2-(11)霊現象の様々

霊的存在がこの物質世界に働きかけて発生する現象は、様々あります。
(厳密には人間も霊の一種ですから、人間の行為もその中に含まれてしまいますが、話が混乱するので、人間は排除します。)
霊現象は、大きく分けると物質的霊現象と情報的霊現象(あるいは主観的霊現象)とがあります。

物質的霊現象

物質的霊現象とは、文字通り、物質が変化するもので、そこに居合わせた人すべてが認知できるものです(マリア出現のように、群衆のかなりの部分が見た――つまり全部ではない――とか、見え方が人によって違ったというようなものは、ここには含まれません)。
物質が見えない力によって変化するのは、PK(別項参照)でも同じですが、超心理学ではPKは人間の心が引き起こすものと規定されています。電子のような微細な物質を変化させるというようなこと(いわゆる「ミクロPK」)は、人間の心の力によって可能であるということがデータでかなりはっきりと出ています。しかし、以下に述べるような大規模な現象は、霊の介入がないと無理だとされています。ただし、霊が巧みに身を隠している場合や、PK能力者が、実際は特定の霊の支援を受けているのに、世間の抵抗を避けるために、あるいは自身の優越性を誇示するために、それを隠している場合もあるので、介入が明らかにならないケースもあります。

叩音(rap:ラップ音とも言う):はっきりと確定できない場所で叩くような、はじけるような音が発生するもの。比較的頻繁に起こる現象です。スピリチュアリズムの出発点となる「ハイズヴィル事件」は、まさしくこの怪音から始まりました。初期は、浮揚したテーブルの発する叩音で、霊との会話がなされました。
物体浮揚(leviation):テーブルが浮いたり、食器や小物が飛んだりする現象。また、人体が浮かぶことも含まれます。スピリチュアリズムの「交霊会」では、しばしばテーブルが浮揚することによって霊との交信が成立したしるしとされました。人体が浮かぶというのは、聖書のイエスの記述にもありますし、不世出の物理霊媒D・D・ホームもしばしば複数の人間の前で実演してみせました。
ポルターガイスト(poltergeist):ドイツ語の「騒々しい霊」という言葉に由来。特定の家で、叩音、物体浮揚、幽姿、発火現象などが集中して起こるものです。超心理学では、「反復性偶発性念力(RSPK)」という持って回った呼称に変更し、中心にいる人物(もっぱら思春期の少女)が無意識のうちにPKを使って起こしていると解釈する傾向があります。しかし、大々的な現象を、意識も意図もせず起こすという説明には無理があります。中心人物の抑圧された怒りなどに同調する低級な霊が、中心人物の余剰エーテル体を利用し、悪さ(あるいはいたずら)をしているものと思われます。
直接書記(direct writing):誰の手も借りず、石版や紙などに文字が書かれる現象。ただし長大で複雑な文章は綴れないようです。
物体変化(形状的・性質的):スプーンが曲がるといった「お手軽」な現象から、水がワインに変わるといった、何とも有り難い現象まで、様々あります。微細な現象なら人間の心にも可能かもしれませんが、おおかたは何らかの霊の介入があります。
物質化現象(materialization):霊媒のエーテル体が凝縮し(エクトプラズム:ectoplasm)、手や顔や人の姿などを作り出すこと。
物体移動(teleportation):突然物体や生き物が出現すること。あるいは消滅して別のところに出現すること。
芳香や音楽や声の発生:どこからともなくよい香りが漂ってきたり、ありえない場所から音楽や声が聞こえてくる現象。非常に高度な現象で、霊団の強力な関与がある場合に起こる。
心霊写真:比較的頻繁に起こり、テレビなどでも紹介されたりします。高級な霊からのメッセージであることは少なく、いたずら好きの霊によるものが多いようです。写り方や形などに流行があることも、それを証左しています。
ラウディブ・ボイス(Raudive Voice):放置しておいた録音機に、ありえない音・音楽や、言葉によるメッセージが入る現象。別項参照。
機械による情報伝達(Instrumental Transcommunication):ラウディブ・ボイスから発展し、録音機やビデオカメラを使って、霊界との交信をする手段。研究者も多く、国際学会もあります。別項参照。
幽姿(幽霊)(apparition, ghost)は、一人だけに目撃された場合は、ESPと区別できず、人間の心の能力の範囲内となりますが、複数で目撃された場合は、たとえ全員が同じ知覚をしていないとしても、霊の介入現象と判断してよいものでしょう。ヨーロッパで何度か起こった「聖母マリアの出現」なども、それに属します。ただし、聖母マリアの霊が起こしているという保証はありません。むしろマリア信仰を強烈に信奉している霊団(スピリチュアリズムから見れば偏った信仰に囚われた霊たち)のなせる業と考える方が理にかなっているように思われます。

挙げれば切りがないという感じですが、物質的霊現象には、ある種の注意が必要です。
それは、高級霊が統括する霊団が、特定の目的を持って起こしている場合もあり、また、いたずら霊や邪霊が人を驚かせたり困らせたりする目的で起こしている場合もあるということです。
物質的な現象は、物質世界に近い霊、つまりあまり高級でない霊の方が得意とされています。高級霊が特定の目的のために起こす場合は、配下の比較的低い霊を指導して行ないます。しかし、地上近くをうろついている未浄化霊は、比較的容易に物質世界に介入できるのです。
物質的霊現象は、正しく行なわれ、正しく受け入れられれば、多くの人に霊の実在を納得させる、有益な現象となります。しかし、そのようなことは頻繁になされるわけではなく、低級な霊のいたずらも多いわけです。中には、霊や神への信仰を湧き起こすような現象をいくつも見せて人を引きつけ、途中でいかさまや悪行を混ぜていき、ついには霊への信用を完全に失墜させる、といった悪質な目的で起こされる現象もあると言われています。
また、物質的霊現象は、その仕組みが明確にわかっておらず(説明しにくいと霊は言いますし、またあるところ秘せられているようでもあります)、霊的世界に対する人間の知識を増やすものではありません。いくら奇跡的な現象が起こっても、霊の実感は増すことはあるでしょうが、霊とはどのようなものかが明らかになるわけではありません。
ですから、物質的霊現象にこだわることは、よいことではありません。
インペレーターは次のように言っています。
《……次から次へと無闇に派手な現象を演出してみせてくれる時は用心するがよい。そうしたものは大体において低級にして未発達なる霊の仕業である。その演出には往々にして招かれざる客が携わっている。心霊実験も必要である。われらは決してある種の人間にとっての効用を過小評価するものではない。求める者すべてに納得のいく証拠を提供してあげたいとは思う。が、そうした物理的現象のみの興味、魂の成長にほとんど役立たないうわべの興味にのみ終始してもらっては困る。目標は一段高い次元にある。……心霊現象はあくまでも確信を得させるための手段に過ぎぬものと心得よ。その一つ一つを霊の世界より物質の世界への働きかけの証と受け止めよ。それだけのものに過ぎぬと理解し、それを霊的神殿を建立するための基礎として活用せよ。現象はどういじくってみたところでそれ以上の価値は出て来ぬ。あくまでも現象を基礎として、そこより一歩踏み出さねばならぬ。現象に携わる知的存在の本性は一体何であるのか、いずこより来るのか、その意図は、等々を知ろうとせねばならぬ。》(『霊訓』)

霊的治療

心理的なケアによる奇跡的な快癒や、「気」による治療は、人間の心の力によってもなされますが、劇的な治癒(例えば脊髄の湾曲が一瞬にして治ったなど)は、霊の介入がなければ不可能です。霊媒にして不世出の霊的治療家ハリー・エドワーズは、霊団の支援を受けて数千の劇的な治療を行ないました。ウィックランド夫妻は、「マーシーバンド」という霊団と協力して、重度の精神病を数多く治療しています。
また、ブラジルのスピリティストには、数多くの霊的治療家が活動していますが、その中には、いわゆる「心霊手術」を見せる治療者もいます。霊が霊媒に完全に憑依し、麻酔なしに体にメスを入れ(もちろん患者は痛みを感じません)、正体不明の黒い塊を取り出すといった、衝撃的なものです(フィリピンにも同様の心霊手術家がおり、しばしば真贋論争の的になっています)。
霊的治療に対しては、「それほど劇的に治癒できるなら、世の中の病気が一掃できるだろうに」という反論をする人がいます。しかし、残念ながらそれは許されていないようです。病気が、時に人間の霊的成長に必要な場合もあるからです。
霊的治療は、高級な霊が、人々に霊の存在を知らしめるために行なうものです。病の苦しみを瞬時に治してもらった人は、霊の偉大さを心底から知るでしょう。また、それを見た人たちも、すべて納得するわけではないにしても、霊の存在に目を向けるでしょう。
ブラジルの霊的治療者が、見ている方がぞっとなるほどの、手荒な手術をして見せるのは、それによって多くの人が、霊のわざだとはっきり納得するからです。「われわれはこんな手荒なことをしなくても、治療することはできる。しかし、あなたがたは、それでは本当に霊がやっているのか、疑問を持つだろう」と、治療にあたっている霊たちは言っています。
ただし、中には、賞賛がほしいだけの霊や、さらには人を信頼させておいて裏切り、霊への信仰を破壊しようとする悪質な霊によって、束の間の治療がなされることがあります。前者は尊大な態度でわかってしまいますが、後者は装うのが巧妙なので、なかなか見破れません。短期に爆発的に人気が出たようなケースは、充分注意すべきでしょう(霊的治療はそれを行なう霊媒にとっても成長のための試練なので、紆余曲折があることが通常です)。
特に、多額の金品を要求する治療家は、信用できません。霊は「ただで」働いているのに、それを媒介する霊媒が、法外な報酬を取っていいはずがありません。霊的治療は霊にとっても霊媒にとっても奉仕であり、金儲けの手段にすべきものではないからです。

情報的霊現象(主観的霊現象)

物質的な変化を伴わず、情報だけがもたらされる霊現象もいろいろとあります。しかし、これらは主観的な現象、つまり受信者だけが確信できる現象なので、単なる妄想・幻想と区別がつきにくいものです。これがはっきりと霊の存在を示すためには、情報の内容が吟味されなければなりません。通常では知り得ないが事実と一致するということが証明される必要があります。
透視(clairvoyance)やサイコメトリー(psychometry:物から所有者等の情報を取り出す)やダウジング(dowsing:振り子や針金などを使って場所を特定する)、あるいは予知(precognition)などは、情報的な超常現象だと言えます。これらは超心理学の研究対象となり、人間の心の力による超常現象だと思われていますが、強力で安定した能力は、霊の支援によって支えられていることが多いものです。

情報的霊現象で、最も重要なのは、霊媒を通しての語り(mediumship, spirit speech)と、自動書記(automatic writing)です。

霊媒を通しての語りは、一般の死者霊が霊媒に憑依し、親族や友人に語りかけるといったものと、高級な霊が憑依し、霊界の情報や霊的訓示が語られる場合とがあります。
一般死者霊による語りは、悲しむ人々を慰め、魂の死後存続を納得させるという点で、有意義なものです。ただし、本来、魂は「あの世」に行った後は、残してきた現実世界のことに執着しない方がよいものです。また、残された人は、できれば(といっても難しいことですが)、深く悲しまないことが望ましいのです。死は終わりではありません(むしろ解放であり新たな旅立ちです)し、あまりに強い悲しみは、死者が「あの世」にスムーズに移行するのを、むしろ妨げてしまうからです。
ですから、一般死者霊による語りは、本質的にはあまり望ましいことではないわけです。けれども、霊の方でも未練があったり、死の状況があまりに悲惨で、遺族の悲しみが強いといった場合もあるので、しばしば行なわれるのはやむを得ません。また、現代はあまりに物質的な思想が広まっているために、上記のことを改めて知らしめるために、高級霊が計画し、大々的に行なわれることもあります。もちろん、こういったことにも、いたずら霊や邪霊の入り込むことはあります。霊的治療と同様の注意が必要です。
高級霊による霊界情報や霊的訓示は、高級霊の統括する霊団と優秀な霊媒との共同作業になるため、めったに成立するものではありません。心を打つ高度な内容が、滔々と語られますが、それは高級な霊の指導のもとに複数の霊が協働することで初めて可能になるものです。一般死者霊の語りとは、比べものになりません。シルバー・バーチやホワイト・イーグルといった高級霊の「スピーチ」は、その最もすばらしい成果です。

自動書記による通信も、基本的には語りと同じです。一般死者霊との交流は、語りの方が手っ取り早く臨場感もあるせいか、自動書記はあまり主流ではないようです。むしろ、自動書記は、きわめて高度な内容の通信を送る際に用いられることがあります。
その偉大な成果が、S・モーゼスによるインペレーターの『霊訓』であり、G・カミンズによるマイヤーズ霊の通信『不滅への道』『人間個性を超えて』であり、G・V・オーウェンによる複数霊の通信『ベールの彼方の生活』です。スピリチュアリズム霊学の細かい部分は、これらの通信によって成立しています。

これらの霊界情報や霊的訓示は、地上世界を霊的に向上させようとする、高級霊の教導であり、神の壮大な計画の一端だとされています。
ただし、いずれの場合も、霊の側でかなりの苦労があること(自らを地上近くまでレベルダウンさせることや、霊媒の脳や無意識や声帯や手を操ること)、「翻訳」に伴う困難があること、特に霊媒の知的能力に左右される(「誤訳」もある)こと、邪霊の妨害もあること、などの理由から、通信を絶対化し一字一句を鵜呑みにしてはいけない、理性と感性を持って慎重に検討して、受け入れていいと思うもののみを受け入れるべきである、と言われています。「ただ信じよ、とは私たちは言いません。人間には理性が与えられているのですから、それによって検討し、認められないと判断したら、捨てなさい」「正しい霊のメッセージには、高尚さ、優雅さが感じられるものです。低俗でがさつなものや脅かしめいたものは、拒否しなさい」と霊たちは言います。

ところが、霊媒を通した語りにしろ、自動書記にしろ、物質的な次元では、霊からのものであるということが証明できません。霊媒がただ語っているだけ、書いているだけなのですから。いくら正しい死者の情報があっても、いくら高邁な思想にあふれていても、霊媒が、あるいは霊媒の無意識が、語ったり書いたりしているのではないか、という疑いは、完璧に払拭はできません。科学的実証を追求する超心理学者が、霊媒による語りや自動書記にほとんど関心を示さないのは、このせいでしょう。
ある意味で皮肉なことです。最も明証的である物質的霊現象は、霊的情報という意味ではほとんど無意味であるのに対し、最も疑わしい形式である情報的霊現象は、きわめて豊かな霊的情報をもたらすのです。証明と情報価値とは反比例する、精神的なものほど証明から遠ざかる、という逆説がそこにはあるわけです。