3-(04)スピリチュアリズムからの仏教批判―マイヤーズ通信による 「仏教者の死後の行方」

仏教というものは、時代・宗派により、実に様々な教義を持っています。「これが仏教だ」と言うことが不可能なほどです。死後存続説に関連して言えば、輪廻転生は、釈迦自身も説いた仏教の基本概念(もともとはウパニシャッド思想のもの)ですが、仏教は実体的な「霊魂」を否定しようとしたため、いったい何が輪廻するのかわからない状態になっています。釈迦自身は霊魂の存在を認めていたとする学説もあります(中村元など)が、その後仏教では、「空」の哲学が発達し、霊魂はおろか世界の実在まで否定する、非常に難解な哲学になっていくからです。
その多様な仏教の教えに通底しているものを、マイヤーズ通信は、「生への忌避」だと見抜きました。スピリチュアリズムは、現世での生活を、霊魂の成長のためにきわめて有意義なものと捉えます。肉体的欲望なども、全否定はしません。それに対し、ブッダの思想は、「生自体の否定」だと言うのです。
以下、マイヤーズ霊が述べる、仏教の過誤と、仏教者の死後の問題を、『人間個性を超えて』「第14章 正しい愛への道」(G・カミンズ記述、梅原伸太郎訳、国書刊行会)より紹介します。(〔 〕内は注釈)

《仏陀は欲望を抑えることによる苦からの解脱を要求した。彼は苦の源を絶つべきだと説いた。事実、彼の信徒たちは地上的本性の基本部分を殺してしまえと要求されたのである。……仏陀の宗教は道徳的怯懦を暗示しており、そのことは彼の目的が霊的な進歩にあったとか、あるいは霊的な完成へのあこがれであったとかの美辞麗句によっては言い逃れられない。その目的は実のところ再生の定めから逃れることであった。……彼は苦への恐れ、すなわち神が人に授けた本性に対する恐れを表わしているのである。……つまり生活に背を向けたのである。というのも禁欲主義者や聖者が自己内部の他の自我を圧倒し、遂にはすべての自我を支配したからである。》(「仏陀として知られるゴータマ」)

《自我の統制を求める仏教徒ならば冷たい自己本位の道を実践しなければならない。彼は誰も傷つけない。人々に道徳や禁欲生活を教え導く限りにおいて、人々を益することもあるであろう。しかしながら彼は自己の救済のみにかかずらわっている。自分の魂の幸せを得ることにのみ全力を投球している。欲望と、そこから発する人間感情のすべてを除去することによって人類全体からは孤立してしまう。やがて彼はいわば無人島に住むに等しいこととなる。このような修行の生涯の後には死後の世界においてどのような運命が待っているのであろうか。
彼を再生の運命を逃れた正真正銘の仏教徒であると仮定してみよう。地上にあっては彼は通常人の罪は一つも犯さなかったが、未来のことに心を使い過ぎた。さらに悪いことに彼は未来永劫までを考え詰めてしまった。従って来世においては彼は孤独に住み、地上生活のあいだ彼を閉じ込めていたサナギの中に永遠に住む傾向がある。停滞し、植物的満足ともいうべき状態にとどまるのである。おそらく仏教天国〔涅槃〕に到達したとの幻想に執着しつづけよう。にもかかわらず彼の地上的世界観は第三〔幻想界〕、第四〔形相界〕の意識界へ進んでもなお彼を制約しつづけるほどであろう。彼は神聖なことどもについての瞑想をつづけるかもしれないが、神や大宇宙を真に認識するに至らないであろう。彼は鈍く消極的になり、あたかも夢から覚めず眠りつづける人のようである。もしそうでなければ、ふいの確信によって自己の幻想を打ち砕くときがくる。そして、通常生活で仲間たちと一緒に共同しなかったために類魂から孤立する決定を自ら下していたことに気づく。そして第五界〔火焔界〕において、そこでの共同生活を通じて霊的に発展進歩すべき段階になっても、自分たちの兄弟たち〔類魂〕に仲間入りができない。つまり彼の生き方が彼を仲間から引き離してしまったのである。そこで彼は彼の恐れていた再生をするか、苦痛を忍んで知的自己没頭のサナギ状態から抜け出すかの選択をしなければならないのである。
もし彼が自己の全存在をはりつけにするような試練に耐えうるなら、そして類魂のすべての構成員に対して自己の魂を開き、単に知的な意味でばかりでなく実際的、行動的な意味で「ひとりひとりお互いの肢体」であれという法則に従うなら、そのとき彼はおそらく彼に下された宣告に従うことであろう。すなわちそれは、少なくとも一つの地上生活で、彼がかつて逃避した経験のすべてに直面すること、恐怖と格闘してそれを克服し、魂の六つの様態――愛者、孤高に住せんとする高慢者、快楽主義者、禁欲主義者、聖者、賢者〔叡智の人〕――を表現し、かつまた、できる限り賢者がすべてを支配するのに任せるこの世の叡智の探求者を表現しようとすべきである、という宣告〔再生をするということ〕である。このような生涯〔高い霊界から再び地上に再生した生涯〕にあっては、彼は大衆のうえに立ってある高い使命を遂行することになろう。というのも彼はとにかくその本性の一部を完成にまで導いたのであり、今や鎖をほどき、ほとんど間違いなく、善なるものへの奉仕に参加して大きな影響力を与える人となるであろうから。》(「キリスト、ブッダ、および霊的世界」)

一言付記するなら、仏教を始めとするインド思想(そしてそれに影響を受けた近代の思想)は、人間の魂はこの世を離れたら、すぐに聖なる境域(様々な言い方がありますが)に入ると考える傾向がありますが、スピリチュアリズムの「霊の教え」では、人間の霊魂はそれほど高等なものではなく、至聖へと行き着くには成長進化の長い道のりが必要だとされています。

なお、正統な仏教からすればかなり異端に近い浄土教は、中国で発展し日本にも大きな影響を与えました。そこで説かれる浄土は、スピリチュアリズムの説く「死後の幻想界」と近いと言えるかもしれません。また、全衆生の救済を待って涅槃へと赴く、という阿弥陀仏は、マイヤーズ通信の「本霊」の記述とそっくりです。
しかし、日本の浄土教は、「阿弥陀一仏信仰」を主張し、他の神霊を否定する(神祇不拝)という暴挙に出ました。これは大きな踏み誤りでしょう。また、念仏を称えればどんな悪人も往生するという教えは、キリスト教の「信仰告白による罪の赦免」と同様、道徳を破壊しかねない、誤った教えだと言えるでしょう。

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