3-(13)マイヤーズ通信による「高次他界」の構造

 

マイヤーズ通信とは

ジェラルディーン・カミンズ(Geraldine Cummins 1890-1969)という自動書記霊媒によって綴られた『不滅への道』(The Road to Immortality, 1932, Psychic Press) と『人間個性を超えて』(Beyond Human Personality, 1935, Psychic Press) は、ケンブリッジの学監、詩人、心理学者で、心霊研究協会(SPR)の創設中心メンバーであった、フレデリック・マイヤーズ(Frederick William Henry Myers 1843-1901)が霊界から送ってきたものとされ、「マイヤーズ通信」として、多くのスピリチュアリストからその内容の哲学的豊かさ、緻密さを認められているものです。
マイヤーズは、生前、心霊現象や人間の無意識領域の研究に没頭し、大著『人間個性とその死後存続』(Human Personality and Its Survival of Bodily Death, 1903)を遺したのみならず、その温厚で真摯な人柄によって、心霊研究協会の活動に大きく貢献した偉人です。その真理探究の熱情と、緻密でバランスの取れた知性は、「マイヤーズ通信」においても発揮され、生前のマイヤーズを知る友人・共同研究者たちは、その内容や文体から、「これはマイヤーズが送ったものに間違いない」と判断しました。また交差通信(複数の霊媒を通して一貫した内容のメッセージが伝達されるという方法)などの試みもなされ、その信憑性が裏付けされています。
マイヤーズ通信の特徴は、単なる「死直後に人が赴く世界」の報告ではなく、また、人の心情に訴える「霊的教え」でもなく、①より高次の霊界の存在とその主要な性質、②類魂(group souls)の存在、③部分再生説、④物質の波動性と高次霊界の物質・肉体の性質、⑤人間の心理活動の仕組み、などについて、きわめて詳細な情報が含まれていることにあります。シルバー・バーチやホワイト・イーグルの霊信が、霊界の真理を伝えつつも、人間の心情に優しく訴え、素朴な疑問に懇切に答えて、多くの人を感動させるのに対し、マイヤーズ通信は、霊的世界の哲学的ないしは科学的な探究報告だと言えるでしょう。
そのため、通信の内容は、理解しやすいものではありません。そもそも、人間の限定された知性では捉えられない高次世界の説明ですから、難解になるのはやむを得ないわけですが、マイヤーズ自身が、きわめて知性的・哲学的な人だったため、事実を正確に伝えようとし、勢い、説明が複雑・哲学的になったということもあるようです。
日本でも、シルバー・バーチなどに比べて、マイヤーズ通信は読者が少ないように思われます。しかし、その内容は実に豊かで深遠なものですので、ぜひ多くのスピリチュアリストが読むようになってもらいたいと願うものです。

七つの界ないしレベル

ここでは、マイヤーズ通信の豊富な内容の中から、まずは高次他界のありようについて、紹介していきたいと思います。
霊界が下位の、物質性の強い世界から、高次の神に近い世界まで、いくつかの「階層」に分かれているとするのが、スピリチュアリズムの大方の見方です。ただ、いくつの階層に分かれているのかについては、いろいろな説がありますし、中にはシルバー・バーチのある箇所での発言のように、「そんなふうに分かれているなどというのは見たことも聞いたこともない」とする霊信もあります。こういった状態ですから、スピリチュアリズムの「階層」説自体に懐疑を抱く人々もいるようです。
この物質世界のような次元はともかく、想念や意識の状態が主となる霊的世界では、「階層」というのは、空間的・物質的に截然と区切られているのではなく、もっと微妙で複雑なものなのかもしれません。マイヤーズ霊自身、次のように言っています。

《私は以前〔『不滅への道』を通信した時点ということだと思われる〕、霊的世界は七界、すなわち魂の旅の七つの段階から成ると述べた。多分、「意識の七つのレヴェル」というべきであったのであろうが、「界」(plane)という方が一般的だったので永遠についての私の理解するところを伝えるためにこのことばを選んだのである。/永遠の内にはこれといった場所のようなものはないと言えるであろうが、旅する魂にとっては、意識はある領域ないし場所に在るように思えるであろう。確かに、未発達な魂の状態においてはこうした考え方が支配的なのである。》(『人間個性を超えて』国書刊行会版、35頁)

ですから、「階層」は、固定的・絶対的に捉えるのではなく、様々な意識・魂のレベルとして、緩やかに捉えておくべきものでしょう。とはいえ、意識ないし魂には、低いものと高いものがあるとするのは、「霊的進化」を旨とするスピリチュアリズムの捉え方からは、当然首肯される考え方だと思われます。絶対化・教条化を避け、総合的に、ある程度の曖昧さを残しつつ受け止め、その奥に真理を探ろうとする、という姿勢が、スピリチュアリズムには必要だと思われます。
さて、マイヤーズ通信では、霊界を七つの階層(意識レベル)から成るとしています。それを列挙すると次のようになります。

(1)物質界 (the Plane of Matter)
(2)冥府、ないし中間境 (Hades or the Intermediate State)
(3)幻想界 (the Plane of Illusion)
(4)色彩界ないし形相界 (the Plane of Colour or the Plane of Eidos)
(5)火焔界 (the Plane of Flame)
(6)光明界 (the Plane of Light)
(7)彼岸 (Out Yonder, Timelessness)

われわれの住んでいるこの世界は(1)の物質界です。このような世界は地球だけではなく他にもたくさんあるが、物質の振動数が異なるため、われわれの肉眼や機械的観測では捉えることができない、と言われています。
そして「死」によって物質界を離れた魂は、(2)の冥府を通過し、(3)幻想界に赴くとされています。そしてさらに進化向上を果たした魂は、色彩界、火焔界……と昇っていくというのです。
ただし、ここでは七つの階層とされていますが、このうち(2)の中間的境域は、それぞれの界の間にあるとも言われます。幻想界から形相界へ行く際にも、形相界から火焔界に行く際にも、似たような移行プロセスがあるというわけです。また、(7)彼岸は、「宇宙の外」とも表現される神の領域ですから、一般的に「霊界」とされるのは、幻想界、色彩界、火焔界、光明界の四つ、ないし現界を含めて五つ、ということになります。
マイヤーズ通信は、この五つの霊界のありようを、仔細に説明しています。ただ、説明はいろいろな箇所でなされ、すっきりと整理されてはいませんので、以下に、わかりやすくまとめ、若干の補足を加えて、説明していくことにします。

(なお、二書の日本語訳は、以下のものがあります。
The Road to Immortality
『不滅への道』梅原伸太郎訳、「世界心霊宝典」第2巻、国書刊行会、1985年、絶版
『不滅への道』梅原伸太郎訳、春秋社、2000年
『永遠の大道』(抄・敷衍訳)浅野和三郎訳、潮文社、復刻版
Beyond Human Personality
『人間個性を超えて』梅原伸太郎訳、「世界心霊宝典」第5巻、国書刊行会、1986年、絶版
以下、引用箇所は、R=春秋社版『不滅への道』、B=国書刊行会版『人間個性を超えて』を示します。)

マイヤーズ霊の位置

まず、通信者である「マイヤーズの霊とおぼしき主体」(以下単にマイヤーズと記す)自身は、どういうところにいるのかについて。レポーターは、その情報をどこで収集したのかを明らかにする責務があります。どこまでは実体験なのか、どこからは伝聞なのか。これについてマイヤーズは次のように言っています。

《私は第四界の形相界、すなわち「理想化された形態」の世界まで旅をしてきた。だが第五界までは主観的状態で行ったことがあるだけである。》(B143)

「主観的状態」とは意味深長ですが、地上で言えば「瞑想」のようなやり方を指すのかもしれません。

《私はまだ第五界に進んでいないので、私の心霊族の記憶庫に積まれた星の生活の記憶の中に意識的に入っていくことはできない。しかし、私は私よりももっと先に進んだ仲間の者から、かつて金星に転生したことがあるとか、これから転生するという話、そしてその生活は大分人間生活とは違っていることを教えられた。》(B130)

「心霊族(psychic tribe)」とは「類魂(group souls)より大きな集合体のこと。類魂の記憶はその構成員には共有できるようですが、それにもレベルなりの区別があるようです。
ともあれ、マイヤーズは、第四界におり、それより高次の世界については、自らの「主観的体験」や他の霊からの情報を集めたと述べているわけです。ですから、第五界以上のことは、直接的な情報ではないわけです。もっとも、第四界以上の高次霊界の様子は、地上の人間の知性では正確に把握することがそもそも不可能なもののようですし、言語をもって表現できるようなものでもなさそうですので、その記述は、あくまで「比喩的」「概説的」なものとして捉える必要があるでしょう。

冥府

第一界である地上生活というものがどういうものであるか、そこで魂は何をなすべきかについては、様々な言及がありますので、また別個に述べることにし、ここでは、地上生活の後、つまり、死後の魂の旅に絞ることにします。
まず、死と同時に、魂は肉体より分離し、より精妙な霊的身体(これについても別述)をまとって、「他界」に移行していきます。

《普通の人の場合、死に際しての苦しみはないものである。彼らの魂はすでに肉体を離れているので、肉体は苦痛にあえいでいるように見えても、魂はまどろみつつ風に身を任せて飛ぶ鳥のように、彼方こなたへと揺らめく感覚を覚えるだけである。/この感覚は死の原因となった病気の苦しみの後では、何ともいえぬ心休まる喜びなのである。それゆえ、あの断末魔の外見的な苦しみを気に掛ける必要はない。》(R97)

最近大量の報告がなされている「臨死体験」でも、「死は苦しいものではなく、解放であり、心地よいものだ」とする報告が多くあります。われわれは臨終の苦痛を恐れますが、その必要はなさそうです。

《肉体の崩壊が始まるとすぐに、短い間だが、人間を一つにまとめ上げていた諸部分の外見上の解体と一時的な混乱の時期がある。この冥府の時期と結びついた不愉快なことどもをどうか思い出さないようにしたいものである。》(R42)

奇妙な言い回しですが、肉体との分離の後、一時的に混乱と不愉快を感じるプロセスがあるようです。イアン・スティーヴンソンが収集した生まれ変わり報告でも、このようなプロセスを体験したと主張する例が少なからずあるようで、スティーヴンソンは、人間が死を恐れるのは、死そのものではなく、この移行プロセスではないか、という見解を漏らしています。また、一部の臨死体験、前世想起で、ネガティブな状態を報告するのは、このプロセスの記憶なのかもしれません。このあたりはまだ探究の余地があるようです。マイヤーズも、

《膨大な数にのぼる新たな死者たちが冥府でどのような状態を過ごすか述べるのは、たとえそのごく一部に限るとしても難しい。》(R98)

と述べていて、このプロセスの内容は、その魂の状態や死の状況などによって、様々なようです。しかし、これは一時的なプロセスに過ぎないとされていることは確かです。

幻想界

移行プロセスを通過した魂は、第三界である「幻想界」に赴きます。ここは、「地上と似た世界」であり、日々の糧を得るための労働もなく、好きなことに没頭できる「常夏の国」「蓮華の国」だと言われます。

《〔魂は〕地上的性質を帯びた夢の世界に住んでいる。平和と満足がこの境界の内に満ちわたっている。金銭の煩いは何もなく、日々の糧を得るために稼ぐ必要もない。……苦痛に悩むことも闘争に巻き込まれることもない。》(R43)
《肉体の制約から自由になった魂は今までよりも大きな精神力を持つようになり、自分の好みにあった記憶世界を選べる……。》(R41)

この世界についての報告は、様々な霊信によってなされています。美しい街、平和な生活、そして地上時代に充分できなかった様々な活動――趣味や芸術や科学的・哲学的探究など――にいそしむことができる生活です。お望みなら、好きなだけ上等な葉巻きをくゆらせ、好きなだけ鴫撃ちに没頭することもできます。ただし、幻想とは言っても、主観に埋没しているだけではなく、他者も物質世界(精妙なエーテル体によって作られている)も存在します。しかし、そこでは《同じ性質を持った者同士が一つの環境に親しく集まっている》(R51) ので、肌合いの合わない人との関係に葛藤することもありません。
まさしく、「天国」「極楽」に等しい世界だと思われるかもしれません(ただし、極悪粗暴な魂は別にして)。この世界については、あまたの霊信が報告しているので、ここではこれ以上述べません。マイヤーズ通信の特質は、さらに高い世界について報告していることにあるからです。そして、マイヤーズによれば、この「天国」「極楽」のような世界は、“幻想”に過ぎないとされるからです。

《それは植物的な幸福であり、自分の住んでいる世界についてほとんど何も知らない幼児の無知の満足に等しいものなのである。》(R42)
《「常夏の国」は地上的人格の見る夢であるから、それがすなわち天国だとか冥府だとか地獄だとか考えられてはならないのである。それは旅中の単なる休憩所にあたるもので、魂はそこで地上生活を夢の中で追懐し、その情的な無意識生活を総括する。……あくまでもその旅程を先に進めるために夢を見るのである。》(R45)
《幻想界で生きる間は個としての存在は大自我に属していない。彼はまだ物質に顕現する自我の単なる一部分である。》(B123)

魂がその「夢の実現」の世界で過ごしているうちに、新たな進化への欲求が芽生えます。面白いことに「飽きること」「退屈すること」が、魂の進化向上を促すというのです。

《しかしこうした平和の中にいることも、やがて退屈になってくる。なぜなら夢の陶酔境においては、何らの現実的進歩も変化もないからである。まるで池の中に住んでいるようなもので、波立たない静かな水面にかえって退屈してしまう。そこで闘争や努力や陶酔が欲しくなる。広い天地が恋しくなる。先に進みたいという欲求が再び湧いてくる。つまるところ、上へなり下へなり進みたいと思うようになるのである。》(R43)

「上へ」は、さらに高度な精神生活を求めて形相界へ向かうこと、「下へ」は魂の完成のために不足している経験を補うために、地上に再生すること、です。
なお、一部の、極悪・粗暴な魂は、その欲求がそういう性質のものである以上、また別種の幻想界へ赴くことになります。「低次の欲望がぶつかり合う世界」「渇望に取り憑かれ、しかもそれが満たされずに苦しむ世界」であり、いわば「地獄」のような境域です。これについてはすでに様々な霊信でも伝えられているところですし、マイヤーズは「詳しく述べることは許されていない」と言って、軽く触れているだけなので、ここでも詳しくは述べません。一箇所だけ引用します。

《彼〔残酷者〕の魂と心は、その犠牲者たちの苦悩との一体化を通して浄められていくものである。……冷たく利己的な人は自我を外へ投げ出して欲望遂行のうちに自己表現をする力もないために、暗黒の世界に住まうことになろう。……極度に利己的な人にとって幻想の国は夜だけの世界であろう。》(R54-56)

色彩界ないし形相界(以下では理解しやすい「形相界」に統一します)

《……時と共に霊的知覚が目覚め、この記憶の無限境〔幻想界のこと〕から逃れようとする時、すなわち、自分の知的能力の高まりや、なかんずくより精妙な世界に居住する適応力を自覚する時がやってくる。その時彼は、この幻想状態を離れ、これまで通信してくる霊たちがほとんど触れることのなかった世界に入るのである。》(R41)
《地上にある間の魂がこの世〔形相界〕について知ることは極めて稀であり、最も高度な神秘的トランスの状態においてさえも、そこを超えることはなかったからである。》(R91)

マイヤーズはこう述べて、これまでの霊信が、ほとんど幻想界の報告に過ぎなかったことを明らかにします。そして、自らがいる第四界「形相界」のありようを述べていきます。

《意識は形態の完成と昇華を達成する。》(B29)
《知力が増大するので形態を統御することができ、またそれに生命を吹き込むことができる。彫刻家が形のない土くれを取ってきてそれに形態を与えるように、あなた方の心が形態に生命と光を引き寄せ、想像のままに環境を形造る。》(R46)
《魂は形態(form)の統御法を学び、それとともにあらゆる物的存在の虚構であることを無数の経験から学習するのである。……魂は、……限りない色彩と音の世界に入ったことを知る。……精神が直接に形態の中に自己表現しようとするので、形態が猛烈に振動している。……この広大な世界の外観は途方もなく巨大で……恐ろしくもなれば優美にもなる……。それは地上の環境に比べてはるかに流動的で、明らかに個体性が少ない。……かつて味わった苦痛と快楽、歓喜と絶望を再び経験する……。再びとはいっても、それらは地上におけるものよりはるかに上質で知的なものである。……この光に満ちた世界における闘争は激しさも更であり、そこで費やされる努力も地上の計量を越えている。つづめて言えば、すべての経験は洗練され、高められ、強められ、生存への生々しい熱情が限りもなく増大しているのである。》(R65-67)
《形相界に進み純粋形相の世界に自覚的に生きるようになると、彼は次第に目に見えるような形や個性的表現をとらなくなる。この第四界は地上の美の原型ともいうべき純粋美の傑作である。それに比べれば地上の美など問題にならないくらいのもので、ちょうど未熟な素人の描いたモナリザの模写みたいなものである。》(B123)
《幻想の国を超えて自覚的に生活し、自己の精妙な身体を自覚する時、そこは地上世界の源となる世界であることに気づくであろう。簡単に言えば、地上とは精妙な身体に精妙な魂の宿るこの世界〔形相界〕の、醜く汚れた模写図である。……そこには例えば花もあるのだが、その形は異なり、その色彩は目も覚めるような光輝を放っている。その色も輝きも地上の色域や波長の中にはないもので、筆にも言葉にも尽くせぬものである。……言葉はもはやわれわれの役には立たないのである。/しかしながら、この意識界の魂も、争いもすれば仕事もする。地上のものとは違うが、悲しみもあれば喜びの陶酔もある。ここでの悲しみや陶酔は霊的な性質のものである。》(R63-64)

こうした世界のありようは、地上の言語では表現できないものでしょう。きわめて難解な表現ですが、ここでの注目すべきポイントは、「形態」「形相」(form, Eidos)ということにありそうです。マイヤーズ通信が述べる世界観の基本には、「イデア」「思想」と、「形相」「表現」とを両極的に捉える見方があります。大雑把に言うと、マイヤーズは、この宇宙そのものが「神の一思想」であり、「イデア」(理想、理念)であると述べ、その「表現」「展開」として、様々な現象・存在が生まれていると述べているように思われます(プラト二ズム、新プラトン主義、グノーシス、カタリズムに通底する?)。
ただし、形態・形相とは、単に表層的な形や姿というものではなく、より深い意味を持っているようです。われわれの思念も、感情も、霊的には「形態」とされるようですし、われわれが抽象的理念や抽象名詞と捉えているものも――「バラの花」「花そのもの」「魅惑する赤」「季節」といったものさえ――形態・形相と言えるのかもしれません。
そして第四界での活動というのは、物質存在が虚構であることを知り、形態・形相がイデアの表現であることを知り、より精妙で高度なイデアを覚知するために、形態を破壊・再創造し、理想化・神聖化(apoheosis)することにあるとしているように思われます。
おぼろげにしかわかりませんが、なんともわくわくする世界ではないでしょうか。純粋美の世界、筆にも言葉にも尽くせぬ色彩や光輝が満ちあふれる世界、霊的な悲しみや陶酔を体験する世界、神の創造のまねびとして様々な形相の創造を楽しむ世界……。
さらにマイヤーズは、興味深いことを記しています。

《永遠の旅人は第四の意識界〔形相界〕に上っていく前に、こうした地上生活の記憶を点検する。……石器時代や氷河期にまで遡った旅人はふいに方向を変えて未来の萌芽や未だ起こらざる事柄を目に留める。……こうして旅人は、永遠の永い旅程を辿る前にこの浩瀚な生命の書を垣間見ることを許される。》(B45-46)

幻想界から形相界に移行する際に、魂は、全地球の過去や未来を垣間見ることができるとしているのです。これは類魂の経験や、大記憶庫とのコンタクトによってなされるのでしょう。地球史・人類史の謎に興味を持つ人、生命・人生の意味を探究したい人にとっては、この上ない楽しみではないでしょうか。
なお、類魂の問題や再生については、話が複雑になるので、また改めて紹介することにしますが、この第四界においては、魂は類魂の存在に気づくとされていることだけ述べておきます。

火焔界

第四界の形相界での活動を十全に果たした魂は、さらに高次のレベルに出発します。

《これまでの静寂は打ち破られ、霊的嵐が舞い起こる。》(R79)
《この死は地上の人の死とは似ていない。……この死は彼と形態なしの存在を隔てる最後の帳にあたる。彼はもう一つの階段を上る前に自己を解放し自由にしなければならないが、それは「形象の破壊」と呼ばれる過程を経てのみ達成されるのである。》(R78)

第五界での存在様態は、より神秘的です。

《類魂内での精神的知的経験をする時期であり、それと共に類魂内において同じ本霊に養われる様々な魂たちのこれまでのあらゆる段階の経験を知り尽くす――ただし、これは感情的な思考作用の上で知るのみである。》(R39)
《魂は、永遠の絨毯の中に自己の本霊が織りなしつつある図柄に気づき、同じ霊の中に養われている同類の魂たちの感情生活を知悉する。》(R36)
《……魂はここでは他の魂と感情的に結ばれた全体となっており、孤立せず、グループの中の他の魂を実感できる存在となっている……。自己は自己であり続けながら、同時に他者のすべてでもある。彼の仲間たちの過去の感情、情熱、知的表現形式などがこの感情的思考の輪郭をつくりあげているのであるが、この輪郭こそこの巨大な力ある存在を燃え立たせ、突き動かしている火なのである。……彼は、実際火焔が燃えるような一生を送る。それは激しい修練の時であるが、また知的な感情がすこぶる増大する時でもある。大いなる制限と限りない自由、そしてまた果てしない地平がちらりと見える時でもある。……彼は一つの本霊の光に浴しながら、そこにたどりつくまでの様々な段階にいる仲間の魂たちの知的、情的生活を楽しんでいるのである。……彼は天国を実感しつつあるが、最後の謎はまだ解き明かされず、彼自身一役を担っている宇宙計画の完成を待ち続けている状態なのである。……類魂が完成し、永遠の織物に織り込まれる模様に必要な他の魂たちがこの同じ意識のレベルまで到達するまでは、第六界に向けて出発しないでいる。……濃密な物質世界にいる彼の仲間の幼稚な感情生活に気づくのである。……本霊にとっての経験は、類魂独自の模様の完成に必要な魂がすべてこの五界にたどりついた時に完全なものとなる。》(R80-82)

類魂論の詳細は保留にして、ここでは、魂は、同じグループに属する様々な魂の「感情的生活を知悉する」と言います。次の第六界では「知的に把握する」とされていて、微妙に差異があるようです。「感情」は、しばしば知性や理性に劣る低次機能のように思われがちですが、そうではないようです(もっとも、現在の人間が把握している感情は、雑駁で曖昧なものでしかないようですが)。
注目すべきは、「類魂が完成し、……他の魂たちがこの同じ意識のレベルまで到達するまでは、第六界に向けて出発しないでいる」という記述です。これは、「衆生が救済されるまでは涅槃に行かない」とした「阿弥陀如来の誓願」を思わせます。
ともあれ、同じグループに属するあまたの魂が、様々な境域で様々な体験をしている、それがここにおいて統合され、より大きな「永遠の織物に織り込まれる模様」となることが、このレベルでのプロセスのようです。個々の魂の体験は、それ自体、形相であり、感情であるのですが、それはより大きなイデアの一表現であり、そうした小さな表現が統合されて、より大きな形相が形作られる。さらにそれが一つの「模様」(pattern)となって、神の大イデアの織物の中に織り込まれていく。そうした「イデア」と「エイドス」の神秘的な活動が語られているように思われます。
この第五界にいる存在は、人間にとってはほとんど神(神々)のような存在でしょう。それは「様々な段階にいる仲間の魂たちの知的、情的生活を楽しんで」おり、「濃密な物質世界にいる彼の仲間の幼稚な感情生活に気づ」き、「自己は自己であり続けながら、同時に他者のすべてでもある」存在なのです。実際、マイヤーズは、この界の存在が地球を統御していることを匂わせています。

《愛と力と叡智のこの三つは神聖ハイアラーキー(Divine Hierarchy)から放射される推進力であり、宇宙霊流であり、それらは神の使いとして地球星を導いている。/このハイアラーキーは多くの類魂団からなり、意識の第五界から生命を支配し組織し計画の細部に至るまで責任をもつ。》(B132)

なお、この第五界に赴く際、マイヤーズは後記の通信である『人間個性を超えて』において、「恒星への転生」というプロセスがあるとしています。第四界と第五界の間には、どうも大きな断絶があるようです。

《第四界〔形相界〕から第五界〔火焔界〕へふいに飛躍するとか、拡大しエーテル化した人間個性から宇宙自我の偉大崇高な概念に突然飛躍がなされるということはない。その前にこの物質界での第二の経験〔恒星への転生〕が必要である。》(B166)
《第一歩は恒星での個的経験をすることである。……かくして銀河系内における恒星に転生することを選ぶのである。》(B143)
《魂は自らの類魂から離れて焔の肉体を纏い恒星の世界の生活を経験する。》(B29)
《恒星に住むあいだは、……知識も経験もこの恒星生活に限定される。むろん、恒星への転生中は、本自我の方は恒星意識以外のところになければならず、彼の過去の経験の詳細は、この火の領域における活発な生活の期間は本人に知らされていない。》(B145)

「恒星での生活」というのは、にわかに信じがたいことですが、マイヤーズは次のように言います。

《実際には惑星上よりはるかに多くの魂が恒星に住んでいるのである。そしてもし誰かが第六界から宇宙を眺めることができたなら、いわゆる人間型の生命は比較的稀で、宇宙時空の領域内では太陽型の生命の方が一般的なのに気づくであろう。》(B146)

さらにマイヤーズは次のような謎めいた報告をします。

《第五界での大事業は、心霊族(Psychic Tribe)の中での自己の発展であろう。……そこには、高次の存在のレヴェルでわれわれと結び、関わりをもち、融合調和しようとする他の系統の存在者をすべて含むものである。》(B125)

類魂を自らの内に統合した第五界の存在は、さらに大きな「心霊族」の中で自己発展を行なうというのです。そこには「他の系統の存在者」からなる類魂もあり、「心霊族」の大きな枠の中で、それら複数の類魂が融合・調和していくというのです。
このあたりのことは、想像もつかないし、真偽のほどを云々するわけにも行きません。ただ、われわれにとっては「神々の世界」にも等しいこの境域が、「魂の永遠の旅」の中では究極点ではないということは、注意しておくべきでしょう。

光明界

第六界の光明界は、「本霊」の世界です。「本霊」は原語は Spirit です。マイヤーズ通信では、個々の存在を表わす時は、それが高次の霊であっても、soul と表現されます。様々な霊的レベルにいるたくさんの soul は、ようやくここに至って、その本源たる Spirit に出会い、融合することになります。
この境域を表現することはさらに難しいようで、マイヤーズ通信でも、日本語にしてわずか2頁の記述に過ぎません。

《魂が同じ類魂内の前生にあたるすべての魂たちについて知的に把握する。さらには世界魂ないし地球魂がその身体のうちで経験するすべての感情生活に通暁する。》(R36)
《「時」の内と外における意識存在としての生活がある。この場合、形態のうちで過ごした生涯はすべて時を計る尺度となっている。》(R39)
《純粋理性が君臨している。御存じの感情とか情熱とかはここにはない。……彼らは形態の持つ叡知、計り知れない秘密の叡知を身に付けている。それらは無際限の年月にわたる不自由な生活を通して集められ、獲得されたもので、無数の形態のもとに過ごしたこれまでの人生の総決算である。……彼らはもはや形態なしで生き、白光として存在し、〈創造者〉の純粋思想として生きることができる。彼らは不滅の中に参入したのである。/第六界の存在目的は「多者が一者に同化すること」と言い表わしうるかもしれない。すなわち、私が魂と呼んでいる精神の単位全体が本霊の下に統一されることである。》(R83-84)

全地球にとっては創造神にあたるような、この本霊の世界も、驚くべきことに、まだ究極の地平ではないとされるのです。

彼岸

魂の旅の究極点、それは神との融合です。しかし、それは消滅(寂滅・止滅)ではないようです。

《本霊とその様々の現われである魂は、揃って至高精神たる神の想像力の中に入り込む。……ここにこそ生成持続する完全なる意識、つまり真の実在があるのである。》(R37)
《無時間の中に入っていき、あらゆる生命の背後にあるイデア、つまり神と一体になる。もっと具体的に言えば、あらゆる階層の世界でいつも結びついていた神の霊のある部分と一体になるのである。》(R40)
《〈彼岸に〉渡った霊たちは……形態はなくとも物質宇宙全体と接触を保つ。そのことによって霊的知的次元における信じ難い活動を行なうのである。なぜなら彼らは今や無限の〈神秘劇〉に参画しているのである。つまり真の涅槃、最高のキリスト教天国にいるのであり、また物質宇宙のアルファとオメガを知り、かつ経験する。あらゆる天体の記録と地球の歴史は一部始終彼らの手中にある。》(R60)
《霊は物質宇宙から離れてはいるが、その光は広く行き渡り、永遠のしじまを支配している。宇宙の一部であってしかもそこから離れていること、これがおそらく最後の仕事であり、あらゆる努力の終着点である。》(R86)
《われわれは第七界において、〈最高観念〉(Supreme Idea)と一体化する時にのみ宇宙の真の現実を知るのである。魂と霊とが宇宙と融合し、解き放たれ、〈純粋知性〉の無限の自由の中に住むようになれば、その時宇宙は現実のものとなる。……われわれが消滅してしまったというわけではない。われわれは、大精神の偉大なる調和の下では一つとなっており、また創造者の創造物への恵みの下では個人として存在する。》(R89)

《神は無慮無数の世界と宇宙の背後に控えるイデアなのである》(R160)とも述べられていて、旅の究極点である彼岸に渡った魂は、イデアであり霊であり真の実在である神の「一部分」となるのです。
神の創造――無限の神秘劇――の中に参入・参画すること、それは至福中の至福でしょう。しかし、《地球生命のあるあいだに、彼岸に渡れる人はほんの一握りの人たちである》(R87) とも言われていて、その至難さが強調されています。

(なお、以上のマイヤーズ説をわかりやすく図表にした「魂の旅の旅程表」(二書の翻訳者で、スピリチュアリズム研究の大家でもある梅原伸太郎氏の作成による)を、本ホームページの「基本編」の(2)「死後に何が起こるか」に掲載していますので、そちらもご覧ください。)

再生問題

魂は、一直線に高みへ向かって進むのではなく、しばしば前のレベルに戻って学び直しをする、つまり再生をするとされています。
マイヤーズ通信における再生論は、有名な「部分再生説」も含めて、類魂論・本霊論と重なる、きわめて内容の複雑なものになっていますので、それは改めて類魂論として紹介することにして、ここでは少しだけ触れておきます。
死後すぐの幻想界からは、多くの魂が地上に再生します。特に、あまり霊的に進化していない魂は、「全再生」と表現される、ごく普通にわれわれが考える生まれ変わりをするとされます。ただし、これは懲罰的な意味ではなく、魂のより完全で豊かな発達のためになされるものです。やり残したこと、学び切れずに終わったことを、再び地上という「易しい世界」で学ぶわけです。なお、稀に、冥府から――つまり幻想界を経過せずに――すぐに地上再生をする場合もあるようです。
形相界からの全再生もあるようですが、しばしば、同じグループに属する新たな魂に、自らの課題(カルマ)を託し、その魂と霊的な関係を保って地上経験の代わりにする、といった「部分再生」もなされると言います。
非常に稀なことですが、ある霊的使命を帯びて、火焔界、さらには光明界からも、物質世界に再生することもあるとされます。
再生はあり、魂の成長のためにはしばしば必要なことですが、それぞれのレベルで漫然とした生活を送り、何度も再生するのは望ましいことではないようです。

高次霊界を知ることの意味

「地上に似た世界」である幻想界のことは別にして、われわれ地上に生きる魂にとって、形相界やそれ以上の高次霊界のことは、なかなか理解できるものではありません。「そんなことは意味がないし、知る必要もない」「われわれは死後存続の確信を得ることと、現世で精一杯生きることだけ考えればいい」と考える人もいるかもしれません。また、マイヤーズ自身、「この説は絶対的なものではない」と何度も言っているように、それらが絶対確かな情報だということもできません。
しかし、マイヤーズ通信のような「高次世界の情報」を知ることは、無駄なことではなく、きわめて有意義なことに思われます。
まず第一に、幻想界の情報では、「類魂」の問題がはっきりしません。「類魂」問題は、近年の前世想起報告などでもさかんに言われるようになりましたが、ただ「深く結びついている魂がいる」という認識では不十分でしょう。類魂は、単に一緒に生まれ変わり、互いに必要な役割を演じる、というだけではありません。それは、さらに高次の魂ともつながり、きわめて複雑で豊かな体験を共有していく関係です。そして、何よりも、人間の美徳とされている「共感」や「愛」が、実は類魂という魂のありように基本を持っていることを知ることは、非常に重要なことではないでしょうか。
また、マイヤーズの宇宙観を貫いている、「イデア」と「エイドス(形相)」の神秘、そして神の創造の一端としての、魂の創造力・想像力の重要性は、物質世界を生きるわれわれにも、重要な示唆を与えるように思われます。われわれは、霊的視点として、すべての現象の奥に、宇宙創造者のイデアを見るべきなのかもしれません。また、形相、つまり表現の豊かさ、自由さを通して――つまり芸術や学問探究などを通して――、より精妙なイデアを追求すべきであるのかもしれません。
さらに、多数の魂の多様な経験が、より高次なレベルで統合され、豊かで精妙なイデアが創造されていくという、霊的世界のありようは、一応一つの魂であるわれわれ自身も、一つの信条や思念に偏ることなく、多彩な体験をし、多面的な霊的発展をするべきだということを示唆しています。実際、マイヤーズは、禁欲と瞑想だけに埋没する「聖者」として生きるよりも、「愛する者、自己拡大に邁進する者、禁欲主義者、快楽主義者、聖者、そして叡智者という様々な人格を内に持ち、叡智者の叡智によってそれらを統御・統合することが、望ましい生き方だ」という旨のことを述べています。われわれは人間として与えられた様々な特性・側面を豊かに展開するべきであって、狭い枠に限られた生き方をすべきではないというのです。
もちろん、マイヤーズ通信の説く「高次霊界」は、われわれには直接知るべくもなく、確かめようもなく、具体的な目標として設定できるようなものでもありません。しかし、漠然としたイメージででも、そのような世界(境域)があることを知り、霊的進化にはそういった豊かな道があるのだということを銘記することは、きわめて大切なことではないでしょうか。

宗教の危険

もうひとつ、マイヤーズ通信は、高次他界の概念について、重要な指摘をしています。それは、地上の人間的概念として固まった「宗教的他界概念」は、しばしば危険をもたらす、ということです。

《偉大なインドのヨギ、中国の賢者、徳のある神聖なキリスト教の教父といった面々が、彼らのいるところを至高の天上界と思いつめて、いつまでも第三、第四の階層に留まっている。……彼らは夢に捕らえられ、その誤りにすっかりはまりこんでいる。……彼らは自己の理想とするものを掴まえたようである。しかしその結果として低次の階梯の一つに留まるのである。……彼らは依然として個人的存在であり、地上にいる時に生み出した至福の小さな夢にしがみついているからである。彼らは……進歩もしなければ退歩もしない。……彼らのいわゆる忘我的観照は経験の範囲を狭く限定し、彼らを自己の持つ自我の檻の中に閉じ込めてしまうのである。》(R59-60)
《狂信的な仏教徒やキリスト教徒たちは地上時代の信念の溝の中に落ち込んでいる。それというのも、そのグループの他の類魂たちも同じような観念の鎖に縛られてしまっているからである。そのためにその魂たちは進歩せず、キリスト教徒や仏教徒をつくりあげている一思想ないし一記憶の世界に留まり続ける。まるでタコの足にしっかり捕らえられてしまったようである。タコとはすなわち、死後の世界についての彼らの持つ地上的観念、つまり地上でつくりあげた世界観にほかならないのである。/こうした状態が進歩を妨げることはお分かりであろう。それは他の比喩をもって言えば、知的なさなぎの中に住んで過去の地上的観念に生きることになるからである。》(R75-76)

マイヤーズ通信によれば、この全宇宙は、神の創造として、今も活動し、展開し、進化するものです。どのような高邁な理念であれ、そこに留まり、停滞することは、全宇宙の活動からして、そして魂の進化向上という使命からして、よいことではないというのです。一部の宗教が説くような、寂滅・止滅、あるいは永遠の静謐境という理想は、そこにはありません。宗教的理想も、もしそれが固執や停滞をもたらすものであるなら、むしろ害悪であるということです。
もちろんこのことは、スピリチュアリズムにも、そしてマイヤーズ通信自体にも言えることです。われわれはこうした霊的教えを、絶対として固執するのではなく、自らの霊的成長へのひとつの糧として、受け止めるべきだということです。

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