3-(14)なぜ万人が認めるような証拠が得られないのか

 

スピリチュアリズムの中核は、「人間の個性は死後も存続する」ということにあるわけですが、この点に関して、反対する人々はもちろん、スピリチュアリズムを受け入れつつある人の多くも、「そんなに重要な問題が(あるいは、これだけ重要な問題なのに)、どうして誰もが認めるような形で証明されないのか」という疑問を抱く(反対派は反駁の論拠とする)ようです。ここでは、この主題について、いくつかの観点から検討してみます。少し話がややこしくなるところもありますが、ご容赦ください。

まずはいささか哲学的な考察。

1.霊魂の次元の法則と、物質の次元の法則とは、少なくとも現世においては、乖離している(二元論)こと。
2.物質次元以外の現象を物質次元の証明方法によって証明することは、カテゴリー違反であり、そもそも無理があること。

「物質次元以外の現象」など存在しないという唯物論者に対する批判は、長くなるのでここではしません。ただし、「物質次元以外の現象が存在しない」という証明はなされていないことははっきり言っておく必要があるでしょう。また、全現象を一元的原理によって説明できるというのは知性にとっては理想でしょうが、われわれの未熟な知性で形成された法則では、そのようなことは不可能です。
さて、物質法則における「証明」とは、

①厳密な普遍計測性(一定の方法を用いれば誰もが観測・計測できること)
②実験再現性(ある手続きを踏めば同じことが必ず起こるということ)
③理論適合性(これまで発見されている理論に合うこと。ただしある種の現象――宇宙、素粒子、生命、触媒作用など――では、まだ理論が発見できず、この項目が当てはめられていないものも多くある)

といった要素によって成立すると考えられています(ただし、これらが揃わない場合もかなりあって、触媒作用のように、まったく仕組みがわからないのに、普遍計測性、再現性が強固であるため、つまり誰がどこでやっても同じ結果が得られるので、「証明済み」とされていたり、さらには、一部の素粒子現象のように、普遍計測性や再現性にかなり疑問がありながら、権威が認めたことで「証明済み」とされているものすらあります。詳しくは『七つの科学事件ファイル』(化学同人刊)を参照。ちなみに言えば、ビッグバン仮説も、ダーウィンの進化説、地球生命の偶然発生説も、「証明済み」ではありません。)
しかし、物質外の現象(そもそもそれ自体を認めない人もいるようですが)に関して、このことが適用できるわけではありません。
たとえば、心的現象に関してすら、われわれは絶対的に共通の認識・把握をすることができません。人の悲しみ・苦しみ・喜びを、あるいは人の思いを、万人が認めるような正確さをもって記述したり計測したりすることは、不可能です(脳還元主義者はそれもそのうち脳の電気信号として計測・説明できると考えるのかもしれませんが)。また人の心のある状態を、まったくそのままに再現させることも、不可能です(切り傷による痛みの苦しみといった比較的即物的な現象でも、その原因やその時の心持ちによって、様々に変化するのは当然です)。私の悲しみや脳裏にある思いを、物質的な法則によって「証明」することはできません。物質的な法則によって「証明」できることは、全現象中のごく一部に過ぎません。
つまり、物質現象以外のものに、普遍観測性や再現性を求めることは、どだい無理です。「証明」といった厳密な形で、万人が共有できるのは、物質(それも比較的単純な物質現象)だけです(スピリチュアリズムから言えば、それこそ――様々な魂が物質という共有の場で出会うということ――がこの世の特質であるとさえ言えるでしょう)。

3.「実験室的証明」ではない、「物質的(客観的)証拠」は少なからず存在するが、それはなぜか黙殺される。

万人が信じている事柄の多くは、必ずしも「実験室的証明」によって証明されているわけではありません。客観的証拠が(かなり少数でも)あるということで、「認容可」とされているものの方が、むしろ大多数でしょう。しかし、このことは、なぜか死後存続問題にはあてはまらないようです。
死後存続の物質的証拠としては、サイキカル・リサーチの中で、多量ではないものの、存在します。とりわけ、イアン・スティーヴンソンが収集した「生まれ変わり事例」――特に「先天性刻印」(母斑、先天性欠損など)や「真性異言」の事例――は、きわめて強固な証拠と言えるものです。数名の科学者が認めたように、虚心坦懐にそれを読んでみれば、生まれ変わり(あるいは憑霊)は疑いようはないと思われます。しかし、反対論者はもとより、そうでない多くの人も、それを読んで検討しようとはしません。なぜか、「冷たい黙殺」という反応を示すのです。
ここには、死後存続問題の特殊性、たとえば、「心理的抵抗」といったものが関係しているようにも思われます。

4.多くの人が、霊魂説への無意識的な「心理的抵抗」を保持している。

このことは「超常現象のとらえにくさ問題と心理的抵抗」のところで述べていますので、そちらをご参照ください。簡単に言えば、多くの人は、超常現象や死後存続関連の現象に、無意識に心理的拒否反応を示すらしいということです。その理由としては、
①現在持っている世界観が破壊されることを恐れる。
②多くの人は、時代精神(現代においては唯物論)に無意識に束縛されていて、それに反することを無意識に拒否する(「認知的不協和」が起こる)
③より深い、何らかの心理機序があって、拒否反応が起こる(たとえば笠原敏雄の「幸福否定」説――人間は自らの心が持っている能力や素晴らしさを、なぜか自覚・発揮することを回避しようとするメカニズムがあるという説)。
どの解釈が正しいかはわかりません。いずれにせよ、超常現象や霊的問題に関して、非常に感情的に敵対視・白眼視を示す人々が多いことは確かで、それが「時代精神である唯物論に無意識的に深くコミットしているから」というだけで説明できるかどうかは、かなり疑問です。
近年は、「スピリチュアル」ブームもあって、多くの人が抵抗なしにこういった主題に接している、と反論する方もいらっしゃるでしょうが、頭だけの理解、皮相な捉え方に終始し、霊的な世界観を持つに至らず、「成功」や「幸福」といった現世的功利主義に落ちていってしまったり、一過性のものとして通過するだけという人々も多いように見受けられます。
「新しい時代の到来とともにそういった心理的抵抗は少なくなる」「人間精神がもう少し進歩すれば受容度は増す」という楽観的観測もあり、スピリチュアリストとしてはそれに与したいところですが、果たして本当にそうなるだろうかという一抹の疑問もぬぐえません。

5.万人が受け入れるような証明は「禁止」されている。

これは一般的な視点からのものではなく、霊の実在を認めた人々からの見方で、様々な憶説があります。一般の人から見れば、奇妙な言説に思えるかもしれません。
①死後存続(霊魂・霊界の実在)は、強制的に誰もが信じるべきこととしてではなく、個人が選択するものである(あるいは霊的成長の過程で与えられるものである)とされている。
②人類の発展史において、この二千年ほどは、物質的発展が必要とされていて、そのために霊的視点は抑制・抑圧されてきた。
③死後存続や再生説は、未熟な段階にある人間精神には、ネガティブに作用するので、ブレーキがかけられている。
④死後存続説の広まりによって、この世が、物質的欲望が鎮静した、あまりに平穏・安寧な世界になると、「様々な霊魂の学びの場」として機能しなくなるので、抑止されている。
などなど(他にもいろいろありそうです)。ただし、いずれもそれを意図しているのは、神ないし霊界ですので、人間を超えたそういった存在の意図・思慮を探ることは、出過ぎたこと、意味がないこととも言えるでしょう。まあ、「ひょっとしたらそういうこともありかな」くらいで捉えて、あまり議論詮索することはやめにしましょう。

スピリチュアリズムに与する人が、多くの「動かない証拠」が出ることで、たくさんの人が霊魂の実在を認めるようになってもらいたいと願うのは、必然のことでしょう。しかし、現在のところはそうなってはおらず、サイキカル・リサーチから超心理学に至る150年の歴史でも、まったく平行線の状況が続いている(現世的には霊魂説の圧倒的劣勢が続いている)わけで、そこには何らかの意味があるものと考えざるを得ません。
スピリチュアリストとしては、こうした状況に、悲観したり、苛立ったりすることなく、「腹をくくって」霊魂説の擁護・普及に奉仕するしかないのでしょう。むしろ、そうした困難であるがゆえにやりがいのある仕事が与えられていることを、喜ぶべきなのかもしれません。