【エッセイ】霊の復権と新しい意識の探究(3)

霊の復権と新しい意識の探究 (3)

掲載日:2006年5月20日

◆最近の専門機関

ここで、一九八七年に筆者がイギリスを訪問して、スピリチュアリスト諸団体の現況調査を行ったときの結果を簡単に報告しておきたい。スピリチュアリズム運動の現在を知るには、その運動の最も盛んな英国において、その現況を見るのがよいであろうと思う。ただし「心霊研究学会」と「マインド・ボディ・スピリット・フェスティバル」は、スピリチュアリストの団体ではない。が、本稿の趣旨からは欠かせぬかかわりがあるので併記することとした。

心霊研究学会(The Society for Psychical Research)
所在地 1Adam and Eve Mews, London, W86UG.

最初の訪問地は、心霊研究で世界的に有名な心霊研究学会である。普通「協会」と訳されているが、「学会」といった方が適切で、事実それだけの内容もある。略してSPRと呼ばれることが多い。一八八二年に創立された心霊研究の最も権威ある機関である。SPRは当時のスピリチュアリズムによる霊魂研究の高まりを受けて、主としてオックスフォードやケンブリッジの学者たちを中心として創始された。シジウィック、マイヤーズ、モーゼスなどがその創立に加わった。他にも当時の一流学者がこのSPRに関係しているほかに、二人の英国首相がこの会のメンバーになっている。それはSPRの重鎮であったA・バルフォア卿と四回も首相になったW・E・グラッドストーンである。現在の会長はD・J・ウェスト教授(D. J. West ケンブリッジ大学、医学博士)。
SPRからステイントン・モーゼスが脱会したことは象徴的な事件だった。それ以来SPRは、ひたすら科学主義的な団体であることに固執し、ほかから唯物主義的な研究団体と非難されるようになったのである。ともかく、以後表面上はスピリチュアリズム的な面を切り捨てたのであった。現在も、職業霊媒は会員になれないという規定があるそうで、キッパリとした態度を窺うことができる。しかし、近年ちょっとした変化があり、『サイキック・ニュース』者の編集長で、スピリチュアリズムの推進者として有名なモーリス・バーバネル氏を定期講演会に招いたり、SPRの重要メンバーが私的ではあるが、スピリチュアリストのグループと接触をもち、協同研究のようなことを行っていたようである。
近頃のSPRは、大変活気づいているという印象を受けた。その理由の一つに、三年ほど前、英国のエディンバラ大学に英国で初めて超心理学の講座ができたことがあげられる。これは、アーサー・ケストラーの遺言による遺贈金でできたもので、この遺贈金の獲得による講座開設のためには、英国内の五、六の大学が争ったといわれる。が、結局チャールズ王子などの助言もあり、最終的にエディンバラ大学に決まったという。といっても、エディンバラの超心理学講座は実質上SPRが関与しており、SPRの支店といっても過言ではなかろう。エディンバラ大学で博士課程の指導にあたっているジョン・ベロフ博士は、SPRの会長を務めたこともある人である。エディンバラでの博士課程では既に博士号を取得するものが何人か現れて、研究状況が活性化している。SPRでもこれらの学生に奨励金を出したりもしている。
百年のあいだ、いかにして正統的科学研究の領域に入るかが問題であったこのSPRが、アメリカの超心理学に先を越されて、ついに近年アメリカのライン博士夫妻を相次いで会長にいただくことになった。アメリカのこの超心理学が、心霊研究と同じものであることは多くの研究者たちの合意となっている。それでもなお英国に超心理学の講座はできなかった。それが今実現し、博士号をとるものまで現れたのである。
若い専門の研究者が継続的に参入してくる基盤もこれで築かれたわけであるから、SPRが勢いづくのも当然であるといえる。
今SPRでは定期的に講演会があり(月二回程度)、私の訪問した週にもノーベル賞受賞物理学者であるブライアン・ジョセフソンが講師となり、「ノーマルな極微世界におけるパラノーマルな現象」というテーマの講演を聞くことができた。残念ながら女性研究者で新進心理学者のアニタ・グレゴリー(Anita Gregory)は四年前に亡くなっており、代わりにスーザン・ブラックモア(Susan Blackmore)というやはり女性で若手の研究者が大変注目されているとのことであった。
エディンバラで博士課程に在学する研究者もなぜか女性が多いようである。スーザンはサレー大学で心霊研究のテーマで博士号を取得しており、心霊研究における方法論の問題や体脱体験に興味をもって研究しているとのこと。私が心霊研究でこれまで霊魂実在を実証できなかったのは、それが実証できないというよりも、どうすれば実証できるのかという方法上の問題がはっきりしていないためではないかと問うと、「そのとおりだと思います。それについてスーザン・ブラックモアという研究者が貴方と同じようなことをいっています」と、事務長のオキーフ女史(Miss Eleanor O’keeffe)は答えた。

大英スピリチュアリスト協会(The Spiritualist Association of Great Britain)
所在地 33 Belgreve Squere, London, SW1 8-QB.

この協会は俗にSAGBといわれてこの種の団体としては英国でもっともポピュラーである。この会の前身は、メアリルボーン・スピリチュアリスト協会(Marylebone Spiritualist Association)といい、一八七二年の創立で、やはり一世紀以上の歴史がある。ロンドンの高級住宅地に位置し、瀟洒な白亜の建物のなかにある。一階は、受付のカウンター、書籍売り場、(サイキックニュース社の出している書籍の売店)、待合室、エレベーター、二階は百名ほど収容できるレクチャールーム、そして六千冊ほどの図書を置いた図書室がある。三階はヒーリングルームと幾つかの小部屋がある。地下には食堂もある。
前身であるメアリルボーン協会は、ロンドンにスピリチュアリストの活躍が盛んになり始めた頃、十二人のスピリチュアリストが雑誌“The Medium and Daybreak”の編集長であったジェームズ・バーンズ氏の家に集まってつくられた。その後協会はメアリルボーン自治区に移り、その場所にちなんで名づけられたものである。財政的に困難ないくつかの時期を経過しながら、有志の手で守り育てられてきた。有名なイヴェットという霊媒はこの協会の専属霊媒であった。
ここでは、毎日、講義、霊能者によるデモンストレーション、霊的治療などのいずれかが行われている。昼の部と夜の部があり、費用はレクチャーやデモンストレーションがだいたい円換算で二五〇円から五〇〇円ほど。個人面接の心霊相談でも、三〇分で一五〇〇円ほどである。英国ではチャリティとよばれる日本の財団法人にあたる組織なので、日本に比べると極めて安い。専属霊媒は約五〇名、霊的治療者は二〇〇名いるとのこと。「サーヴィス」という二〇頁ばかりの案内書きをみると、霊媒によるシッティング(交霊)はすべて実験と見なされるべきこと、結果の成否は保証されないことなどが予め断ってある。他の機関誌として「スピリチュアリスト・ガゼット」が出されている。
現在の事務局長は、トマス・ヨハンソン(Tomas Johanson)氏である。氏は広告畑の出身で、霊的治療家としても英国で有名である。奥さんはコラール・ポージュという英国では一、二といわれる霊能者。協会長はテリー・ゴードンという人で、協会には評議会があるが、現在はヨハンソン氏が実質的なチーフですべての采配を振っているようである。時代的な背景もあるが、ヨハンソン氏の代になってからこの協会は大いに進展した。年間に二十万人ほどの人が世界各地からこの協会を訪れ、ヨハンソン氏は世界各国への講演活動のため多忙を極めるという。
ヨハンソン氏の語るところによれば、英国の霊媒は厳しいテストを受けて選抜されるので、極めて優秀で証拠能力が高いとのこと。霊媒として最も大事なことは、人間死後の個性の存続を証明することだ、と彼はいう。またスピリチュアリズムは一世紀半にわたる歴史のなかで進歩をとげている、物理的心霊現象が主であった時期から主観的な現象を主とする活動の時期を経て、今は霊的治療が主流となっているが、それも少しずつ移行して、徐々にスピリチュアリズムの哲学が重視される時代になっていると彼はいう。スピリチュアリズムが世界的にいきわたり、またこれを受け入れる側の人間も進歩したからだというのである。

心霊学研究学院(The College of Psychic Studies)
所在地 16 Queensberry Place, London, SW7 2-EB.

この学院は先ほど述べたステイントン・モーゼスが創立の重要なメンバーとなっている。その初めはロンドン・スピリチュアリスト連盟というスピリチュアリストの集まりであった。現在の会長は、ブレンダ・マーシャル(Brenda Marshalle)という女性で、場所は地下鉄サウス・ケンジントン駅から徒歩で十分ぐらいの所にある。この学院はある意味でスピリチュアリズムと心霊研究の混在を示す例である。こうした立場を表すことばには、従来「心霊科学」ということばがあてられている。この学院も先ごろまでThe College of Psychic Science(心霊科学院)という名称を用いていたが、最近になって改名した。霊的に踏みこんだ研究となると、やはり「科学」ということばは重たくなる。しかしアカデミックなものへの関心もおこたらず、理論的な講座も多い。その性格は、感じとしてはSPRとSAGAのちょうど中間ぐらいにあたるであろう。SPRほど学究的ではなく、またSAGAほどポピュラーではない。しかし全体として非常に生真面目な雰囲気を湛えており、いかにも伝統ある学院という感じがする。ロレンス・ルシャンというれっきとした超心理学者がこの学院に関与しているほか、SPRとも交流があるようである。SPR会長のアーサー・エリオット教授が招かれてこの学院で講演したりしている。また、有名な著作家のガイ・プレフェアはこの学院の機関誌「ライト」の編集参与となっている。「ライト」は百年以上も存続している雑誌である。もちろん、他のスピリチュアリストの団体との交流は必要に応じて取り合っているとのことだった。ここの図書館の蔵書数は斯界随一で、一万冊ほどであるという。モーゼスの母が寄贈したモーゼス記念図書がある。

英国スピリチュアリスト連盟(The Spiritualist National Union)
所在地 Stansted Mountfichet, Essex, CM24 8UD.

ロンドンから英国鉄道で一時間ほどのビショップ駅からタクシーで十五分。スタンステッドという町にある。この連盟の創立は一八九〇年である。初期スピリチュアリズムの運動に奔走した、エンマ・ハーディング・ブリッテン女史が創始者である。現在の会長は、英国で最も有名な霊能者の一人であるゴードン・ヒギンソン(Gordon Higginson)氏。入手した連盟の手帳によると、有名な推理作家であるとともにスピリチュアリズム運動の聖パウロともいわれたコナン・ドイルが霊界の名誉会長とされているが、名誉会長がこの世の人でないというのも、死後存続を前提とするこの会の趣旨からすれば当然のことかもしれない。
この連盟はSAGBと異なり、宗教団体としての届出をしており、日本でいうようないわゆる御本尊のようなものはないが、前述した七つの綱領があり、これが教義に代わるものといえよう。ミニスターと呼ばれる伝道者(教会常駐者はいない定め)がおり、日曜日の礼拝や会員の冠婚葬祭には定められた祈りごとや独自の賛美歌まで備わっている。団体と個人の会員があり、全国に十七の地方評議員会がある。そのなかから代表委員が選出される仕組みになっている。この代表委員の役割は、会の財産、教育、宣伝に関することと定められており、ほかは原則としてそれぞれの評議員会に委ねているようである。事務局長のクーストン(C.S.Coulston)氏によれば、連盟に所属する教会が四五〇ほどある。会員は会費納入者の数でいえば二万人ほどであるという。
SNUが宗教団体で、チャーチを持ち、礼拝も行うことは前にも述べたが、それでは一般のキリスト教とどう違うかといえば、主としてキリストに対する考え方が違う。SNUではイエスを唯一の神の子とは考えない。イエスが高度な霊性と類稀な霊能を備えた人とは見るが、究極的には彼も一人の人間であり、平たくいえば霊能者の一人であったという見解が根底にある。これは当然、一般のキリスト教と一致しえぬ点である。またキリスト教の方からいえば、ほかにも霊のあり方やこの世との交流についての具体的な見解などとても支持しえぬものであろう。しかし、一九三七年英国国教会は大主教ウイリアム・ラングの諮問した委員会の調査報告において、総じてスピリチュアリズムはキリスト教徒の信仰を強める上で有益だとの報告をしている。

マインド・ボディ・スピリット・フェスティバル(The Festival for Mind-Body-Spirit)
所在地 New Life Designs Ltd. Arnica House. 170 Campden Hill Road, London W8 7AS.

ニューエイジ運動ネットワークの典型例として注目されている組織である。
これを成功させたのはグラハム・ウィルソン(Graham Wilson)という英国人で、彼が最初にこの企てをしたとき(一九七七年)は三七歳、現在は四七歳になる。当時の写真を見ると、長髪にバイキング風の立派な頬髭と顎鬚を蓄え、ヒッピー風である。筆者が会った一九八七年の七月の時点ではすっかり髭を剃り落として、年よりも若く見え、敏捷な青年企業家と芸術家の中間といった趣だった。
フェスティバルがどのようなものであるのかを一口で説明するのは難しい。類似のものを求めれば、エキジビション(展示会)とか見本市がそれにあたるであろうが、それにしてもいったい何の展示なのであろうか。提示されるものは、物であったり、物でなかったりする。
多様なものが展示されている。自然食品、薬草、神秘的な力をもつという鉱石や水や図形、様々な器具、出版物、健康法、美容法、有機農法、瞑想法、能力開発法、エコロジー運動、平和運動、そして霊的治療を含む様々なオルタナティヴ治療の実演、週末に行われる講座の案内や予約。それぞれの会や団体の意義や活動内容の説明。しばしば精神的なものが展示されているといえるであろう。人々のもつ観念や哲学も生活の仕方も展示の対象となる。それにまた人間の行為や協同作業も様々なパフォーマンスを通じて展示される。
各団体のためのブースのほかに、講演会のためのレクチャーシアター、パフォーマンス会場があり、総合的なテーマのもとになされる飾りつけやイベントがこれに加わる。全体としては名のとおりのお祭りのような感じになる。いたるところにニューライフを示すものがある。英国の霊的運動「フェスティバル」は三年にしてアメリカに輸出された。ニューヨークは西海岸と違い、ニューエイジの動きはそれほど表面化していなかったものの、ウィルソンのフェスティバルは潜在していたものを掘起し、隠れた人脈を結びつける働きをしたという。
一九七七年「第一回フェスティバル」における参加団体はおよそ百であるが、翌年には一五九(これは参加ブースの数であり、パフォーマンスへの参加団体を入れるとこの数は増える)へと増えている。数年後の最盛期には二百以上になった。期間中に訪れる人の数は約八万人ほど。現在ではまた百ほどのスタンド数に戻っているが一日約一万人ほどの人が訪れ、一九八八年の催しでは邦貨にして約五〇〇万円ほどの利益も計上しているという。
さてグラハム・ウィルソンは、十五歳頃から神秘主義や心霊現象に興味をもっていたそうだ。十八歳のとき、ロンドン青年体育競技会における半マイル競争でチャンピオンになった。また、クロスカントリー・マラソンでもチャンピオンとなった。その競技中、魂が身体から脱け出るといういわゆる体脱体験があり、それが、彼の一生の方向に重大な影響を与えた。学業を終えると体育の教師になるという道もあったが、むしろ自分の直観に従って生きる決意をした。大手の食品会社のセールストレーナーとして働く傍ら、ラット・レースとして知られる耐久競技会の企画運営などに参画した。
しかし彼には物質主義的な側面もあり、若手の企業家としてなかなかやり手でもあった。そのキッカケになったのは、身分不相応な家を買ってそのローンの返済のために金儲けを考えたことからだった。彼は友人二人と不動産屋を経営し、二年間で七〇〇〇万ドルほどの資産をつくりあげた。その金を使って市場開拓の専門会社をつくった。そうするうちに人間の潜在能力に対する自分の関心とマーケッティングの仕事を結びつけることを考え始めた。そして彼の顧客達のための展示会を計画したのである。これが彼の「フェスティバル」の初めとなったのである。
彼が「フェスティバル」を始めるにあたっては、自己資金を投下し、また何人かの協力者の援助も受けた。最初の計画では、一九七六年の年末に展示会の開催をする予定で、すべての計画を進めた。しかし、年末も近くになって、瞑想中このままの計画では駄目だという強烈な閃きがあり、この直観の指示に従って彼は開催日を翌年の四月に延長した。またそれまで進めていた騒々しいコマーシャルや、けばけばしいパンフレット類もニューエイジの意識に相応しくないと感じすべてやり直すことにした。このことは、この種の企てをする者にとっては殆ど自殺行為に等しいことだった。が、援助者たちがすべておりるといったにもかかわらず、ウィルソンは自己の資金のすべてを投入して勝負に出た。結果は大成功だった。
ウィルソンは、絵をかいたり、詩をつくったりもする。「フェスティバル」は一つの芸術活動だというのがウィルソンの持論である。商業主義の関係については、最終結果が質の良い確かなものである場合においてのみ、精神的なもののなかに商業活動の最良のものを盛り込むことが許されると彼は答えた。どういう意図で、この「フェスティバル」をはじめたかという筆者の質問に対しては、即座に、「人間の意識が変わるということが一番肝心な点なんです。自分の関心は最初からそこにありました」と答えたのであった。この「フェスティバル」をアメリカやオーストラリアでも成功させたウィルソンは、いまこれが世界各地で行われることが必要だ、そのためにできれば日本でも試みたい、といって大いに意欲を示したものだ。

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