2-(05)生まれ変わりとカルマ

深遠な仕組み

生まれ変わり問題は、1-5で述べたように、現時点の死後存続研究で最も強力な証拠が出されているもので、また、日本人にとっては、比較的受け入れやすい主題だと言えるでしょう。
しかし再生ということは、非常に深遠な仕組みによっているもので、地上の人間の理解を超えるものだと言われています。積極的に再生を説く霊信(カルデックやホワイトイーグル)もあれば、まったく語らない霊信(インペレーター)や、あるとしながらも「地上の人間にはわからない」と留保をつけている霊信(シルバーバーチ)もあります(インペレーターが再生を語らなかったのは、教導している霊媒がキリスト教の牧師だったため、激しい拒絶反応が起こることを回避したのではないかと思われます)。
再生問題について最も詳しく述べているのは、マイヤーズ霊の通信ですが、そこでも、「再生に関しては定まった法則というものはない」し、自らの伝えるところが絶対ではないと留保をつけながら説明しています。
マイヤーズ通信をおおまかに紹介すると、以下のようになります。
再生には、「全再生」と「部分再生」とがあります。全再生とは、霊魂が、その個性をほぼ保ったまま、地上に再び生まれるということです。これは、霊魂の成長がまだ充分ではない場合に選択されます。地上世界は、重い物質性のため変化が緩慢で未熟な魂の成長にはふさわしいこと、苦悩や忍耐など成長のための不可欠な要素があること、多様な霊魂に出会うことで理解力や共感力が磨かれることなどから、ある種の魂の成長にとってはきわめて有益な環境だと言われています。
《地上で物質的な生活をおくった人々が、知的で高次な形の情緒生活を体験するために再生しなければならないのは明らかである。言い換えれば「動物的な人」の段階にある人はほとんど例外なく再生する。》(『人間個性を超えて』)
そしてこの再生の回数は三、四回もしくは八、九回程度で、五十回とか百回とかいうことはないと言います。
魂は再生に際して、高位の霊からの指導を受けますが、基本的に自由意志で選択します。(ですから人は誰も納得ずくでこの世に――この世のその境遇に――生まれてきているわけです。)

部分再生説
マイヤーズ霊は、さらに複雑な再生の仕組みを語っています。それは、魂が「知的にも道徳的にも進歩し」て、物質的な欲望にほとんど執着しなくなった段階(マイヤーズ霊の言葉では「魂的な人」)では、「全再生」は選択されず、自らの地上生活で作り上げてきた魂のパターン(「カルマ」とも。後述)を、別の「若い魂」に託すというのです。(なおこの「若い魂」と「魂的な人」とは「類魂」関係にあり、高次の霊界でその体験は共有されることになります。別項の「類魂」参照。)
そのパターンを受け取った魂の側から見ると、自らの中にある「前世記憶」のようなものは、厳密に言えば自分のものではなく、類魂関係にある別の魂のものということになります。
マイヤーズ霊の「部分再生説」(および「類魂」説)は、その後の様々な霊信によって「正しい」とされていて、一個の霊の思いつきの発言ではないことが明らかになっています。

マイヤーズ通信が公刊されたのは1932年ですが、それより早く、このような「部分的再生」の仕組みがあることを発見していた日本の研究者がいました。日本の心霊研究・スピリチュアリズムの大先達、浅野和三郎です。
浅野は、再生問題に関心を持ち、それを肯定する立場でしたが、霊媒による招霊を重ねていく中で、「もう生まれ変わって霊界にはいないから、出てこられない」ということがないことに気づき、単純な再生論に疑問を持ちました。そこで統計を取ってみると、300人以上の招霊実験で、呼び出しできなかったのは2人(そのうちの1人は菅原道真)だけだったということです。(井上忠一「老人の眠――分霊再生論ほか」『心霊研究』1980-11)
浅野は、日本の神道にある「分霊」の概念を援用して、新しく生まれた魂は、前世の魂の分霊であり、前世の魂の未浄化な部分が第二の自我として分裂し次の魂を生むという、「創造的再生説」を1930年に明らかにしています(「創造的再生説に就きて」『心霊と人生』昭和5年8月号)。そして、浅野はマイヤーズ通信『不滅への道』に出会い、それを翻訳(『永遠の大道』)した際のあとがきで、「今マイヤーズの『霊魂説』を読んでみると、表現の方法に多少の相違があるのみで、その内容は殆ど一から十まで同一であると謂ってよい」と記しています。
この部分再生説ないし創造的再生説は、「類魂」という問題に深く関わってきますので、改めてその項目で述べることにします。

確かに、再生説には腑に落ちないところがあります。多くの霊信は、深い愛で結ばれていた人とは死後に必ず再会できる、と強調していますが、再生して霊界から消えてしまうことがしばしばあるのなら、これは成立しなくなってしまいます。
幼いわが子を亡くしたある女性は次のような感想を語っています。「私はわが子が生まれ変わったりしてほしくない。いつか私が死んで、あの世に行った時、どうしても再会したい。その時、子供が生まれ変わってあの世にいなかったら淋しいから」。これはいささか霊的には問題ある考え方ですが、人間的な自然な心情とは言えるでしょう。
「次の生に生まれ変わっていくのは、かなり時間を経てからだから」という説明もありますが、再生事例を調べてみると、必ずしもそうではありません。場合によっては数年、十数年で再生をしたというケースも多くあるのです。

結局、「再生問題は、人間の乏しい知性・理性では理解できない、深遠な仕組みである」とする霊信が正しいのでしょう。基本的に再生はある、しかし、わからないことも多くある、というところでとどまるしかないようです。

カルマ
再生の問題とつねに連動して出てくるのが、カルマという問題です。
カルマは、インドの宗教哲学思想で古くから言われているもので、もともとは「行為」を意味する言葉です。それがウパニシャッド以来の「輪廻転生説」と結びつき、人生で行なったことは、次の生に影響を及ぼすという観念になり、いわゆる業(ごう)というような考え方になっていきます。仏教では、この業をめぐって厖大な哲学的論議がなされています。
カルマの最も通俗的な考え方は、「悪い行ないをすると、それが次の生でたたる」というようなものでしょう。「因果応報」ということです。これはまったくの間違いではなく、悪を抑制する効果もある考え方と言えるでしょう。ところが、これを悪用すると、「今あの人があんなにみじめな境涯に生きているのは、前世で恐ろしい罪を犯したからだ」というような考え方になり、さらには「貧困や蔑視などにめぐり遭うのは、前世の当然の報い」というような悪しき差別思想にもなっていきます。日本の仏教では、「差別戒名」などの暗い歴史があり、業についての論議は忌避されるようになっています(輪廻転生説自体を捨てようとする仏教徒も多くいます)。

しかし、霊信によると、カルマとはそういった恐ろしいものではありません。
簡単に言えば、カルマとは、魂に与えられた「宿題」のようなものです。
ある魂が人生の中で、人を愛することがうまく学べなかったというような場合、魂は死後の回顧と反省の中で、それを未解決の課題として自覚します。そして、指導霊の助言に従って、次は、愛を徹底して学べるような境遇を選び、再生します。
地上の人生は、霊の進化・成長のための学校のようなものです。学習が足らないところがあれば、もう一度やり直す、そこで与えられる課題や教材がカルマである――そのように単純に、明るく考えるべきものでしょう。仏教や神智学のように、カルマを過大評価し、煩瑣な哲学を考える必要はないように思われます。
課題というものは、人によって様々です。それは魂自身が知っているものであって、他人がとやかく言う筋合いのものではありません。現世の価値観に引きずられて、富や地位や名誉が目的であると考えるのは間違いです。一見不幸であったり、何の栄光もないような人生を歩んでいる魂が、成熟した高い魂であるということも、しばしばあります。

なぜ前世記憶がないか
生まれ変わり研究の対象となったわずかな人々を除けば、ほとんどの人は前世の記憶を持っていません。催眠によって前世までさかのぼろうとしても、はっきりとした記憶をよみがえらせる人はまれで、大半は断片的なイメージが浮かんでくるだけで、それも真に前世記憶と言えるかは疑問のものが多いようです。
「なぜ生まれ変わりがあるのなら、前世の記憶を持っていないのか」という疑問は多くの人が抱くものです。「だから生まれ変わりなどない」と考える人もいます。死後存続と再生を認めるにしても、記憶がはっきりしない以上、再生について考えても仕方がないと言う人もいます。「再生して未解決の課題に再び取り組む」というのなら、前世記憶があった方が効果的ではないかという考えもなりたちます。
これについてのはっきりとした答えは出ていないようです。通常は前世を思い出す必要はない、という霊信もありますが、その理由は語られていないようです。
ですから、これについては、「わからない」と答えるしかありません。おそらく、前世の記憶は今生を生きる上で、障害になることが多いからかもしれません。人間の意識や理性は、そういった情報を取り入れてもバランスを崩さないほど、成熟した段階にはないのかもしれません。いずれにしろ、この問いは、「なぜ人間はもっと霊と交流できないのか」という問いと同様、「まだ人間の方にそれだけの準備ができていない」という以外の明確な答えはありません。
近年は、前世療法というようなものが流行現象のようになっていて、多くの人が自分の前世に興味を抱くようになっています。心身症状の改善に効果がある場合もあるようですから、一概に否定することはできませんが、軽い遊び心で前世探しをしてもあまり霊的成長には役立たないでしょうし、素姓の不確かな霊能者の「過去生リーディング」に大金を出したり、自分の病的な妄想を補強するために前世を仮構したりするのは、害の方が大きいかもしれません。
自らの魂は「なぜここに生まれてきたか」を知っています。意識でそれをつかむことは難しいですが、自分の心を深く見つめ、現在の境涯やたどってきた道を正しく観察すれば、「今生の課題」は、ある程度理解できるはずです。いたずらに前世にふりまわされるよりは、自らの心と現実を正しく見る方が、霊的成長には有益だと言えるでしょう。