで彼女[カミンズ夫人をさす]はエーテルの中にある古い記憶の中をさまよっていた。あなたがたの世界では冒険心のある若者は未知の国を旅するのを好むものであるが、同じように霊媒も、冒険心に富みかつその資格ある者であれば、過去の荒野を歩きまわり、歴史の中に咲く感情の花々を手折り、去りにし日々の果実を集めることができるのである。
しかし時代は消えもしなければ過ぎ去りもしない。あなたがたは宇宙の心の内に再びそれを見出すであろう。しかしあなたがたはその際、それがかつてあった通りにではなく、人がそれをイメージしたものを見るのである。
大記憶はエーテルの中に刻まれた人間の主観的経験の総体を含んでいる。ある霊たちは霊媒をこの膨大な記憶貯蔵物の一断片と結びつける。霊媒はその大記憶から、何といおうか、地上的個性を卒業してしまった霊によって引き出され伝えられるものを書き出すのである。
その全過程をこなすことは極めて困難である。そのことは霊媒にとってかなりの負担となる。しかしうまくいけばある時代の歴史そのまま、というよりはむしろ知性感性の備わった人たちのその時代に対する見解をもう一度取り戻すことになるのである。
ある時代にあって深く思いを潜め、深く物事を感じ取った人たちの目を通して得られた、いわば一時代の解釈のようなものがエーテル記憶の中に刻みつけられている。
それはある人々の心に刻まれたその時代の真実の印象を表わしているという意味においては正確な歴史である。しかしながらどのように高い才能に恵まれた人でも、その主観的経験というものは、必ず不正確なものだという意味では不正確なのである。
というのも、大自然の記憶の中に刻まれた広大な歴史について当てはまることは、生きた人間によって刻まれた歴史にもある程度当てはまることだからである。つまり悪しき肖像画と良き肖像画の間に見られるような差異のごときものはどちらにも存在する。真偽を直観的に見分けるのは歴史を読む人それぞれの責任なのである。
歴史を編むことは一個の芸術である。私はあなたがたに歴史を注ぎ出すいにしえの霊人たちが芸術家であってほしいと思う。というのは、時が過ぎ去った今となっては、神の啓示について真に重要なことは、事実としての正確さではなくして、人の心に映じた映像としての正確さなのである。
クレオパとその筆記者たちは、自分たちが人の子の求める万能薬を与えていると信じて疑わない。しかし彼らは人の心が大きく変わってしまっていることに気がついてはいないのだ。現代人はほとんど信仰心というものを持たぬ。彼らは物質的なものを求めるようになっているのだ。
ローマ時代、その栄光のうちにあなたがたの時代と同種の絶望、同種の荒々しい欲望が人々の心を押し包んだことがあった。唯物主義の底無し地獄に落ち込んだ人々は、死後の生命に確信を得たいと思い、霊的真実を求め、肉体の運命から何とかして逃れたいと願った。とはいってもその時代には人々の心の在り方が今とはだいぶ違っていた。彼らの世界は今日のように「機械の神」には支配されていなかった。したがって彼らは機械によって縛られたり、物理学、科学、数学といったものの巨大な成功に眩惑されることもなかったので、啓示を受け入れるのにそれほどの抵抗はなかったのである。
クレオパとその書き手たちは知的な人々の耳をそばだたせることに成功するかもしれない。が、大衆の多くは物質的刺激や自然科学の教説を通して霊的実在に触れることを望んでいる。言い換えれば、現代の人々は物質のことばで考えることが身についてしまっているので、霊的なことばには注意を払わないであろう。一なる神とその子への崇拝に先立つ往時の異教の神々への信仰は、救世主イエスの偉大な姿に近づくための準備として役立った。哲学者たちはその最も懐疑的な者たちでさえ、人々の心に望ましい態度を植え付けるのに役立った。しかし現代の物理学者、医者たちは当時の哲学者と同じくらいに大衆の心を掴んでいるが、彼らといったら単なる唯物論の旗持ちにすぎないのである。
クレオパは一つの団体ないし複数の者たちであると言ってもよかろう。言い換えれば、クレオパは初期キリスト教の熱狂的な信者たちの魂が永い旅を続けている途中での一段階を表わしているのである。彼は最近亡くなった魂のように一個人として存在するのではない。クレオパは一個の集団としての魂とでも言うべきもので――ほかに適当なことばが見当たらない――エーテルの大記憶から初期キリスト教徒の演ずる壮麗な劇を引っ張り出すことができるのである。それは冷たく傍観的な歴史家の手になるものではなく、熱狂的なキリスト教徒たちの情熱の奔出とも言うべきものである。彼らは自分たちがい生きた時代についての情感的な見方を書き表わそうとしているのである。
私が「情感的な見方」ということばを用いたことに注意していただきたい。情感を混じえずに書かれた本はエーテルの中に刻印されない。そこに刻まれるのは実際の言語ではなく書き手の想像の中のイメージである。そこにある画像やシンボルが生きた霊媒の頭脳の特殊機構を通してことばに換えられるのである。それが神聖劇や聖書の持つ遺伝的傾向を含んでいることにあなたがたは気づかれることであろう。権威的な言語の持つ不可避な枠組みがそこには潜んでいる。この枠組みは現在のこの頭脳の持ち主によって造られたものではない。それは多くの真剣な聖書の読み手としての先祖から遺伝的に伝えられた傾向の集積なのである。
クレオパの書き手たち――むしろエーテル記憶の周囲に漂うキリスト教徒たちの集合的な想いとでもいうべきか――は、そこにある記憶を集めて、それらを生きている一女性の意識の深部に注ぎ込むのである。この深層意識はイメージ言語で考えたり話したりするものである。言語への翻訳は潜在意識がイメージとシンボルを素早くこの女性の頭脳に投入する際に行われるものらしい。瞬時にして書き手の霊たちは肉体に付着した記憶中枢から必要な外衣としてのことばを集める。すると聖者たちによって夢見られたキリスト教の古代劇が頁の上に書き出される。
その劇は聖なる情熱の人々が生前に持っていた幻像の記憶としては正しい。しかし私はその映像の正確さについてはどの程度のものであるかを答えることはできない。それらを書く霊は、宗教と神秘主義が追放され、科学と合理主義と唯物論が人の心を左右する時代にこちらへやってきた魂を仲間から締め出して内に入れないようにしている。
それゆえこの特殊な類魂の目的は単純化されており、異なった性格の魂の侵入によって複雑化されてはいない。

〔訳注1〕 『クレオパの書』(The Scripts of Cleophas)はカミンズの自動書記のよる物語の一つで、キリスト死後のパウロを中心とした使徒たちの行状や、初期教会の模様を記している。クレオパはルカ福音書24:18にある、復活のイエスに出会った弟子。彼による年代記は初期の教会では知られていたが、その後散逸したという。この物語は、クレオパ自身ではなく、彼によって導かれた七人の書記者によって記されたとされている。

2 霊光

マイヤーズ 生命流動体とも呼ぶべきものがあって身体と結びついている。私はほかに呼びようもないのでこれを「幽的流動体」(fluid)と呼んでいる。この流動体は大事なもので、生命が衰えると、この流動体も活気を失う。この流動体は大事な働きをしている。流動体を形成する材料は柔らかなもので、――表現が難しいが――心を神経細胞や、身体と結び付けているのである。脳は確かに意識的な制御力であるが、無意識も重要な仕事をしているのである。目に見えない流動体は、無意識の心を顕在意識の指示なしに動く無数の身体活動のすべてと結びつける。
さて、ある人々の幽的流動体は、他の人のそれよりも強く流れている。この強弱の度合いは、魂と身体とのあいだのバランスや、その人の持つ特質によって異なる。その流れが強くわれわれに感知される性質を帯びる時、それは光を出す。というよりも、それはむしろわれわれから見ると炎のように見える。ほとんどの人はこの炎を持っているが、しかしそれは普通はわれわれに見えない程度である。ある種の人々の場合だけ――つまり霊媒であるが――、それは、はっきりとしていて、われわれに見えるのである。この炎の明るさは、ある部分、霊媒の意志の明澄さにもよる。
霊媒は幽的流動体を活発にして、その炎の輝きを増すために、努めて超然とした静けさのうちに身を置くようにすべきである。霊媒の意志が働いて、脳の機能を作動させるようなことがあると、われわれの通信を損なうことがある。われわれが働きよいのは、霊媒の意志が静まりかえっているかどうかにかかっているのである。もちろん、他にも考慮すべきいくつかの条件がある。参会者の幽的流動体の影響や、外的な影響、それに霊媒の健康などの条件である。これらのすべての要因が考慮されなければならない。これらのいずれに問題があっても困難は増大する。
私としては次のことも付け加えておきたい。それは、霊媒の意志を支配する何らかの感情の混乱は、もしその霊媒が、自己超越という点に特別優れた資質を備えていなければ、交霊に悪影響をもたらし、会の雰囲気を荒らしてしまうであろう。これは当然である。流動体はひどく感じやすいものなので、霊媒をゆさぶるような激しい感情には強く影響を受けるのである。
この点に関しては、まだほかにも注目すべきことがある。しかし、霊媒たちのことについて述べることは、本題から離れることになろう。霊媒にも種々の相違と個性のあることが考慮されなくてはならない。ある者は巧みな電話交換手であり、ある者はこちら側からの証拠を伝えるのに適切な鋭敏な意識を持っている。通信の伝達は――お分かりのことと思うが――内在意識と人間の幽的流動体の結びつきによって複雑化されている。
私がここに見出すこの霊媒の心は内容豊かなので、何の学識もない人には期待できないような仕方で反応する。死者は生者の心に、生者が気づいているよりもずっと多くの影響を与えていることを知らなければならない。大部分の発見は、顕幽両界および二つの心の産物であり、肉体を持たない心と、肉体持った心がそれに表現を与えるのである。しかるに世の科学者たちはわれわれの示唆をインスピレーションと呼び、それが想像力の閃きが点火する単なる火《ほ》くち以上の働きをすることを認めようとしない。
あなたがたは薬と内分泌物の違いを区別できるであろうか。霊媒を通して、われわれがそのどちらかについて話そうとすると、同じ物として受け取られてしまうのである。われわれの送る通信はたとえ言わんとすることが同じであっても、別の霊媒を通したときには別の形で表現される。というのは、霊媒の内在意識はその意識の豊かさに応じた通信の形成をするからである。この現象はいまだに私を驚かす。
どうか、私が他にも地上との交信の試みをしてきており、またそれを続けてもいるということを承知しておいていただきたい[原注1]。
しかし私はこの独特な通信方式が気に入っている。というわけは、この種の内在精神を操作することによって少なくとも私の持つある観念をかなり効果的に伝えることができるからである。現実的な事柄であるならば、他の型の霊媒のほうがもっと自在に通信を伝えうるかもしれない。確かにあの可愛らしいフェダ〔「交差通信の記録」参照〕の場合などはそうである。彼女はある意味ではとても操作しやすい。われわれはこちらの側で、霊媒についていろいろ議論している。私はフェダのやり方については大変よく知っているつもりだ。生きていたら彼女との実験をやれたのだが……。
死後存続の証拠を掴まえようとして、熱心に研究している私の友人たちは皆、通信の仕方やわれわれが霊媒を支配する件に関して誤った観念を持ってしまっている。われわれが通信する時、支配する度合いの強いのはむしろ霊媒のほうだ。通信の条件が悪い時はまさにそうなってしまう。われわれの通信は、直接の時はわれわれから霊媒に伝えられ、そこで霊媒の内在精神によって翻訳される。この意識が受け入れることも理解することもできないものを訳すことは不可能である。この意識はわれわれの想念をことばで受け取るのではなく、まさに想念として受け取るのである。時として、うまくいけば、われわれはこの想念に自分独特の型を刻印することができ、それが再現されることがある。
われわれの生活状態が、判然と伝えられることが滅多にないことを、どなたもいぶかしく思うことであろう。それは、われわれが快く弾こうとしても調子の合わない楽器のせいなのである。霊媒とは単なる媒体ではないことを思い出す必要がある。むしろ「通訳」と呼ばれるべきだ。それは逐語的なものではなく、霊媒を通して伝えられるところの一つの解釈である。通訳者は必ず二つのことばを話せなければならない。つまり、われわれに話すことばとあなたがたに話すことばとである。これは二重の機能である。あなたがたは霊媒について学ぶべきだ。もし何か強い偏見が述べられているのを発見したら、それは霊媒の無意識からくるもので、影の世界の通信者からのものではない。それは通信者が、霊媒の深層意識にある固定観念を取り除こうと最大限の努力をしたにもかかわらず、しくじってしまった結果なのである。

[原注1] これは一九二五年に書かれた。

3 「他界」からの通信

【マイヤーズ】 どうか何なりと聞いて下さい。
【ギブズ】 レナード夫人やフェダなどの支配霊による交霊会〔「交差通信の記録」参照〕は、あなたから見るとどのように見えるものか言ってみて下さい。
【マイヤーズ】 では、最初の時のことを例としてお話ししよう。私はあなたに私の言ったことを記憶してほしいと頼んだ。そしてなおかつ私は、私がフェダの所で話すという観念をあなたの心の中で努めてイメージ化するようにと依頼した。これは大変大事なことだった。最初はあなたの心に私が訪れることが可能かどうか危ぶむ気持ちがあった。私に出現してほしいという想念は、無限の海に投げかけられた細い糸のようだった。私がそれを見つけて掴まえると、あなたの想念は交霊会の場所へと私を引っ張った。これが私の招霊ということになる。次に私が来たことを知らせる必要があった。
さて、フェダはあなたにすっかり慣れているのを私はすぐに見てとった。フェダは新奇の者には目もくれず、ひたすらあなたが関心をもつ人々の方向にのみ網を投げかけていた。
そこで私がどのようにして私の存在を知らせたかという問題だが、私はもっぱらあなたの助けを借りることにした。あなたの潜在意識から――というよりもむしろあなたの顕在意識に最も近い潜在意識の層と言ったほうが良い――から私の名前のイメージを引き出そうとした。それは人体に結合する微妙な精妙体の上に刻みこまれているのであり、身体の中にあるのではない。私はあなたがたのまわりを雲のように取り巻いている記憶の貯蔵庫のことを言っているのである。フェダには私が見えなかった。しかし、フェダは新しい通信者を探すべきだと気づいた時に、心霊エネルギーの網を投げかけ、それによって私が彼女に示そうとするシンボルを理解したのであった。
最初その網の中に私の名前を落としこむのは難しかったが、結局は成功した。そしてもう一度あなたの助けを借りて、あなたの幽的流動体を用いて網の中に私のイメージを投げ込むのに必要な力を獲得した。自分では気づかずにいるが、あなたは全く強い念力の出し手だったのですよ。というのも、あなたの発出する欲求がどんぴしゃりのものだったのだ。あなたの持つエネルギーのおかげで私はとうとう私の存在を認めさせることができた。
【ギブズ】 その時あなたは段々に近づいてきて、そしてまずある証拠を出されたように思われますが。
【マイヤーズ】 私がイメージと言ったのは全体的意味におけるイメージのことで、個別な意味のものではない。私についての総体的な印象というのはフレデリックということばに結びついていた。そこで彼女はまず初めにあの文字を掴んだのだ。
【ギブズ】 確か最初「M」という大文字が出たと思いますが。
【マイヤーズ】 どの文字が最初彼女の注意を引いたのか分からないが、私としては自分の姓と名とを文字で綴っただけである。彼女は最初の文字だけを切り離して掴まえたようだ。私としてみれば、最初に何が彼女の注意を引いたのかは大したことではない。そのイメージは私が生きていた時の私の総計といったものだった。全体のうち、知覚され、網に捕えられたのはごくわずかである。しかしそれが充分なものになった時、彼女は私の名前意を掴むことができたのだ。

4 地上生活の記憶を通信する困難

【ギブズ】 あなたがレナード夫人やフェダを通して通信してくる時、フェダの場合には、あなたは自分の意識の中にいて、いわば想念を投射し、それをフェダが通訳するようですが、自動書記の際には霊媒を直接に支配しているように思えます。この二つの状態において、地上生活のことはどのくらい思い出せるのか説明していただけますか?
【マイヤーズ】 面白い質問だ! やり方を説明する必要がありそうだ。あなたの言う自分の意識の中にいる状態では、私はまさに、私の記憶の中にいる。そういう時、もしあなたがそれを見るだけの強い光線を当ててみれば、記憶はかすかな雲のように見えるだろう。しかしフェダの場合には、彼女がある霊媒に憑《かか》っている時、われわれの霊の方がある特定の記憶に精神集中すれば、彼女はその記憶が何であるかを読み取ることができる。彼女はそれを理解してから霊媒の深層意識に伝え、そして最後にそれを発表するわけだ。
私がこのご婦人〔カミンズ〕ないし他の霊媒を通して直接に話す時は、プロセスがかなり違っている。私は霊媒の深層意識の中に入っていって、必要な印象を与える。するとその印象が手に伝えられて自動書記となる。これを行なう時、私の深層意識は霊媒の意識と混じり合い、そしてそれを完全に支配してしまう。しかしある特定の地上時代の事実や記憶の断片を伝えたい時には、それらの個々の具体的な記憶を取り戻すために、いったんこの霊媒の支配を止めなければならない。
そこで、私が言っておきたいことは次のことだ。私がわが記憶の全体(霊媒の深層意識の外にある)の一断片を取り戻したい時には、霊媒の深層意識から離れてそれとの接触を断たなければならないということである。記憶を持ち帰ってわが船――そう呼んでおこう――を再び操ることはまことに難しい。しかし、直接、通信を送る時には、私は自分の内在精神の円熟した能力を用いることができる。この内在精神は霊界の新生活についてのある程度の知識や記憶も持っている。ミイラや貝のことを想像していただきたい。私の地上時代の記憶は硬くなって、いわば、そんなふうな形に固まってしまっている。まるでミイラのように死んでしまっているが、私がその中に入ると再び活性化する。
私が書く立場からすれば、直接支配の方がよい。私の意志および心が、霊媒の精神力を利用して私の考えを表現できるからである。霊媒の深層意識が多少は混入するが、それは霊媒が私の伝える思想を禁止するほど強い偏見を持っている場合に限られる。しかしながら、この霊媒の心の中にはこの種の障害は非常に少なく、その心は緩やかで柔軟である。
フェダを通して私は記憶を伝えることができる。私が以前彼女と仕事をした時、彼女は特別敏活に私の言わんとするところを捉えた。もちろん、新しい参会者を加えて行なう新しい交霊は、そのつどに、交信の初歩からやりなおすに等しい条件の変化を意味するものではあるが……。
【ギブズ】 地上の人と話した後で、あなたの世界に戻った時、あなたは自分の言ったことを思い出すことができますか?
【マイヤーズ】 その質問には詳細な答えが必要だろう。私は以前、簡単にそれに触れているが、実のところ、詳しい説明のためにはもっと勉強がいる。――今のところは簡単に答えておくしかない。ある意味ではこちら側の世界では、明瞭な記憶を持つことが難しいのは、前にもちょっと述べた通りだ。しかしはっきりさせておきたいのは実際に起きたこと――言い換えれば、最も大事な部分ということだが――は忘れられないということである。
私の思考しつつある意識を記憶と比べてみると、微生物と象ほどの違いがある。そして意識という一つの体に住む私は、私の記憶の十分の一も把握できないものである。私の記憶は整理棚になっていて、その各々の記憶は目に見えない連結の糸で私の思考する意識とつながっている。その糸は合図があると記憶の一つを私のもとへ引き寄せるのである。ある糸はこの婦人を通して通信している時に合図を受け、また他の糸は別の霊媒と接触を持った時に刺激を受け、他の記憶を喚起する。
時折この交霊会に関連のある記憶が、こちらに戻った後に心に浮かぶことがある。だがそれはある連結糸が私の記憶を呼び覚ますのであって、それらの記憶を私が携えているためではない。それは生きている平凡な人々が記憶というものについて持っている考え方である。そういう人は記憶はすべて頭の中にあると思っているが、全くとんでもない誤りである。記憶とはわれわれの存在の一部であり、かつまた、われわれの一部ではないという点において、われわれの最も神秘な部分なのである。私が記憶について書けば、それだけで一冊の本が書けよう。

死者と話すことは良いことか悪いことか

【ギブズ】 ある人たちは、死者と話すために彼らを地上に引き戻すのはよくないことだと言っていますが、どうですか?
【マイヤーズ】 言う意味はよく分かる。そしてむろん、もし話すことがわれわれを苦しめるようなら、話さないだろうというのが分かりやすい答えだ。いずれにしてもあなたが今言われたような説をなす者は、全く事態を理解せずに言っているのである。多くの霊魂たちが地上と話したがっているのだが、地上側で死者を思う人々の方が、彼らへの便宜供与を拒んでいるのである。実際のところ、地上に愛する人を残してこちらに来た者たちは、たとえ見知らぬ人たちとであっても、会話を交わせることを無上の喜びとするのである。というのも、そのことによって、地上生活の思い出として残留する幸福の日々を再びまざまざと感ずることができるからである。
あなたがたの言う「帰還」〔訳注1〕の際の感情はともかくとして、われわれは全くあなたがたとは違った存在の仕方をしていることを承知しておいてもらいたい。つまり、われわれの存在の特徴の一つは、われわれが自分の一部を投射して、霊媒を通して話をする状態に入りながら、もう一方の自分は、こちら側で自分の仕事や生活を続けることができるということである。あなたは地上関係のことを死者に思い出させるのは気の毒だという意味のことを言った。しかし、これらの思い出は、彼らの記憶庫の中にちゃんとある。あなたがたは死者たちに何も思い出させたりはしない。あなたがたは単に死者を幸福に感ぜしめるあの確信――つまり、彼らが愛する多くのものが存在したはずの地上生活は、決して今でもなくなったり、抹消されたりしてはいないのだという確信――を与えているだけなのである。死者たちはしばしばそれを喜び感謝している。

〔訳注1〕 スピリチュアリズムでは、死者の霊が霊能者を通して現われたり、通信したりすることをよく、霊の「帰還」ということばで表現する。霊がこの世に再び姿を現わし通信を送るのは、もっぱら彼らが現世に残した人への愛情のゆえであると考えられている。
5 動物の死後存続

【マイヤーズ】 あなたは私に動物のことについて率直に書いてほしいと言われる。まず、人が下等動物とみなすものを分類してみることが必要だ。地上には進化をたどるいくつかの平行な線が存在する。遺伝学の教えるように、植物、魚類、野生動物、それにもちろん昆虫などが存在する。これらの生物はみな自己の内部に生命の息吹きを備えてきた。〈一なる大精神〉の創造物であるこれらの生物は、どの程度創造の能力を授けられているのであろうか。もし人間の魂が死後も他の存在形態の中で進化し続けるとしたら、他の進化能力を持つ生命形態のものも人間の魂に相似た神秘な精妙体《エッセンス》を生み出す可能性があると考えて当然である。植物、昆虫、魚、野生動物などを階層的に並べてみてほしい。そうするとそれは中学校の形態に似ていることが分かる。植物の魂ないし精妙体は、死後集まって、やがて一つの全体を形成する。これらの数知れぬ微小な存在――仮にそう言っておく――は、死後の階梯を上り、昆虫の中に入りこむことによって一つのものとなる。無数の昆虫の魂もまた、やがて魚や、鳥の身体に入って一つの存在となる。このようにして最も知的な飼育動物に至るのである。
ある種の犬、馬、猿などは、知性の核となるものを持っていて、それらは人の身体に宿る魂のうちでも最も粗暴な部類のものに似ていなくもない。これらの動物たちは、死後誰やらの名づけた「地上的欲望の国」へ行く。だが私の考えでは国という言い方より「死後の状態」というほうがよい。私はこのことばで、彼らもあなたがたの世界を超えた一つの世界に存在するのだということを示したいのである。彼らはまだ地上の気味合いを残した世界に生き続ける。彼らは夢の中で地上を夢見続ける魂なのである。
というのも死者たちの多くはこの夢の世界、つまり、地上のエーテル的映像世界に住むのである。それは、人間たちの地上記憶から造られた場所で、地上と同じ地理的特徴を備えている。多くの単純な魂は、自分たちにとっては地上の物質形態と同様堅固で実体のあるものに見える環境に満足して住んでいるのである。しかしむろん、重要な相違点がある。この超地上的映像の場所たる夢の国には、食物や金銭の問題は一切ない。
この生息地に住む、かつて長いこと人間の友であった犬や猫は、その愛情のゆえに、もしかつての主人がこの影の国に住んでいるなら、主人のもとに引き付けられていく。その国は地上よりはるかに美しい国であるが、われわれはそこを「影の国」と呼んでいる。実際のところ、そこは地上に隣接した所で、旅する魂はそこを通り抜けなければならないのだが、ある魂はその境界線上で、長くぶらぶらしていることもないではない。しかし動物たちがこの境界線を越えていくことはない。動物の魂はある時期が来ると地上に帰って、人間の体に入らなければならないのである。
というのも、彼らはまだ善悪を知る知恵の木の実を食べてはいないからである。人間だけがそれを食べた。創世記第二章にあるこの物語は、深く象徴的な意味を持っている。林檎を食べたというのはまさしく、人間が動物的段階から脱したという自然史の中の一時期を象徴的に表わしている。哀れなイヴとその娘たちは、このことから、最初の地上的醜聞であるとして非難された。
仮に私が、禁断の木の実を食べた寓話を忠実に翻訳するとすれば、私はそれを人間の魂を持った最初の人間の誕生――それこそまさに人間だった――を象徴したものとして述べるべきだろう。人間とは不可視の世界から知識の秘密をもぎとった者のことをいうのである。それは神の創造としての進化の歴史を踏み出す第一歩である。
さて動物たちのことに戻るとしよう。動物たちはわれわれより創造的価値の劣ったものではない。彼らは単に複雑さの度合いが少ないだけである。また彼らは人間の言う善なる存在でも悪なる存在でもない。というのは、彼らには原則として善悪の知識がないからである。しかし、宇宙は次第に単純なものから複雑なものへと進化する傾向があるので、私がやむなく「動物的心性」と呼んでいる部分――つまり、肉体の死後に生き続ける部分――はある空間、すなわち、地上生活にもっとも近接した場所に住み続けるが、必ず地上に戻って物質中に入り、適当な時期がくれば人間の形をとるのである。
以上によって次のことが理解されるべきである。すなわち、動物も魂を持つということ。つまりは動物にも個的な精妙体があること。この個的な精妙体はしばしば他の動物の魂と結合して進化の次の流れに進み、ついには人間にまで進化することなどである。しかし人間になる段階がくると、この胎児期の魂に新たにある物が付け加えられる。その付加物はそれぞれの個体の歴史に応じて発生せんとする精神性のうちに取り入れられるのである。

訳者解説(2000年、春秋社版による)

本書は Geraldine Cummins, Road to Immortality, Psychic Press, London(初版一九三二年、本訳書は一九六七年の第四版を使用)の翻訳である。一九八五年に国書刊行会から「世界心霊宝典」(全五巻)の第二巻として刊行された(絶版)ものに、全面的に改訂を加えたものである。訳注でも触れたが、本書の初訳である浅野和三郎訳『永遠の大道』は、昭和八年から雑誌『心霊と人生』に連載され、昭和十年代に単行本として刊行されたものだが、抄訳というよりも、浅野の自由自在な評釈といった方がよい趣のものである。「交差通信の記録・要約・補遺」は省かれ、分量も全体として本訳の十分の一にも満たない。
本書はいわゆる霊界を語ったもののうちの白眉であり、欧米でもスピリチュアリズムの最重要文献として挙げられているものである。
単なる霊界描写とは異なり、各界の特質や相異点が哲学的にえぐり出されている。それでいながら必要な具体性も備わっている。また意識や記憶についてもその本質を知るうえで示唆に富んでいる。さすがは学者で、心霊研究に打ちこんでいた人の通信であるという気がする。霊界のことを描き出したり報告したりするにしても、要はそれをする人(霊)の問題意識が重要である。観察者に問題意識や各階層間の識別能力がなければ、たとえ霊界の実相を描写したとしても陳腐なものとなるのではなかろうか。

カミンズとマイヤーズ

カミンズとマイヤーズについて、N・フォーダー『心霊科学事典』(N. Fodor, Encyclopaedia of Psychic Science, 1966, Basic Books)の記すところを主として紹介しておく。
ジェラルディーン・カミンズ(一八九〇―一九六九)はアイルランド、コーク市のアシュレー・カミンズ教授の娘で、女流作家であった。優れた自動書記霊能者として知られ、使徒フィリポや、クレオパや、F・W・H・マイヤーズからの霊信を受け取ったとされる。彼女の霊媒能力は一九二三年十二月、E・B・ギブズ嬢と交霊の試みをした時に始まった。彼女はそれまで神学やそれに類似の学問を学んだことはなかった。広く国外を旅行したが、エジプトやパレスチナの地を訪れたことはなかった。
普通彼女が創作する時の速度はきわめて遅い(ギブズ序文参照)が、自動書記を取るとなるとその速さは驚異的であった。一九二六年三月十六目の書記では、一時間五分の間に一七五〇語を書き上げた。彼女の最初の本『クレオパの書』は、『使徒行伝』や『パウロ書簡』の内容を補うもので、初期教会やイエスの死の直後から、聖パウロがベレアの地を出立してアテネに向かうまでの使徒たちの行跡を物語った歴史物語である。この本の最初の部分は、ブライ・ボンド(一八六四―?、イギリスの建築家、考古学者。『心霊科学』誌、アメリカ心霊研究協会報告書などの編集者を務める)の協力のもとに通信を受け取ったが、その後は彼女白身で受け取ったものである。
二番目の本『アテネにおけるパウロ』はこの話の続きであり、第三番目の本『エフェソスの偉大な日々』もまたこの流れに沿ったものである。これらの自動書記が書かれる模様は高名な神学者やその他の権威者によって何度も目撃された。彼女の本を編集した学者たちはこれらの本には立派な価値があると認めている。額面通り受け取ってよいものならば画期的なものである。一連の本は使徒行伝のあいまいな部分に新たな解明を与えるもので、作者は使徒たちのグループやその時代のことによく通じていたことを示している。どうみてもそれらが潜在意識の産物であるとは考え難い内容を含んでいるのである。その一例を挙げれば、この書の中では、アンティオキアのユダヤ人社会の長を「アルコーン」と呼んでいるが、通常、クレオパの時代の少し前までは「エテルナク」と呼んでいたものなので、二つの呼び名の時期による相違を明確に識別できる者はよほどの学者でなければならないはずであるのに、カミンズの自動書記による記述は、このような細部においても歴史の事実にあっており、専門家を驚嘆させた。
あのオリヴァー・ロッジが序文の末尾でカミンズに捧げたオマージュにある「献身的な奉仕心に溢れかつ一点の曇りなき誠実さを備えた」という評価は、けだし霊能力者に要求しうる最高のものであり、それはそのまま最高の賛辞である。わが国の霊能力者がいつの日かこうした水準に到達することを心から希望する。
またこれは必ずしもすべての霊媒に要求されることではないが、マイヤーズほどの学識ある霊の通信ともなると、よほど教養ある霊媒でなければその通信を受け取ることができないようである。それは、マイヤーズ霊が言うように、自動書記は無意識になされるとはいえ、霊媒の内在意識が行なう通訳なのだということである。霊媒の内在意識が翻訳することもできないような霊信は受け取ることも不可能だというのである。われわれは知識のないうちはとかく霊というものを否定してかかるが、いったんそれを仮定するときは、どういうわけか無意識の内に霊媒の万能を前提としてしまう。しかしそれは誤りで、霊媒の能力には限界のあるもので、かつ、霊信は送り手と受け手の共同作業だということになる。この点にもわれわれの「霊」というものに対して抱きがちな先入主の大いに修正されなければならない点があるようである。同じ序文に続く、「能う限りの真実を伝えんとする純一な企て」というのも、その困難を知る者にとってまさしく息を呑むことばだが、「上方の光」のごとくこの本と共に永遠にあるのだろう。
F・W・H・マイヤーズ Frederick William Henry Myers(一八四三―一九〇一)は、古典学者、詩人としての一面をもった、最も卓越した心霊研究者の一人である。科学思想に革命をもたらすかもしれない宇宙哲学の創始者。特にその著『人間個性とその死後存続』は心理学と心霊研究にまたがる大著として有名である。ケンブリッジ大学の古典文学の講師および学監を勤めた。
彼はこう考えたという。もし霊的世界がかつて人間世界と交渉をもったことがあったとするならば、現在も同様のことが起こっているのに相違ない、従ってそのことの明白な証拠を見出すためのまじめな研究がなされるべきだ、と。彼はそうした研究の結果、霊的世界からの働きかけがないと科学的にはっきりすれば、人間の道徳や宗教にたいする打撃ははかりしれないものがあると考えた。なぜなら、現代では幻想でありトリックであることが、昔は真理や啓示であったというのでは現代人の知性を納得させることはできないからである。
彼は可視世界の現実的な知識を組み立てるのと同じく冷静で厳密な研究をするためのいくつかの方法を考えだした。そして心理学方面からの科学研究に全力を傾注した。彼の生前に出されたSPRR十六年間の報告書のすべてに彼の研究結果が掲載されている。有名な『生者の幻像』(エドマンド・ガーニーらと共著、一八八六年刊)の分類法は彼のアイディアによっている。「テレパシー(telepathy)、「超常的(supernormal)」、「真性の(verdical)」とかいうことばは彼の創案になるもので、その他にも彼が初めて用いてそれほど一般化していないこの種のことばはかなりある。
彼は心理学国際会議の組織化にあたって重要な役割を果たした。SPRにおいては一九〇〇年にはそれまで高名な科学者によってのみ占められてきた会長の座に選ばれた。『フォートナイトリーレヴュー』や『十九世紀』誌の寄稿家として活躍し、一八九三年には論集『科学と未来生活』を上梓している。
主著『人間個性とその死後存続』(Human Personality and its Survival of Bodily Death, 1903, Longman, Green & Co.)は死後に刊行された。これは当時マドラス大学の教科書として採用された。この著は、人間の識閾下の自我こそが真の自我であり、かつ心霊機関であり、いわゆる通常意識はこの真の自我の一断片にすぎないこと、また超常的知覚は肉体に拘束されない「魂の生命」のもつ通常の知覚であることを明らかにした。生前のマイヤーズは、それまでスピリチュアリストによって主張されていた「ほとんどの超常現象は死者の霊によってひき起こされる」という考えを退けて、作用者ないし受け手の人間自身の霊によってひき起こされるものが多いと結論した。こうした考え方は混沌とした心霊現象を整理するのに役立った。一方彼は死後存続についても大いに可能性ありとしている。閾下自我の力とされる能力が、生きている間の魂の進化過程を通じて衰えず、この世において何の目的もなく保存されるのは明らかに死後の生活のためである。もしそうした目的がないとしたら、無意識があらゆる思想や記憶を注意深く保存しつづけるのはいったい何のためか?と彼は問う。
ウィリアム・ジェイムズ教授はこの潜在意識の問題を「マイヤーズ問題」と名付けた。「この問題について将来どのような結論が下されるにしても、彼の研究に、幻覚、自動現象、二重人格、霊媒現象およびそれに付帯する諸現象を研究した最初の試みであるという名誉が与えられることは間違いない」と言っている。また心理学者フルールノワ教授は「もし将来、帰幽者の霊が錯綜したわれわれの心的物理的世界に干渉するという彼の理論が証明されれば、マイヤーズの名はコペルニクスやダーウィンと並んで、宇宙論、生物学、心理学の分野に描ける科学思想に革命的変革をもたらした天才として永遠に記録されるであろう」と最大級の賛辞を述べ、彼を精神科学の分野における同時代の第一人者としている。さらに、シャルル・リシェ(ノーベル賞を受賞した生理学者であり心霊研究者)は、「マイヤーズは神秘家ではないとしても、神秘家のもつあらゆる信念、使徒のもつ情熱に併せて学者のもつ智慮と正確さを合わせもっていた」と言っている。またオリヴァー・ロッジはその覚え書きに次のように記した。「私は彼ほど人間の死後の運命について楽観的であった人物を知らない。彼はある時、私にこう尋ねた。もし君の死後の運命と引き換えに、この世の太陽が消滅するまでの永きにわたる純乎として賢明な地上生活の幸福が保証されるとしたら、両者を交換できるかね、と。彼は、自分ならそうはしないと答えた」。
『人間個性』においては物理的心霊現象についてほとんど言及していない。彼は念動現象(いわゆるPK)の起こることを信じてはいたが、ウィリアム・クルックスとの実験にも立ち合ったにもかかわらず、彼の観察した限りでは、彼の著書の中で正当なものとして公表しうるほどのものではないと思えた。しかしながら、憑依作用を扱ったところで、彼は憑依霊は肉体をその所有者以上に巧みに使用し、肉体との関わりなしにかなりの重さのものを動かしてみせると率直に述べている。一八七二年から七六年までの間に観察した事例については退屈で厭うべきものとの感想を記している。
マイヤーズは物理的心霊現象については一貫して冷ややかな態度をとりつづけている。しかし現象そのものは何度か観察している。一八七八年にはウッド夫人とフェアラム夫人の現象を見ており、これはケンブリッジのシジウィック教授の部屋でSPRの援助の下に行なわれたものであり、現象は真性のものであったが、これについてマイヤーズは沈黙を守っている。その後リシェ教授がルボ島で行なった有名なエウサピア・パラディーノの実験を見たり、エヴェット夫人やデスペランス夫人、デヴィッド・ダグウィッドなどの交霊実験などを目撃した。パラディーノについてはリシェからの強い要望で、念動現象とエクトプラズムの現象については真性のものだったと証言している。しかし、依然として彼は物理現象にはあまり気乗りがしなかったらしい。SPR所属の霊媒トンプソン夫人は、彼のおかげで物理霊媒になるのをやめてしまい、もっぱら主観的入神霊媒としての能力を開発した。その結果、マイヤーズは彼女から死後存続の証拠を得ることができた。
マイヤーズの死後、多くの霊媒が彼からの通信を受け取ったと称した。この中には信用のおけないものもあったが、バイパー夫人の受け取ったものは最も信頼度の高いものだったとされる。カミンズの受け取ったとされる『不滅への道』に関しては、マイヤーズの友人であったオリヴァー・ロッジが、それをマイヤーズのものと考えても何らおかしいところはないと言っている。
マイヤーズの主著『人間個性とその死後存続』は真に大著というに値する浩瀚なもので、大判で上下二巻に分かれ、それぞれ細かい活字で七〇〇頁、六六〇頁にのぼる大部のものである。内容は、上巻が、一、序説、二、人格の崩壊、三、天才、四、睡眠、五、催眠、六、感覚の自動現象、下巻は、七、死者の幽霊、八、運動の自動現象、九、トランス、憑依、エクスタシー、などの項目となっており、それぞれ付帯資料を集めた本文と同じほどの分量の付録を付している。
心理学者としてのマイヤーズの人間探究は識閾下の真の自我とその潜在能力を明らかにし、ついに人間死後の存続の事実をも解明しつつあった。カミンズの自動書記の伝えるところによれば、彼は死後においても生前の宇宙論的魂の進化の説をますます発展させつつ、人間個性を超えた永遠の魂の進化の旅路についての研究を継続したということになるであろう。

カミンズの霊能

霊媒であっても、チャネラーであってもよい、また教祖やグルや、聖者であってもよい、その人がある霊能を発揮したとされるならば、それが真実のものであることを証拠立てるために最大限の努力を払うことの必要性が理解されていた幸福な時期がある。とりわけ、スピリチュアリズムの運動といわれるもののなかにそのような一種の美風が霊媒の責務として培われていた時期があった。
この書は多くの点で驚くべき書である。その理由は幾つかあるが、その一つはおそらく、霊界との交信を自動書記によって記したとされるカミンズのもつ霊能力が並大抵のものではなかったという点に負っているだろう。この書記の内容が真実のものであるならば、人間性やこの宇宙の内的構造の理解のためにはかりしれない利益があるだろう。ところがその書記を記した人の霊能はとびきり本物らしいのだ。ところで、この二つが揃う幸運など滅多にないことだ!
この書が備えているような数々の裏付け、証言として役立つ序文や要約や交差通信の片々たる記録のようなものがなかったならば、それでも魂の内実からくる共感や感動がある人々を鼓舞するとしても、唯物論的時代のこの地上に根を下ろして半世紀以上を生き抜くに必要な何かを欠いたかもしれない。
死者がミーディアム(霊媒)の手を通して書いたと称するものは世に多くあり、それらが真であれ偽りであれ、むしろありふれたことだ。死者からの通信であると言われるだけでは真実の保証にならないのはいうまでもない。その対象が神や天使や宇宙意識であっても同じだ。実際、こうした通信を伝えると称する人に偽りや、自己欺痛、自己過信が多いことは研究者たちの常識であり、一般世界でも妄りにそれを信用することはあるまい。
だから、読者がこの種の書物や資料に触れるときできるだけ選球眼をもつことが大事なことだと思う。この分野に多くの労力と時間と情熱を燃やした優れた先人、先輩の眼識により選別され、既に定評をえたものを選んで読み、それを一つの基準として新しいものを読むようにしたらよいと思う。この方法は芸術作品や古物の真贋を見分けるときの、いわゆる「眼利き」の基本に属することであると思うが、この点、欧米においても、日本においてもこの書の評価はすでに定まったものと言ってよいだろう。
この種の眼利きに必要な道具としての科学的知識は必要とされる装備の一つにすぎないのであって、判定の絶対的基準となるものではない。自然科学的知識に対して霊学の基準というものを敢えて立てるとすると、既知の自然科学が容認する世界像と霊学の容認する世界像のあいだには隔たりがある。この隔たりは人間の理性によってやがて埋められるものと思うが、そのときには、既存の自然科学を超え、霊学の世界像を注意深く容認する新しい「知識学」が成立しているのではないかと考える。
わが国のこの道における大先輩である浅野和三郎の訳書『永遠の大道』は、拙訳の十分の一に満たない抄訳であった。浅野訳にはないギブズ序文、オリヴァー・ロッジ序文、交差通信による資料などを拙訳がすべて省かずに訳出した理由はここにある。これらを証言ならびに付帯資料として考えていただきたい。こうした霊能ある者の日常や交霊時の詳細、またそれに付随する周辺的事実の記録はできるだけ具体的かつ、詳細であることが望ましいのだ。繰り返すが、世のいわゆる聖典には願っても得られない具体的な細部と詳細が大事なのである。
実証的見地から言って、これでもまだ不満だという人があるだろう。そうした人は同じカミンズの著作から、『黒い海に浮かぶ白鳥』(Swan on a Black Sea, transmitted by G. Cummins, edited by Signe Toksvig, with a Foreword by C. D. Broad, Pergrin Trust, 1986)を読まれるとよいと思う。それによってカミンズの霊能がどの程度のものであったかを確認されるとよい。カミンズは、霊媒について厳密に科学的な研究を標榜し、霊媒に対しても懐疑的な研究者の多かった英国心霊研究協会の著名な研究者H・ソールターからの依頼で或る交信実験に協力した。今その内容に立ち入って述べる紙幅はないが、その実験などの経緯については、ケンブリッジ大学の哲学者で、心霊研究協会の会長を務めたC・D・ブロード(最近、その翻訳が幾つか出されている)の詳細で研究的序文が附されている。これらの事実からも、その内容のレヴェルを推察することができよう。

類魂と再生

本書に述べられた「類魂」の概念は、再生の問題ともからんで霊魂研究の最も神秘、最も深奥な問題点を呈示しているといえる。この死後のマイヤーズが語る類魂説は、他のいかなる神秘学説にもみられない独自性をもっている。しかも、われわれが、霊魂研究の途次で遭遇する個々の事実の多面性や、時としては相互矛盾するかにみえる諸部分を全体として非常によく整合的に解決してくれる考え方なのである。
『不滅への道』の続編ともいうべき『人間個性を超えて』(Beyond Human Personality, Psychic Press, 1935. 邦訳絶版)を読むと、魂はもともと集合的、共同体的な性格をもっているものらしい。これは個々の魂が一つの霊から分かれたものであるとすればむしろ当然のことである。まず、類魂の最小単位である「アフィニティ」(いわゆるツインソウル。男女一対になっていることがある)なるものがある。それから「家族類魂」がおり、ついで本書に述べられたような「類魂(group souls)」がある。そして実はこの類魂よりもさらに大きな「霊族」(psychic tribe)なるものがあるという。つまり魂はそもそも「類」として集まる性質をもち、次第に大きな類族をなしているようなのである。
『不滅への道』第六章では、類魂の成員として二十、百、千、二千という数字を挙げているが、第七章では、植物、動物はおろか他星界の生物までもがこの類魂のうちに養われているというような説明をしているのは、後者においては多分この類魂の単位を「霊族」かあるいはそれ以上に大きな類魂にまで広げて考えているからであろう。敢えて推測すれば、死後のマイヤーズ霊がいるという第四界の「色彩界」においては、先に挙げた数字が常態なのであろう。第五界、六界に至ればその類魂の範囲も一段と広がるものと想像される。しかし、そのうちに植物や動物や他星界の生物までを含む類魂とは、何と広大な生命の共同体であることか!
再生に関しては従来から強力な肯定派と否定派がある。インド思想、神智学、人智学において、再生が強く主張されていることはご存じの通りである。スピリチュアリズムではラテン系のスピリティズムが再生を教義としているほどであるが、これは多分神智学の影響を受けた。英米には従来から再生否定派が多かった(これは最近変わってきているが)。大どころでは、『霊訓』を著したステイントン・モーゼスが否定派であった。スピリチュアリズムの歴史を具体的な霊信を数多く収集して書いた『スピリチュアリズムの神髄』(The Higher Spiritualism, Psychic Press, 1956. 邦訳絶版)の著者ジョン・レナードなども断然否定派にまわっている。ところが、『シルバー・バーチの霊訓』で知られる霊媒のモーリス・バーバネルの場合は、本人は再生を信じないのに、指導霊のシルバー・バーチは再生を肯定している。肯定も否定も錚々たる陣容を抱え込んで互いに譲らない。
これを霊界通信に徴してみると、通信霊にも両派があって、「今まで再生をした例を見たことがない」という霊があるかと思うと、「再生を知らないのはその霊が未熟だから」という霊もあり、これも二派に分かれている。こうしてみると霊界通信などやはりあてにならないという人もでてこよう。
しかしマイヤーズの類魂再生説を知れば、真理は両者の中間にあることがわかるだろう。新しい魂は前世霊(複数)の作った枠組みを継承して地上に生まれてくる。この枠組みがいわゆるカルマにあたるだろう。しかも、新しく生まれてくる魂は複数の魂の未熟な部分を合成したものだという。だから霊界に戻った魂は全部が生まれ変わるのではなく、部分的に生まれ変わるだけである(浅野は前者を「全部再生」、後者を「部分再生」と名付けた)。これを再生と呼べば再生と言えるし、それでは再生と言えないといえばいえない。霊界にまで両説があるのはむしろ道理だ。複雑な現象に無理やりに「再生」ということばをもちいようとするから肯定と否定が混じりあうのである。
つまりこうなる。生きた真実とは、数千年前、インド人の先祖(おそらく)の一人が単純に用いた「再生」ということばで説明しきれるようなものではない。われわれの感知しうる事象の奥に、類魂を一つの統体とする複雑な生命機構の滔々たる流れがあった。再生するのは実は類魂である。類魂はいわば全体で大きな一人なのだ。そのなかの個々の魂は類魂に対して「一即多」の関係にある。
こう考えると全体主義のようなものを思い浮かべて不快がる人もいるかもしれない。しかしそれはあくまでも地上の全体主義を思い浮かべてのことだろう。一つのものを取り上げても完成品と未製品では全く違う。霊界の上下関係は霊的進歩の度合いによって律せられており、地上のように真にその資格のない未熟者が上に立つということはないとされる。また、個別の魂は進化の道を上昇して上に進むほど、類魂全体のなかに融合すると述べられている。類魂の高い位置に立てば、実際のところ、自他の区別などどうでもよくなってしまうのではないだろうか。人は古来、地上において、そうした心境に達した人を目して高徳の人とか、聖者と呼んできたのではなかったか? 霊界の階層関係と地上のそれは似て非なもの。地上にあるものはすべて高次な霊界にあるものの不完全な模倣である(第五章色彩界を参照)。
類魂は類魂全体で進化の道を歩もうとしており、そのために地上の経験を必要とする。生命や意識の連続の問題を類魂という複雑な生命装置を本源として考えるとき、すべては全く今までの人間の常識を超えた様相を呈してくる。類魂は死なず生き続ける。そしてその一部を絶えず地上に下ろし、類魂の一部として再生せしめ、これを養い導くことによって、類魂全体の地上経験を拡充していく。類魂はその進化の道を辿り、やがて地上で神と言われてきたものの一つになるのだろうか……。
類魂再生説の重要無比な点は、それが、意識と「個」の連続の観念に全く新しい視野を提供することである。近代以降われわれの思考は「個」を中心とした考え方であって、特に生死を考える時は、肉体という個体を起点としての考えに立っている。それは、誰の眼からみても輪郭と境界のはっきりした肉体が誕生し、死によって消滅すると見えるからである。しかし、意識や自我はこれと異なり、本来境界のはっきりしない相互浸透的なものだ。
ところが、地上に存在するわれわれの意識はいわば肉体に縛りつけられている。肉体から神経組織を通じて送られてくる刺激に間断なく対応しているうちに、通常意識はそれを自己の本源たる自我であると錯覚してしまうという。「通信」はそれを「神経魂」と呼んでいるようだ。皮肉な命名である。われわれが愛着を感じてやまない自我や個性とは実は大半がこれを指している。魂はその裏側に潜んでおり、通常ははっきりとは自覚されていない。
これに対して、真の自我や意識は内在意識を通して類魂の大意識や大自我と結びついている。記憶すらそうである。個我であるわれわれの意識と類魂の意識のあいだにははっきりした境界はないと言ってよいだろう。「通信」が伝えるこのような隠れた機構を知れば、近代教育が称揚してやまなかった個人や個性はいったいなんであったのかということになりかねない。極端な個人性の強調によって失われた美徳や美風も多かったのは間違いないところだろう。
「通信」によれば、記憶は大記憶に連なり、自我は大自我に連なり、意識はやがて大意識に融合する。成長と共に、個別の魂は類魂の仲間の経験や知識を共有できるようになるという。記憶庫は他の通信のように、宇宙のどこかに漫然とあるのではなく、類魂の進化のために役立つように存在しているようだ。
霊的進化を説く人は多いが、何が進化かという問題になるとはっきりしない。相変わらず昔の宗教が説いた道徳律を目標としてもちだすようなものが多いなかで、「通信」の説く霊的進化とは意識の機能とされている諸機能の大進化である。具体的、多面的に進化の内容が説かれている。
ことに想像力は記憶と対比して述べられ、宇宙的な進化の原動力と考えられている。端的に言えば、〈過去が記憶を作り、想像力が未来を創る〉。未来を創り出す想像力の働きは日本語の「創造」ということばを合意しているようだ。この通信は宇宙の根源にある力も神の想像力であると大胆に述べ、壮大な宇宙論の展開となる。
類魂の進化の度合いを計るものとして、この「通信」が一貫して知性を愛の上位におく姿勢が見られるのも注意を牽く点である。このような表明は、他界からの発言であるとしても、キリスト教圏内においては相当勇気ある発言ではなかろうか。
二十世紀にいたり、この書記の内容によって、それまで五千年以上地上に伝えられた再生説は根底から揺さぶられた。生前研究熱心であった心霊研究者があの世においてもその探究心を燃やし続け、再生とカルマの真相をはじめて詳細に地上にリポートした。前世紀、スピリチュアリズムの勃興によって古代の託宣は通信と言われるようになり、今また通信の内容を情報と呼ぶ時代を迎えている。意識の秘密を探る解像度は徐々にではあるが詳密さと明るさを増している。他界からのこの情報では、これまでの「再生とカルマの物語」は、類魂という隠れた機構と不可欠に結びつく多面的な真実全体の一側面にすぎないことが表明された。信じるにせよ、信じないにせよ、この自動書記の伝える内容は驚くべきものである。そしてそれを伝えた人の霊能が真実のものと知るとき、その驚きは倍加するだろう。なぜならそのときそれは単なる夢物語やロマンではなくなってしまうからだ。
ここで少し翻訳上の注意点を述べておきたい。この書で「魂」と言われているものは、日常的に用いられる霊というものとほとんど同じである。マイヤーズならば「死者の霊」とは言わず、「死者の魂」と言うだろう。古くは、欧米においても中国においても、霊は元来魂よりも高次の存在である。西欧では聖霊、中国では神と同等のものとして考えられたときもある。だから、マイヤーズの「霊」という語の用い方には正当性がなくもない。しかしながら、こうした霊の高次な概念を考慮しても、本書でマイヤーズの用いる「霊」の概念は、彼の類魂説に従う結果、特殊な意味になっている。霊はすべて「類魂を統括する霊」というように説明されている。そこで浅野訳はところどころ「本霊」という訳語を用いている。拙訳でも類魂の統括霊という意味が鮮明なところでは浅野訳に従った。しかし、原文では「本霊」「霊」という区別はなく、すべて同じ「スピリット」(spirit)である。従って、本訳に関するかぎり、「本霊」も「霊」も同じ意味のものであると考えながら読んでいただきたい。全部を本霊とするとうるさい感じであるし、さりとてすべてを「霊」とすると誤解を生じそうなので、やむなく現在の混交型をとった。ついでながら、「上方の光」というのも同じ意味である。原著にはマイヤーズ霊独特の用語が見られ、日本語に適当な訳語のないものが多い。マイヤーズは生前から新しい概念を創出したり、新語を発明する才能に恵まれていたらしく、その傾向が自動書記にも現われているのかもしれない。こうしたことの気になる研究的な読者のために、できるだけ原語(英語)を添えることにした。

さらに研究熱心な人のために

本書の初訳である「世界心霊宝典」には長い解説を附したが、そのなかで、浅野和三郎がおよそ二万例(!)の憑霊実験を試みてマイヤーズ通信で伝えられた部分再生の真偽を独自に検証し、さらに新しい知見をそれに加えた経緯を詳しく述べた部分がある。この記録は日本のスピリチュアリズム研究の資料としても大事なものと思うので、図書館などで参照していただきたい。日本のスピリチュアリズムもただの翻訳紹介だけではしかたがない。浅野らの先輩が西洋の研究にまけないくらい研究活動や実践活動をやり、独自の結果を出すだけの働きをした時期があった。
スピリチュアリズム(わが国ではあまり適当ではないが、心霊研究、心霊科学、心霊主義などの呼び名で呼ばれてきた)は霊魂認識の刷新をはかり、人類全体の霊化を促進する(霊界発の運動であると言われている)グローバルな大潮流としてあると考える。この大潮流の核となる必然から超心理学や近代的神秘主義発祥の母体となり、ニューエイジの新しい霊思想を準備したとも言える。スピリチュアリズム一五〇年の歴史は、厳密な科学研究では尽くしきれない人類の心の宝玉(玉石混淆でもあるが)があたかも塵芥か瓦礫のように無造作に捨てられて、多くの知識人には顧みられない宝庫でもある。聖者ははじめ人に顧みられることも華々しいこともなく、乞食のようにしてやってくる。これからの人たちはどうかこのことを胸に刻んでおいて先に進んでいただきたい。
本書『不滅への道』には、続編とも言うべき『人間個性を超えて』がある。霊的宇宙と物質宇宙の構造を概観するには前者がよいが、後者には霊界での実際の生活の模様や宇宙の他の天体に雄飛する高次の霊の段階などがより具体的に描かれ理解に厚みをます内容である。残念ながらこれを収めた拙編「世界心霊宝典」(国書刊行会)は、今は絶版となっている。機会があればこれらも参照していただきたい。
平成十二年三月      梅原伸太郎

人名・団体名解説

英国心霊科学学院(British College of Psychic Science) 心霊現象の研究と正しい知識の普及を目的として、1920年にヒューワット・マッケンジー夫妻によって設立された非営利団体。『霊訓』の著者ステイントン・モーゼスも創立の重要なメンバーであった。年間カリキュラムを組んだ講座を多数開設し、100年以上の歴史を持つ機関誌『ライト』を発行している。現在は College of Psychic Studies と名称を変更して活動を続けている。
SPR 心霊研究協会(Society for Psychical Researchの略)。アメリカを中心として興ったスピリチュアリズム勃興の波を受けて、ウィリアム・バレット卿の創唱により1882年イギリスに設けられた心霊現象の科学的な研究機関。初代会長はケンブリッジ大学教授のヘンリー・シジウィック。エドマンド・ガーニー、バルフォア・スチュアート、W・H・マイヤーズ、ステイントン・モーゼス、ドーソン・ロジャーズらのメンバーがこれに加わった。1885年にはこれと類似の機関ASPR (米国心霊研究協仝)がウィリアム・ジェイムズの肝煎りで創設され今日に至っている。SPRの初期には霊魂問題に解決を与えようとするスピリチュアリスティックな視点と科学的な懐疑心が併存していたが、次第に後者の色彩が強くなり、現在では霊魂問題は棚上げにする超心理学研究機関とほとんど区別できないものになっている。
エディントン、アーサー(Arthur Eddington 1882-1944) イギリスの天体物理学者、科学哲学者。
ガーニー、エドマンド(Edmund Gurney 1847-1888) イギリスの有名な心霊研究家。SPR名誉書記長となる。古典文学者であり音楽家でもあった。催眠現象や幻覚について研究したところから、想念伝達の問題に深い関心を持つようになった。マイヤーズ、ポドモアとの共著として名高い『生者の幻像』は実質上ほとんどガーニーの手で執筆された。
クルックス、ウィリアム(William Crooks 1832-1919) イギリスの物理学者。タリウム元素の発見者、クルックス放電管の発明者として有名。ダングラス・ホームやフローレンス・クックなどの霊媒現象を研究しその真実性を確信した。1896年から99年までSPR会長。
ジェイムズ、ウィリアム(William James 1842-1910) アメリカの心理学者。ハーバード大学教授。 ASPR創始者の一人。1892年から95年までSPR会長。
シジウィック、ヘンリー(Henry Sidgwick 1837-1900) ケンブリッジ大学道徳哲学教授。人望があり、マイヤーズやガーニーらの懇請を受けて初代のSPR会長に就任。霊媒エウサピア・パラディーノを始め多くの調査に参加した。夫人はバルフォア首相の妹にあたり、優れた心霊研究者としてSPRの会長にも就任、死後存続を認めていた。
パイパー夫人(Mrs. Leonore Piper 1859-1950) 心霊研究史上最も名高くまた有能であった米国ボストンの入神型霊媒。19世紀末に活躍した。ロッジ卿やリチャード・ホジソン博士、ジェームズ・ハイスロップ教授などは彼女の霊信によって死後の生存を確信するようになったという。ウィリアム・ジェイムズはパイパー夫人を研究することによって心霊研究に引き入れられ、これが米国SPR創設の端緒となった。
バルフォア伯爵(the Earl of Balfore 1848-1930) イギリスの傑出した心霊研究者。妹がSPRの初代会長となったヘンリー・シジウィックの妻となった関係で心霊研究に興味を待った。交差通信の事例として有名な「ディオニシウスの耳」に関する論文で、死後存続を証明する強力な論理展開をした。1894年にSPR会長。後年英国首相となる。
バレット、ウィリアム(Sir William Barret 1845-1926) ダブリン王立大学物理学教授。1882年彼の呼びかけによってSPRが誕生した。初め催眠現象の研究から心霊研究に入った彼は、最終的には、霊的世界の存在、人間個性の死後存続、死者からの通信などを確信した。
マクドゥーガル、ウィリアム(William McDougall 1871-1938) ハーバード大学心理学教授。1920-21年、SPR会長。 1921年、ASPR会長。有名な霊媒マージャリー・クランドンを調査する「サイエンティフィック・アメリカン」誌の調査委員の一人となる。後、デューク大学心理学主任教授としてJ・B・ラインを指導し、ラインが超心理学を打ち立てるキッカケをつくった。
ラング、アンドリュー(Andrew Lang 1843-1912)イギリスの哲学者、詩人。人類学、神話学、心理学、歴史、民話などの多方面の著作をなした。1920年の大英百科事典には心霊研究の項目を担当。1911年SPR会長。
リシェ、シャルル(Charles Richet 1850-1930) フランスの生理学者。パリ大学医学部教授。 1913年ノーベル賞受賞。パラディーノ、エヴァ・Cなどの霊媒を研究し死後存続を信ずるにいたる。1895年SPR会長。
レナード夫人、グラディス・オズボーン(Mrs. Gladys Osborne Leonard 1882-1963) 心霊研究史上有名なイギリスの入神型霊媒。その信頼性はアメリカのパイパー夫人に比せられる。少女の頃から霊能に恵まれたが、長じて歌手となった彼女が楽屋で2人の女友達とテーブル実験を行なったのを契機として、それ以来フェダと名乗る少女の霊が支配霊としてつくようになり彼女の霊能は確かなものとなった。オリヴァー・ロッジはレナード夫人の交霊会に出席して早世した息子のレイモンドの死後生存を確信し、それ以来彼女を通してしばしばレイモンドからの通信を受け取った。レナード夫人はSPRの73回に及ぶ実験でもその能力が真性のものであることを示し、また死後生存の確かな証拠を提供した。著書に『二つの世界にまたがるわが人生』がある。
ロッジ卿、オリヴァー(Sir Oliver Lodge 1851-1940) 世界的に著名なイギリスの物理学者。霊媒パラディーノやパイパー夫人を研究し、死後存続の事実や顕幽交信の可能性を認め、広く世間に唱道した。息子のレイモンドは第一次世界大戦で戦死した後、レナード夫人の霊信に現われ様々な角度からその身元を証明した。

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