1-(02)スピリチュアリズムとサイキカル・リサーチ

死後存続という概念

「人間の個性は死後も存続するのか」という主題を、近代的な文脈で(つまり、単なる宗教教義や伝統的観念というような形ではなく)探究しようとしたのが、19世紀後半に欧米で勃興したスピリチュアリズム(Spiritualism)であり、それを契機として生まれたサイキカル・リサーチ(Psychical Research)でした。
日本語では、スピリチュアリズムを「心霊主義」、サイキカル・リサーチを「心霊研究」と訳すことが通常ですが、原語では異なる語です。
「spirit」は、「霊」(「精霊」や「聖霊」を含む)を意味する言葉で、スピリチュアリズムは、まさしく「霊魂」の存在を認めるという思想です。なお、一般的な「精神主義」や、中世キリスト教神秘主義の一派の名称と区別するために、Spiritualism と大文字で書かれるのが普通で、さらに「近代スピリチュアリズム Modern Spiritualism」と表記することもあります。ここでは簡単に「スピリチュアリズム」とします。
サイキカル・リサーチの psychical は、ギリシャ語で「心」を意味する言葉「psyche」(プシケーないしサイキ)から来ています(「psychology (サイコロジー)」といえば、普通の「心理学」となります)。psyche は、実体を持ち、肉体とは別の(分離しうる)心というニュアンスを持ちます。「psychic」(サイキック)というと「超常的な(物理的な法則を超えた)心の力による」というニュアンスの形容詞になります。超常的な現象そのものを「psy」(サイ)と呼ぶこともあります。
ですから、「Spiritualism」はむしろ「霊魂主義」、「Psychical Research」は「超常的心力研究」とでも訳す方が正確かもしれません。ここでは原則的に両方ともカタカナで表記します。

その出発点が、1848年に起こった「ハイズヴィル事件」であることは、多くの人が認めるところです(ただし、懐疑的な傾向の強い研究者は、この事件をいかがわしいスキャンダルとして否定することがあります。なお、この前史として、アンドリュー・ジャクソン・デイヴィス(1826-1910)というアメリカの霊能者を重視する人もいます。)。
ハイズヴィル事件とは、アメリカ・ニューヨーク州の寒村ハイズヴィルで、幼いフォックス姉妹が、夜な夜な怪音を立てる〈霊〉と、指を鳴らすことでコミュニケーションを取ることに成功した、というものです(詳しくは用語・事項編を参照ください)。
これが新聞で報じられると、同様の現象がアメリカのあちこちで起こりました。人々は、何人かが集まって、テーブルの上に手を置き、じっと精神集中することで、テーブルが浮揚し、言葉の代わりに音でイエス・ノーを答え、それによって〈霊〉との交信が可能になることを知ったのでした。
こうした〈交霊会〉の流行はすぐにヨーロッパに飛び火し、特にイギリスでは、「ロンドンでは、毎晩、何千ものテーブルが傾いているはずだ」と言われるような大流行となりました。

霊媒の輩出と学者の挑戦

このような大衆的流行現象は、「よくあること」で、「主題は心霊現象でも何でもかまわない」ものだったと考える人もいるかもしれません。けれども、事はそれで済みませんでした。こうした中から、きわめて優秀な力を持った「霊媒」が輩出してきたのです。
D・D・ホーム(ヒューム)やレオノア・パイパー、エウサピア・パラディーノといった「霊媒」たちは、不特定多数の面前で奇跡的な現象を起こして見せたり、すでにこの世を去った人々からのメッセージを口頭や自動書記で伝えたりして、人々を驚かせました。
たとえばD・D・ホームは、ナポレオン三世、バヴァリア王、プロシア皇帝、ナポリ王、オランダ女王らに招かれ、空中浮揚、物体移動、耐火現象(焼けた石炭を素手で持つなど)、音(音楽)・芳香・光などの発生、直接筆記(紙の上に誰の手を媒介することなく字が書かれる現象)、ダイレクト・ヴォイス(何もない空間から声が発せられる現象)といった、様々な超常現象を見せました。(霊媒たちのプロフィールや発生した現象については、別項「人名録」を参照してください。)
また、霊媒による談話や筆記という形を通して、世を去った人々が「別の世界で」生き続けていると主張し、その世界の様子を報告したり、精神的な価値や倫理についてのきわめて高尚な教えを伝えてきたりしました。
こうした現象を前にして、多くの学者・知識人が、事の真相を明らかにしようと立ち上がりました。ニューヨーク州議会議員や最高裁判事などを務めたジョン・ワース・エドモンズ、タリウムの発見や放電管の発明など偉大な業績を持つ物理科学者サー・ウィリアム・クルックス、リバプール大学物理学講座初代教授やバーミンガム大学初代学長などを歴任し電磁誘導無線電信を発明したサー・オリヴァー・ロッジ、イタリアの精神医学者で犯罪心理学の祖チェザーレ・ロンブローゾ、パリ大学医学部生理学教授で後にノーベル賞を受けたシャルル・リシェなど、当時の一級の知識人・科学者が、霊媒とその現象を本格的に探究したのです。
ちなみに言っておけば、この霊媒と研究者の協同活動ということは、決してたやすいものではありません。霊媒にとって、ペテン師ではないかと常に疑う懐疑的な学者の視線や質問にさらされ、詳しく身体検査をされたり手足を縛られたりしつつ、それでも「現象を起こせ」と要求されることは、たいへんつらいことです。また、学者にとって、とかく物議をかもし、体制派から誹謗を受けるような実験に参加することは、得がないどころか、社会的生命を失う危険性すら含んでいるものです。しかし、それでもなお、多くの霊媒と研究者が、理性の時代に見合うような「証拠」を必死に求めて、献身的な努力で実験を重ねたのです。このことは、正当に評価されるべきものだと思います。
もちろん、このような動きを冷笑・軽蔑を持って見たり、激しく反発したりする人も多くいました。けれども、懐疑的な立場から出発しながら、探究の果てに〈霊〉の存在を認めた人もいます。チェザーレ・ロンブローゾは次のように言っています。

「いわゆる霊魂主義的事実〔死後存続、およびそうした存在との交信可能性〕が実在する可能性をかくも強固に反対してきたことを、深く恥じ入るとともに悲しくも思う。……私は事実のみを述べている。依然としてこの説には反対の立場を取っているからである。しかし、この事実は存在する。私は事実の奴隷であることを誇りに思う。」(SPR会報、1886年4月)

心霊研究協会の発足

こうした動きの中で、1882年、イギリスでSPR(Society for Psychical Research 心霊研究協会)という団体が、ついで1885年にアメリカでASPR(American Society for Psychical Research 米国心霊研究協会)が生まれ、物理的法則に反する現象や肉体を失った存在との交信などを体系的に研究し、科学的な方法で検証しようと始めました。これをスピリチュアリズムと区別して、サイキカル・リサーチ(心霊研究)と呼んでいます。
サイキカル・リサーチは、霊媒を対象にした厳密な実験を行なうかたわら、一般の人々が体験した超常現象の事例を広く収集・調査しました。エドマンド・ガーニーらの『生者の幻影』や、後に『人間個性とその死後存続』としてまとめられるフレデリック・マイヤーズの仕事は、その時期の代表的な著作です。
これらでは、厖大な量のアンケートやインタビューを通して、予知やテレパシー(特に死に瀕している人の姿が見えるなどのケースが多い)の事例が集められ、後にESP(超感覚的知覚)と名付けられるものをきわめて多くの人々が体験していることが明らかにされています(1889~1892年にSPRが行なった別の調査では、17,000の回答で、かなり厳格にしぼって10%ほど)。また『人間個性……』は、当時知られていた精神的・物理的変則現象を網羅的に取り上げ、霊媒の特殊能力についての報告も考察されています。ただし、いずれも、死後存続の可能性を認めているものの、霊魂仮説を明確に主張するには至っていません。

スピリチュアリズムとサイキカル・リサーチの分離

初期のサイキカル・リサーチでは、死後の霊魂との交信とされるものを承認する人々も、懐疑的な立場を保ち現象を科学的な方法で検証しようとする人々も、比較的協調していましたが、次第に方向性の違いが明らかになっていきました。事そのものが、唯物論を反駁するだけではなく、人間の死後の問題にもかかわってくることだけに、慎重な人々は懐疑的になっていきました。また、珍奇な現象のみを追い求める「低俗スピリチュアリズム」への反感も、これに拍車をかけることになりました。証明への要求条件はどんどん高くなっていき、研究者たちは、実証性の少ない偶発的現象や不安定な霊媒現象の研究を遠ざけるようになり、厳重な管理下に置かれた実験室以外で起こることをいっさい認めないようになっていきました。SPRもASPRも、もともとは未知の現象を研究する人々のはずだったのが、次第に、その現象の嘘を必死になって暴く人々の集まりのようになってしまったのです。これに反発して、「霊」の存在を受け入れた人々は、サイキカル・リサーチから身を引くことになりました。

詩人にして熱烈なスピリチュアリストであったW・B・イエイツは、SPRと決別するに当たって皮肉たっぷりにこう言ったといいます。
「天地創造の時に、あなたがたのような疑り深い人たちがまわりにいたら、神はおそらく創造を途中で放り出していたでしょうね」

一方、「人間個性の死後存続」を受け入れた人々は、証明問題から遠ざかり、「霊」が通信してくる事柄、とりわけ「高級な霊」の「教え」を、「新たな啓示」として受け入れるようになりました。これは、サイキカル・リサーチから見れば、「宗教への回帰」と見なされるものでした。

超心理学

この分裂は、1930年代に入り、サイキカル・リサーチから「超心理学(parapsychology)」が生まれると、いっそう決定的なものになりました。
J・B・ラインは、サイキカル・リサーチをさらに厳密・懐疑的にし、実験的手法のみに頼ることによって、超心理学を確立しました(1930年代初期)。しかし、彼はそのことによって、逆にサイキカル・リサーチが持っていた最も核心的な部分を放棄することになります。ラインは、人間の心が持っている未認知の能力として、情報的側面と力動的側面、つまりESP(extrasensory perception=超感覚的知覚、後述)とPK(psychokinesis=念力、後述)があるという仮説(サイ仮説)を提出し、その検証を超心理学研究のメイン・ストリームにしました。これはある意味で巧妙な戦略かもしれません。というのも、ESPとPKは、現在の物質に関する理論を部分的に拡張することによって説明ができるようになるかもしれない、という印象があるからです。実際、ESPに関しては物質法則の根本原理に違反しないと考える科学者もいます。伝達系がまだ発見されないだけなのだ、というわけです。また、PKも、実際に古典力学的な力やエネルギーが働いているのではないとして、情報的、量子論的側面に引き寄せていけば、基本原理に衝突せずに説明できる可能性がありそうな期待もあります。唯物論とサイキカル・リサーチは互いに譲歩して妥協点を見いだせるかもしれない――もちろん、この1930年代の期待は、いまだにまったく進展していないのが実状ですし、唯物論信奉者は相変わらず断固として拒否し続けているわけですが。
つまり、超心理学は、「人間個性の死後存続」といった主題は棚上げし、もっぱらESPとPKという「心の特殊な力」に主題をしぼり、それが厳密な監視下に置かれた実験室の中でどれだけ起こるかを検証しようとしたのです。

たとえば、ESPの実験では、裏にしたカード(単純な図柄が描かれている)をどれだけ当てられるか、PKの実験では、電気的な機械がランダムに発生させる1と0の数字を、どれだけ片方(1あるいは0)に偏らせることができるか、といった方法が用いられます。そして、一般の人々を対象にして多数の実験を繰り返し、どれだけ自然的な確率より高い結果が出るかを検証するのです。
超心理学は、その厳密な方法論の確立によって、近代アカデミーの牙城に食い入り、ささやかながらもそれなりの位置を獲得しました。そしてそれとともに超心理学は、研究範囲をESPとPKという限られた領域に自己限定し、スピリチュアリズムの根本命題であり、サイキカル・リサーチが探究目標として受け継いだ、「人間の個性の死後存続」という命題に関して、ほぼ取り下げという姿勢を取るようになりました。
超心理学の研究者で、死後存続を認めている人は少数です(1971年の超心理学協会会員を対象にした調査では、回答者全体のわずか10%)。ほとんどの超心理学者にとってスピリチュアリズムとは、「非科学的な信仰」に過ぎないものとなってしまいました。これは逆に、超心理学が「科学」の中に(つまり実験室の中に)自らを位置づけようと自己退縮しているために(「こういうことを厳正にやるには信者であってはいけない」)起こっている現象です。
サイキカル・リサーチの分離と、超心理学のいわば寝返りによって、スピリチュアリズムは、「知」の体制からは排除されることになりました。「人間は物である」とする唯物論の支配体制は、超心理学という吹けば飛ぶような一角を無視すれば、まったく揺らぐことなく存続し、スピリチュアリズムや初期サイキカル・リサーチが蓄積してきた知見は、学問の表舞台からは排除されてしまいました。

スピリチュアリズムのその後

一方、スピリチュアリズムは、「交霊会」を中心とした草の根的な活動として続いていきます。
1872年には、ロンドンのマリルボーンに、「マリルボーン・スピリチュアリスト協会」が発足、これはのちに大英スピリチュアリスト協会となり、スピリチュアリズムの一拠点となります。1923年には、国際スピリチュアリスト会議がベルギーで開かれ、国際スピリチュアリスト連盟(ISF)が結成されました。1933年には「新聞王」ハネン・スワッファーとアーサー・フィンドレー(グラスゴー心霊研究協会の創立者)によって『サイキック・ニュース』が創刊され、スピリチュアリズムの普及に大きな役割を果たします。
こうした中で、優秀な霊媒による霊言・自動書記によって、高度な内容を持った「霊信」が蓄積されていきます。1870年代には、国教会牧師ステイントン・モーゼスが、インペレーターと名乗る霊を中心とした霊団からの教えを自動書記で受け取り、83年に『霊訓』として発表します。モーリス・バーバネルは、1920年代後半から「シルバー・バーチ」と名乗る霊からのメッセージを口頭で語り、それは『サイキック・ニュース』によって広く読まれ、10冊を越える本が生まれました。同じく20年代、ジェラルディーン・カミンズは自動書記能力を発揮し、SPRの創立者の一人で大著『人間個性とその死後存続』を著したフレデリック・マイヤーズからの、きわめて精緻・高尚な霊界情報を記述しました。また、30年代には、グレース・クックが「ホワイト・イーグル」と名乗る霊からの霊言・自動書記を受け取り始めました。これらの書物は、スピリチュアリズムの霊的哲学の根幹をなすものとされています。

カルデックとスピリティスム

スピリチュアリズムは、もっぱらアメリカ・イギリスというアングロサクソン文化で隆盛を見たのですが、もう一つ、重要な業績がフランスで、しかもきわめて初期に生まれました。イポリット・レオン・ドゥニザール・リヴァイユ(1804~1869)は、友人の娘二人を霊媒として、多数の霊との交信を重ね、1856年にアラン・カルデックの名で『霊の書』を発表しました。その後立て続けに刊行された『霊媒の書』『スピリティスムによる福音』などの著書は、やがてスピリチュアリズムとはわずかながら色合いの違う「スピリティスム」として受け継がれていき、20世紀のブラジルで、驚異的な開花を見ることになります。数百冊に及ぶ「霊信」の書を著したシコ・シャヴィエールを始め、多くの霊媒が輩出し、霊的治療や慈善活動が活発に行なわれ、現在の信奉者は1000万人を超えると言われています。
日本にも支部「スピリティストセンター」(千葉県市川市)があります。

http://www.spiritism.jp/jp/

*なお、超常現象研究の詳細や文献については、日本における超心理学研究の第一人者、笠原敏雄氏のホームページ内の、「超常現象研究」が非常に参考になります。ご参照ください。

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