3-(06)超常現象の「とらえにくさ問題」と「心理的抵抗」

非再現性

現代の超心理学が、「手詰まり」状況にあることは前にも少し触れました。それは一定の成果は挙げているものの、超えがたい壁の前で足踏みしています(これは超心理学者自身が認めています)。その壁とは、「捉えにくさ問題」と呼ばれているものです。これには大きく分けて、「再現性のないこと」と「恥ずかしがり効果」そして「妨害現象」があると思われます。
再現性とは、ある条件を設定し、ある手続きを踏めば、同じ結果が生まれる、ということです。食塩水に電極を入れて電荷を掛ければ、塩素ガスと水酸化ナトリウムが決まった量で発生しますが、これはどの場所で、誰が行なっても、結果はほぼ100%(不確定性のため絶対100%ではありません)同じになります。ガラス瓶の中を真空にして、炭素の糸に電流を流せば、それは燃えることなく光を発するということも同様です。
しかし、ESPやPKといった「超常現象」(「サイ psy」とも呼ばれる)の実験では、事情はまったく異なります。ある実験者が、ある被験者を対象に、たとえばカード当てのような実験を行なって、一定の成果をあげることに成功したとします。しかし、それをもう一度繰り返そうとすると、成果がほとんど得られない、あるいは、別の実験者が同じ被験者ないし別の被験者を対象に行なうと、まったく成果が得られない――そういった現象が必ずといっていいほど起こるのです。ある超心理学者は自嘲気味に自らの論文に「非再現性――超心理学の唯一の発見」という題をつけているほどです。
しかし、このことは、現象の発生がまったくでたらめ――つまりは偶然――であるということを意味するわけではありません。非再現性の問題にからんで、きわめて面白い現象が報告されています。それは、「実験者効果」ないし「山羊―羊問題」と呼ばれているものです。
これは端的に言ってしまえば、「起こると思えば起こりやすい」ということです。ESPやPKといった現象の可能性を認める人間(「羊」)が実験者ないし被験者になった時の成果は、それに対して否定的な人間(「山羊」)が行なった場合よりも、現象が起こる頻度が高いのです(余談ですが、一時話題になった「常温核融合」でも、好意的な実験者と懐疑的な実験者の間で同様な結果が出たと言います。そしてその実験そのものが現在では破廉恥なスキャンダルのように扱われています。ここには何か不思議な符合が感じられないでしょうか。)
このことは、「超常現象」の発生が、単純に物理的過程だけによるものではなく、それ以外の要素を含み込んでいることを示しています。その最も大きな要素は、そこに立ち会っている人間の「心」の作用です。
超心理学の煩瑣な議論に立ち入ることは避けて、このことをよく示しているある霊媒の感想を紹介することにしましょう。それは要約すると次のような内容です。
「懐疑的で、否定してやろうという強い欲求を持っている人の前で、自分の能力を発揮することは、大きな困難を伴います。能力の発揮には、まわりの人たちが持っている霊的なエネルギーに助けられる面があるのですが、そういった人たちはそのエネルギーを与えてくれないばかりか、こちらの能力を押さえつけてやろうという強力な思念を放射していて、それがこちらの心や場をひどく乱してしまうのです。時には、その人が超常的な能力を発揮して、現象を妨害することもあります。」
これを言い逃れと取るのは自由ですが、少しでも人間の心に対する感受性を持っている人は、納得する部分があるのではないでしょうか。

恥ずかしがり効果

超常現象に対する心の不思議な反応は「恥ずかしがり効果」と呼ばれている現象群では、もっと奇妙な形を取ります。これは、現象が、わざと人目を避けて起こるもので、「サイ・ミッシング」とか「転置効果」と言われている現象がこれにあたります。
前者は、たとえばカード当て実験で、正答率が偶然値より著しく低いという現象が起こることがあり、これはわざと正解とは逆の答えを述べているためである(つまりは正解がわかっている)と考えられるものです(「絶対当たらない予言者は、逆に予言の価値がある」というパラドックスを思い起こさせます)。後者は、指示されたカードではなく、次に出されるカードを(予知によって)当てているといった現象です。
これらはいずれも、実験を行なった時点では実験者も被験者も「失敗」だと思っており、事後に検証して初めて発見されたという形をとります。なんとも不思議で天の邪鬼な現象と言わざるを得ません。被験者は、意識しないまま能力を発揮しており、しかも同じく無意識で、それをわざと隠す細工までしていることになるのですから。

妨害現象

この不思議な作用がもっと露骨な形で現れるのが「妨害現象」です。これは、たとえば、超常現象が起こっているところをカメラやビデオで記録しようとすると、機械のスイッチが入らなかったり、作動してもまったく何も映っていなかったりする現象です(事後に機械を点検してみても、異常なしと判定されます)。中には、ビデオの乗った三脚がひっくり返る(もちろん誰の手を加えることもなく)といった超常現象が起こることもあります。これは珍しい現象ではなく(超常現象が珍しいと同様には珍しいのはもちろんですが)、きわめて多くの研究者が報告しているものです。
また、ある能力者(の媒介)によって、木製の二つの輪をまったく無傷のまま鎖状結合するのに成功したものの、その輪をガラスケースに厳重に保管し展示していたところ、いつの間にか壊れていた、という事件もあります。

こういった「捉えにくさ問題」が語っているのはとりあえず二つのことです。一つは、超常的な現象が起こるためには、物質的な条件のみでなく、「心」(ないしは見えない作用主体)という要素が大きな位置を占めていること。もう一つは、その要素は、超常現象を起こすだけでなく、それを否定・隠匿する傾向も持っているということ。
後者について、超心理学者たちは、「サイに対する恐怖」とか「保有抵抗」という言葉で表現しています。前者は超常的な現象に直面した時に、ないしは直面すると予想される時に起こる、心理的な恐怖・忌避の反応のことで、後者は、そういった現象を起こす能力を自らが持っているということに対する忌避反応です。

サイに対する恐怖

「サイに対する恐怖」は、きわめて広範に確認できる傾向のように思われます。アンケートや面接調査などによる分析でも、多くの人が超常現象に対して、不安・恐怖といったネガティブな感情を持つことが報告されていますし、実際に超常現象に直面した時に見せた多くの人たちの態度の記録もそのことを物語っています。これを単純に、理性の基盤が壊れ、「迷信の中世に逆戻りする」と考えるために起こる恐怖だとする解釈もあります。それもないとは言えないでしょうが、事はそれほど簡単ではないようです。中には身体症状という奇妙な形での反応を見せる人もいるからです。たとえば、イギリスのある有名なテレビキャスターは、サイ現象(テーブル浮揚)を研究しているグループが出演し、見事にカメラの前で成果を出したという番組に立ち会った直後、突然、全身に発疹を出現させたといいます。このように、超常的な現象をたまたま起こしてしまった(ないしは立ち会ってしまった)後で、身体や精神の具合が悪くなって寝込んだという話はしばしば聞かれるもので、これらは超常現象に対する恐怖が、単に観念や理性の問題でないことを物語っています。また、グループで超常現象を起こす実験に成功し、それに馴れていたはずの人たちに、たまたま撮影に成功した(ただし一目瞭然ではない)写真を見せたところ、一同に、忌避ないし無視の反応が起こったという報告もあります。さらには、現象が起こっている間の記憶をきれいに消してしまっているといったケースもあるといいます。ちなみに、超心理学者は、懐疑論者がろくに資料にも目を通さずに感情的な反発をしてくるのも、この恐怖によるものではないかと考えています。

保有抵抗

「保有抵抗」、つまり「超常的な能力を自らが持っていると認めることに対する恐怖心」という概念を提出したのはケネス・バチェルダーという超心理学者です。彼はテーブル浮揚という古典的な形式を用いた実験で、少し手の込んだ試みを行なっています。それは、テーブルの裏面に、手などが触れると電気信号が発生する仕掛けを作り、それが離れた所にある装置に記録されるようにしておき、あとは古典的に、真っ暗な部屋で、何人かがテーブルの上に手を置いて、それが動き出すのを待つというものです。もちろん現象はそう簡単には起こりません。しかし、頃合を測って、その中の一人が「いかさま」でテーブルを持ち上げてみます。これはもちろん、電気信号によって「いかさま」であることが記録されます。ところが、それが呼び水になって、今度は誰の手が裏面に触れることもなく、テーブルが動き出すのです。
これは、「いかさま」によって、会席者たちの心に「テーブルは動くのだ」という受容の心理が生まれたことと同時に、その能力を潜在的に持っている人(一人でも複数でも)が、「自分がやらなくてもいい」と思うことで保有抵抗がクリアされ、能力を発揮させたためではないかと彼は解釈したのです。(ちなみに、ある超心理学者たちは、霊や神の名を使うことや、複数の方が現象が起こりやすいことを、すべてこの「保有抵抗」の解除のためだと考えているが、これは本末転倒の考えではないでしょうか。)

いずれにせよ、超常現象、そしてそれを起こすことのできるサイ能力に対しては、きわめて錯綜して奥の深い「抵抗」が見られることは確かのようです。なぜそうなのか、ということについての強力な回答は出されていません。理性や合理性が壊れること(およびそれに伴う自己の外的・内的あり方が壊れること)への恐怖という説、時代を支配している認識体系(エピステーメ)に違反する考え方は、無意識に排除されたり認識不能化作用が起こるという説(「認知的不協和」と呼ばれる)、さらには、人間の心に、そういった素晴らしい力が備わっていることを自ら否定するシステムが組み込まれているという説、などがあります。

死後存続説への心理的抵抗

「超常現象」に対する心理的抵抗は、「死後存続説」「霊魂説」に対しては、さらに強くなるように思われます。超常現象への心理的抵抗を一応克服した(あるいは持っていない)と思われる超心理学者たちが、死後存続説や霊魂説に対して、腫れ物に触れるように忌避し、しばしばそれを受容した人々(典型的にはスピリチュアリスト)を侮蔑するのは、これらの説が超常現象実在説よりも、心理的抵抗を強く引き起こすからではないでしょうか。
また、同じ死後存続説の傍証となる主題でも、「生まれ変わり」よりは、「臨死体験」の方が、抵抗が少なく、読んだり論じたりしやすいという傾向が見られるように思われます。「生まれ変わり」は死後存続が明瞭な形で突出するのに対し、臨死体験は体験者が生還しているために、死後存続証明に関しては曖昧さが残るからでしょう。

このような「心理的抵抗」は、ずっと変化なく続くのでしょうか。それとも、ある程度抵抗が低減し、死後存続説・霊魂説へのタブー視は少なくなるのでしょうか。この150年の歴史を見る限り、抵抗は簡単には減少しないようにも思われますが、ニューエイジャーの楽観主義(「地球はこれから上昇(アセンション)へと転ずる」)が、意外と当たったりすることもあるのかもしれません。

*参考文献:笠原敏雄編著訳『超常現象のとらえにくさ』(春秋社、1993年)