3-(09)自分でできる霊障解除法

日本の伝統的文化では、死霊・悪霊(未浄化霊)の悪影響(祟り)とか、生き霊(念)の取り憑きなどといった概念があり、いわゆる「霊能者」もこのような言葉を多く語ります。このため「霊」という概念/言葉も、多くの人は「恐ろしいもの」と感じてしまうわけで、ある意味、困ったものです。そんなことは一切ない、と言い切れればよいのですが、まったく根も葉もないことというわけでもないので、事情は複雑です。
スピリチュアリズム霊学では、霊的事柄の「負」の面はあまり言い立てません。言い立てることで、人心を混乱させ、却って害を増やすことになるからでしょう。ただし、インペレーターの霊信(モーゼス『霊訓』)では、「邪霊」「低級霊」といった言葉がかなり使われています。「霊的成長に背を向け、他者をもそうさせようとする霊」といった意味です。
ここでは、スピリチュアリズム霊学の基本的な見方と、それを踏まえての、「自分でできる“霊障”解除法」を紹介します(ただしここで扱うのはあくまで一つの方法の提示です。ご自分の選択と責任において実践してください)。

◆悪影響をもたらす霊的要素

死んだ人間の霊が、地上近くをさまよい、生きている人間に悪影響を及ぼすということは、基本的にないことではありません。
これにはおおむね二つの種類があります。一つは、恨みなど負の感情を抱えていて、それを誰かに理解してもらいたいと必死に願っている霊。もう一つは、肉欲・物欲・嗜虐欲などの低級な欲求に浸り込み、死して後も、他人の身体や霊魂を通してその満足を求めようとする霊。前者の霊は、霊能のある人や、親族など霊的な縁のある人に働きかけようとしますから、被害が広範に及ぶことはありません。霊能のある人や縁のある人がそうした働きかけを受けたら、誠実に気持ちを聞いてあげ、理解・共感し、「よりよい霊の世界」があることを諭し、愛のある祈りを送ってあげればよいわけです。土着的宗教の「供養」はこうした作業を定式化したものです。
もう一つの、「低級な欲求に浸り込んだ霊」は、かなり危険な存在です。インペレーターの霊信から引用してみましょう。

《都会に軒を連ねる酒場、哀れなる道楽者のたむろする悪徳の巣窟にはかつて地上で同じように酒色と悪徳に耽りたる霊がうろつきまわる。彼らは地上で飲んだくれの生活を送った。それを今また繰り返し、のみならず、そこに通いつめる人間を深みに引き込んでは、してやったりとほくそえむ。……悪の道にはまりし人間の再起を困難にし、地獄への堕落を容易にし、光明への帰還を妨げるのは、実にこれら邪霊なのである。》(近藤千雄訳『霊訓』国書刊行会より)

しかし、こうした「邪霊」の悪影響を受けるのは、当人の霊魂が「低い」状態にあるからです。酒色や物欲に浸っていたり、他人を害したり騙したりする思いに耽っていると、それを格好の餌食にしようとする「邪霊」を呼び込みます。「類は友を呼ぶ」のです。ですから、自らの霊魂の状態を高め、そのような邪霊の集まる場所(盛り場や賭博関連施設)には近づかないようにすることです。

稀に、非常に悲惨な死に方をした人たちの思いが、その場所に残り香のように留まっていることがあります。霊能のある人がそこに近づくと、エネルギーが賦活されて、霊のように振る舞うことがありますが、それはあくまで残留思念であって、人格を持ったものではありません。ただしいくらかの悪影響を受ける場合がありますから、できるだけ早くその場を離れることです。

「生き霊」というのは、日本ではよく言及されるものです。これに対して、スピリチュアリズム霊学は、何も述べていません。西洋キリスト教文化ではこのような考え方は御法度なので、誰も「生き霊」を飛ばそうとしないからでしょうか。それとも、そもそもそんなものは存在しないのでしょうか。このあたりははっきりとしたことは言えません。ただ、原始的な信仰(アニミズム)が残っているところでは、「呪い」といった形で、生きている人間の念が他者を攻撃することはあると考えられているので、まったく根も葉もないことだとは言えないでしょう。場所に残った残留思念でも悪影響を与えることはありえますから、生きた人間の思念にそういうことはできないとする根拠はなさそうです。
「生き霊」の悪影響に関して、最もよくないことは、こちらが「憑かれているかも」と疑心暗鬼になることです。呪いは、しばしば呪物を見たり(藁人形に針を刺して相手に送るという露骨な手口もあります)、「誰かがあなたを呪っているらしい」というような噂を聞いたりすることで、取り込まれ、「掛けられて」しまいます。呪いにかかってしまったような気になるということです。そうすると、心の状態は悪化し、被害妄想がふくらみ、普通はありえないような霊的悪影響を受けてしまうわけです。
ですから、「生き霊」に対しては、むしろ「そんなものは受けないぞ」「はね飛ばしてやる」といった対応をすることがよろしいでしょう。実際の人間が、こちらを襲おうと企んでいたら、それに対していろいろな防衛策を採り、最悪の場合は、立ち向かって撃退しようとするでしょう。それと同じだと考えればよいわけです。

◆霊能者への相談は慎重に

奇妙なことが起こるからといって、手当たり次第に霊能者に相談して、変なお告げをもらったり、法外なお金を払ったりすることは、お薦めできません。霊能者の言うことは鵜呑みにせず、どれだけ事実と符合しているか、ネガティブなものばかり拾っていないか、慎重に吟味する必要があります。こちらの質問や疑いを失礼だと思うような霊能者は、相手にする必要はありません。法外な金額を要求したり、あれこれ命令したりする霊能者も、避けるべきです。よい霊能者は、ネガティブなことを口にしたり、脅すようなことを言ったりはしないものです。
それに、たとえ霊能者の力によって、「憑いている」ものを排除しても、一時的な解決にしかなりません。自らの状態が、霊的悪影響を受けやすい状態になっていれば、また同じことが起こりかねません。
新約聖書には次のようなイエスの言葉があります。
《汚れた霊は、人から出て、休み場を求めて水のない場所を通るが、見つからない。そこで「出て来た自分の家に戻ろう」と言う。そして帰って来ると、そこが空いていて、掃き清められており、きちんと片づけられているのを見つける。そこで出て行って、自分より悪いほかの七つの霊を共に連れて来る。そして彼らは中に入ってそこに住みつく。その人の最後の状態は、最初よりも悪くなる。》(マタイ12:43-45、ルカ11:24-26)

霊的に無防備な状態、空疎な状態でいると、危険だということです。こうした事態を回避するには、心身の波動を高めて自らを守り、さらに自らの守護霊に祈ってきちんと守ってもらうのが、最もよい方法だと言えるでしょう。

◆生活環境・身体から浄めていく

すべての基本は、自らの霊的状態を高めて、悪い影響が及ばないようにする、ということに尽きます。自らが低くて粗い霊的波動を発していれば、それに引き寄せられて、低くて粗い霊の影響が来ます。高く精妙な波動を発していれば、よい霊的影響が得られます。
とにかく一週間、以下のような仕方で、心身を浄め、高めていくことをお薦めします。

まず、生活の環境をきれいにします。散らかった、汚れた部屋では、自分の心もすっきりとすることができません。何も大がかりな掃除や「浄めの儀礼」をしろということではありません。普段過ごしている空間を、かたづけ、掃除し、そうした外的な要素を通して、心の浄化の準備とするのです。
その中に、祈り(あるいは瞑想)ができる空間をつくることもよい方法です。小さな場所でかまいません。そこはとりわけ細心に掃除します。もしそうした方がより心が落ち着くなら、空間の四隅に小さな榊を立て、塩を盛った小皿を置く、といった「結界」作法(邪の侵入を防ぐ伝統的儀式)をしてもいいでしょう。お香を焚いたり、清澄な音楽を(随時)流すということも、場を清める効果があります。

自らの身体も清浄にします。風呂に入って、あるいはシャワーを浴びて、身体を清潔に保ちます。神道では冷たい水で「禊ぎ」をします。確かに冷水を浴びることは気持ちをすっきりさせ、皮膚(というより霊的な身体の「境界」)をきりっと引き締めます。しかし、極度に冷たい水をかぶるのは、不必要であり、むしろ身体にはよくない場合もあります。

食生活にも気をつけます。
まず、獣肉(牛・豚・馬など四足獣の肉)を食べないこと。高等生物の肉には、屠殺される際の負の感情が稀薄ですが残ると言われています。栄養的にも強烈で、肉体的欲求を強化します。ともかく、獣肉を食べることは、心身の波動を粗く低いものにします。魚や鳥はそうした悪影響が比較的少ないようですが、一週間の間くらいは、菜食で我慢してみるのもいいのではないでしょうか。
心身の波動を高める食物は、太陽をふんだんに浴びた野菜・果物・木の実・穀物だと言われています。昨今の野菜・果物は人工的すぎるものもあるようですから、できればそうでないものを選んだ方がいいかもしれません。
自然のよい水を飲むことは重要です。都会の場合は、残念ながらミネラル・ウォーターで代用するしかないかもしれません。特に、朝起きた時と、寝る前に、祈りの気持ちをこめて1杯(朝はより多く)の水を飲むことはよいことです。
酒・タバコ・コーヒーなどの刺激性・興奮性があるものは、避けるに越したことはありません。断つことが難しければ、極力量を抑えるように。
ただし、こうした外的なことに捕らわれ過ぎないこと。固執すると却って心が硬化し、よいことにはなりません。

◆心を高める

自らの心を高めるには、心の中のネガティブな感情や思いを、極力排除することが重要です。怒り、妬み、猜疑、非難、不安、心配などを遠ざけることです。こうしたものは普段から癖になっていますから、そう簡単に消し去れるものではないでしょうが、一定の期間、断固としてそれらを遠ざける、湧き起こってきても取り合わない、と決心することです。もちろん、ネガティブな言葉(他人の悪口、罵倒など)を口にしたり、低級な行ない(貪欲、好色、傲慢など)をしたりしないことも必要です。
ネガティブな感情や思いは、あまり力んで消し去ろうとすると、却ってまとわりついてきたりします。その際は、「サタンよ退け」と厳しく一喝してみるのも一つの方法です。あるいは暖簾に腕押しのようにさらりとやり過ごす方法もあります。

最も重要なことは、一日に一度ないし二度、祈りと霊的読書の時間を持つことです。
祈りは、「基本編(13)祈りについて」を参照してください。肝腎なのは、「……といった状況が改善しますように」というような現実的なことを祈るのではなく、自らが神の子であることを深く自覚し、感謝し、自らを神に明け渡し、自らが高まることを祈ることです。
基本的に祈りに作法は不要なのですが、きれいな場所で、きちんとした姿勢で行なうことも、しっかりと心身を高めるという意味では効果的です。自室の一角に「聖なる場所」をもうけ(別に祭壇は必要ありませんが、あった方が落ち着くならそれでもかまいません)、そこにすわって行ないます。普通のあぐらで十分で、お尻の下に小さな枕か座布団を敷き、背筋が伸びるようにすわります。椅子にすわってでも、背筋を伸ばしたきちんとした姿勢なら問題ありません。上半身の軽いほぐし運動をしてから、全身をリラックスさせます。首・肩の力を抜き、逆に背筋はしっかりと固定します。軽く目を閉じて、腹式呼吸(腹筋を使って、息を吸うとき腹部をふくらまし、吐くとき凹ませる呼吸法)を深くゆっくりと行ない(5回程度)、心身を鎮めます。そして脳裏に霊・神の高貴な世界をイメージし(単に光の世界を思い描くのでもかまいません)、祈りを捧げるのです。
経験のある人は、瞑想でもOKです。ただし「無」的な瞑想ではなく、神・霊の世界に心を開くような仕方の瞑想が、少なくともこの場合はふさわしいでしょう。初めての人がいきなり瞑想しても、なかなか深い状態には入れないでしょうから、瞑想の姿勢で一心に祈ることから始めるのをお薦めします。
時間は好みや状態によって自由に決めて差し支えありません。最低でも10分くらいはやらないと、あまり効果はないでしょう。最初は10分程度、慣れてきたら20分くらいというところでしょうか。長くやるのがいいというわけでもありません。
もし、おぼろげな、あるいははっきりとした、「霊」からのメッセージがやってきたら、それが自らの心が作り出す妄想でないかを十分吟味します。見えたもの、聞こえたものに、振り回されてはいけません。ポジティブなもの、心から納得するものだけを受け入れることです。
神・霊への祈りとは少し異なりますが、身体的な不調がある場合、イメージ瞑想をすると効果があることもあります。天からの光が眉間から流れ込み、身体の内を満たし、きれいにしていくイメージを描きます。「私の身体は神様からの贈り物である。偏りや汚れをきれいにして、健康になっていく力があるのだ」と念じるのです。身体だけでなく、心に対しても、光が満ちあふれているというイメージを抱くことは、よいことです。
自分に合った、「祈りの言葉」があれば、それを唱えることもよいことでしょう。シルバーバーチやホワイトイーグルの本の中には、声に出して祈れるものもあります。そうした霊的書物から自分で選び、編集したものでもいいでしょう。祝詞やお経でもかまいません。ただし、無意味に言葉を繰り返すことにならないように。
瞑想中、不安定な状態になったら、目を開け、祈りの言葉を低い声で唱えるのが有効です。あまり頻繁に起こるようであれば、中止します。

霊的読書は、やりやすい実践でしょう。正しい霊的知識によって、不安や恐れを払拭し、霊的に高い境涯を求めるようになるという意味もあります。繰り返し読むことで心に刷り込むことも重要です。ただしこの場合は、あれこれ思索しながら勉強するのではなく、読むことで伝わってくる高貴な雰囲気に身を委ね、神・霊の世界に心を開き、自らの心の状態を高めるようにすることです。優しくて暖かいシルバー・バーチやホワイト・イーグルの本をお薦めしますが、好みによって、聖書でも仏典でもかまいません。
上記のような実践を、とにかく一週間、試してみてください。きっとよい効果が表われるでしょう。
なお、上記のことは、日々の生活の中に霊的光を導き入れるためにも有効な方法です。あまり形にこだわらず、やれることから実践してみることをお薦めします。