2-(04)自殺について

霊からの通信はどれも、自殺を厳しく戒めています。
自殺は根本的な誤りです。それは、生命や霊魂への冒涜となるということはもちろん、自殺によってすべてが消滅という形で決着するという誤った思いから発しているからです。霊魂は肉体の死後も存続しますから「消滅という決着」はありません。
しかも、自殺者は、通常、自分が死んだことに気づかず、自殺の原因となった、絶望、恐怖、いじけ、投げやりといった気分に包まれたまま、長く停滞を続けるのです。こうした霊は高位の霊の救いも拒否し、暗鬱な境涯の中に長く苦しむことになります。時には生前の利己的な執着から、地上をうろつきまわる場合もあります。
(ただし、一神教――ユダヤ教、キリスト教、イスラーム――が主張するような、自殺者は地獄に堕ち永遠の責め苦を受けるという考えは間違いです。一神教は人間を神の奴隷と見、自殺という形で奴隷が一方的に契約を破棄することは最大の罪であると説きますが、神と人間との関係はそのような奴隷関係ではありません。)

もちろん、ここで言っている自殺は、一般的な絶望による自殺のことで、高貴な動機から自らの命を絶つような自死のことを言っているのではありません。他の人を救うためとか、自分が病で苦しむ様を愛する人が見て苦しむことがないようにとかいった、非利己的な理由からの場合は、暗鬱な世界の中にとどまることはありません。また、邪悪な霊からの影響によって自殺してしまった場合、自殺自体の罪は邪霊の方に帰せられます。ただし、自らの霊魂を低め、邪悪な霊の影響を受けるようにしてしまった責任は、当人にあります。

マイヤーズ通信は次のように言っています。

《われわれ霊界の者が現界と交信する時に、いかなる人も自らの命を絶つようなことをしてはならないと強調するのは、自殺者がもはや自分の肉体をコントロールすることができないと思った瞬間から、自殺に伴う絶望、恐怖、すねもの的幻滅感などの精神状態が甚だしく強められるという事実があるからなのである。自殺は通常自分が死んだことに気づかず、そこへ彼を追い込んだムードだけが雲のように彼を包み込んで、われわれの側が彼を救済しようと思っても長いことうまく行かない。感情的な思考や精神的態度全体が防壁を造ってしまい、それを壊すには当人自身の忍耐強い努力やきっぱりした克己心、なかんずく救済者たる高級霊への彼の魂のあらん限りの力を振り絞ってする嘆願懇請によるほかはない。……多くの場合、自殺に先立つ暗鬱でくよくよした思いは、ある種の自然霊を呼び寄せ、こうした地妖の類が彼を悩ませ掻き乱し、こわがらせたり苦しめたりつることがある。これら自然霊は、地縛圏に近づいて彼の熱病的な空想の中にまざまざと姿を現わすのである。……正当ならざる動機によって自殺する者は、しばらく冥府の暗闇に住まい、しかるのちに幻想界の最下部で過ごす。しかし死後に自殺者の辿る道筋はその性格や地上での過ごし方次第で様々である。さらに、憑依霊がしつこく唆した結果命を絶つに至る例がある。この場合、当人はしばらく暗闇で過ごすとしても、こうした行為の結果を全面的に償わなければならないのは憑依霊の方である。こうして、自殺にともなう処罰について論ずる時忘れてはならないのは、その魂の性格、気持ち、行為の背景となった動機などである。これらがはっきりと分かるまでは自殺の結果を判断することはできない。》

自爆テロのようなものは高貴な動機とは言い難いものです。そういった人々が抱いているのは、他者を救うという思いよりも、敵に対する憎しみ・怒りが主だからです。こういった地上的な思いを強固に抱いて死後の世界へ行くことは、霊魂の浄化と成長にとってよいわけがありません。敵を殺すことで神に近づけるといった唆しを受け、それを強固に信じている場合も、やはり利己的な動機となりますし、間違った信仰に囚われているわけですから、死後の境遇がよいものになるはずはありません。

この世には自殺を思わざるを得ないような状況があることは否定できませんし、何よりも、人間には他者を裁いて断罪する権利はありませんから、自殺をしてしまった人を云々することは控えるべきでしょう。しかし、霊学的には、自殺はよいものではないということは、はっきりさせておかなければなりません。特に、死んでしまえばすべて消滅、といった虚無的な唯物論には、はっきりと否を表明しておかなければなりません。

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