2-(07)守護霊

 

スピリチュアリズムの霊信は、いずれも例外なく、守護霊の存在を強調しています。
守護霊(gardian, guide など様々な言い方があります)は、私たちの類魂の一人であり、私たちにとって最も身近な(霊的には親や子供より身近な)存在です。守護霊は、私たちを、忍耐と愛をもって見守ってくれています。私たちが罪や愚行を犯しても、それを悲しみつつ、しかし私たちが再び成長への道を歩むように、そっと手を差し伸べてくれています。悩み苦しむ人間にとって、これほどの救いがあるでしょうか。

カルデック『霊の書』には次のような言葉があります。

「貴方の傍にはいつも、貴方より優れた者がいる、その人は貴方に寄り添い助言を与え、進歩の坂道を登るのを支え助けてくれている。此の世のどんなつながりよりも深い縁で結ばれ、その情愛は真実、貴方のために尽くしてくれる、その人が貴方の傍に居る。こう考える時、これ以上の心の慰めがありますか。」

守護霊は、私たちが地上に生まれる時も、助言・指導をしてくれます。生まれ変わりのところで述べたように、霊魂は、やり残したことがあったり、さらなる成長を求めるために、地上に再生しますが、その時、どんな生を選べばよいか、守護霊が助言をしてくれます。自らの霊的記憶や人格の一部を、課題として授けることもあります(部分再生)。
前世療法で、クライアントが誕生時以前にさかのぼり、「中間生」(実は霊界)に入って、光に包まれた魂の状態になると、そこにはたいてい「偉大な存在者」がいると報告します。その存在者はクライアントに、転生の意味を語り、今生の苦難が何を意味しているかを教えてくれます。この存在者こそ、守護霊にほかなりません。時にはこの霊的存在がクライアントに憑依し、セラピストと会話をすることもあります。(前世療法をおこなっている多くの人は気づきませんが、この「中間生」状態でのやりとりは、一種の交霊会となっているわけです。)

私たちが神に祈る時、私たちの祈りを聞いてくれているのも、実は守護霊です。人間のごとき卑小な存在のちっぽけな思いが、全宇宙を包み込んでいる絶対存在たる神にそのまま届くということはありえません。絶対存在の愛を受けて、私たちの祈りをかなえてくれる(成長のためにならないものは却下してくれる)のは、私たちの守護霊なのです。

インペレーターは、次のように言います。

「真実の祈りは、守護せんとして待機する背後霊への魂の奥底からの叫びの、直情的発露であらねばならぬ。祈り――魂の無言の希求を読み取り、それを叶えさせんとして遥か上界との連絡の労を取らんとして待機せる背後霊を通じての神への直情的叫び――これは形式の問題ではない。……真の祈りとは……悩める魂を、慰め癒すことのできる霊の手にあずけることである。」

私たちを良からぬ霊の影響から守ってくれているのも、守護霊です。しかし、人間があまりに傲慢になったり、低劣な欲求や悪の中に好んで突き進んでいったりすると、守護霊も手を出せなくなってしまうことがあります。そうすると、低級な霊や未浄化の霊が、その魂に取り憑き、さらに悲惨が増してしまいます。守護霊は悲しみつつはるか遠くから見守るしかありません。
見捨てるのかというと、そうではないようです。カルデック『霊の書』には、守護霊は、「どんな悪の巣窟にも」いるとあります。長い辛酸と苦悩の果てに、その魂が目覚め、改悛して救いの叫びを発するまで、じっと待機してくれているのでしょう。
逆に、魂が格段の成長を遂げると、守護霊はさらに霊格の高い霊にそれをゆだねることもあると言います。そうするとその魂の霊的力はますます強くなっていきます。

守護霊は、地上の人間と共に歩み、自らの霊的成長を遂げていきます。それは、地上に生きるよりはるかに高度で、苦難も伴うものだと言われています。死後の魂の多くは、さらなる成長のために再生を選びますが、一定の成長を果たした魂は、人間の守護霊となってさらなる成長をめざすとも言われています。生まれ変わりは死後存続説の中でも人気がある考え方ですが、地上への再生より高尚な選択もあるということは、頭の隅にとどめておいてもいいことかもしれません。

守護霊信仰とでも呼ぶべき、このスピリチュアリズム霊学は、きわめて画期的なものと言えます。それは、良い意味での民主主義・個人主義です。私たちは、神に祈るのに、特別な権威を持った宗教者を必要としないのです。それぞれがそれぞれの場所で、それぞれのやり方で、それぞれの守護霊に祈ればいいのです。道の示しがほしい時にも、自らの守護霊に聞けばよいのです(そうなるためにはそれなりの練習が必要ですが)。大金を払って、本当に霊能があるかどうかわからない宗教者に聞き、とんだ目に遭う必要はないのです。また、どちらの神が真正か、格が上か、といった争いも起きません。信仰を求めるすべての人が、自らの守護霊と対話ができるようになれば(つまり誰もが霊媒になれば、ということですが)、宗教は(少なくとも組織や権威は)もういらないのです。

私たち日本人にとって、守護霊信仰は、さほど違和感のないものだと言えるでしょう。古来、日本人は、祖先霊や産土(うぶすな)神という、身近で個人的な神格を崇拝してきました。宇宙創造神に祈願するなどといった傲岸不遜はありません(国家の宗廟である伊勢神宮は個人の奉幣を禁止していました)。一神教のような巨大な宗教組織を作らなかったのも、そのせいかもしれません。スピリチュアリズムに影響を受けた戦後日本の新宗教の一部が、守護霊信仰を前面に出しているのも、そういった風土があったからでしょう。神道とスピリチュアリズムの共通性は別項で述べますが、ある意味で、スピリチュアリズムは、霊的感性が豊かだった日本人の信仰を、近代的に復活させたものだとも言えるのです。

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